【「日本人=集団主義」への懐疑】国際・外国語学部小論文の解法/第3回
(1)氾濫(はんらん)する日本人論
「日本人は『日本人論』が好きである」
このような言説も、ひとつの「日本人論」を形作っている。
上記の論を裏付けるように、出版業界では売り上げが伸び悩むと決まって新たな「日本人論」が登場し、ベストセラーとなって業界を盛り上げる。
そこで、思いつくままに戦後に注目を集めた「日本人論」をいくつか紹介してみよう。
①R.ベネディクト『菊と刀』 The Chrysanthemum and the Sword (1946)
これは米軍が日本の占領政策を立案するにあたって、アメリカの文化人類学者 R.ベネディクトの提出した日本研究の報告書になる。
ベネディクトは欧米を「罪の文化」に対して、日本を「恥の文化」として対置した。
「恥の文化」とは、
他者の内的感情やおもわくと自己の体面とを重視する行動様式によって特徴づけられる文化をいう。彼女はこの「恥の文化」に対立する文化として,内面的な罪意識を重視する行動様式としての「罪の文化」をあげ,後者が西欧文化の典型であるのに対し,前者を日本人特有の文化体系と考える。すなわち,日本人の行動様式は,恥をかかないとか,恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が内面化されていて,この行動様式が日本人の文化を特色づけているとする。~ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「恥の文化」の解説より引用https://kotobank.jp/word/%E6%81%A5%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96-114202
②中根千枝『タテ社会の人間関係:単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年)
日本人の集団への参加は、個人の「資格」よりもその置かれた「場」に基づいており、集団自体も、個人特質の共通性よりも枠の共有性によって構成される。各自の「資格」に応じて複数の集団に所属できる場合と違い、「場」から離脱すれば成員でなくなる日本の社会では、単一集団への一方的帰属が求められる。そこでは相異なる「資格」者が含まれるから、成員間にタテの関係(上役・下役、親分・子分、先輩・後輩)が発達するはずだという。儀礼的序列関係が重んじられる社会をさしている。[濱口恵俊] 日本大百科全書(ニッポニカ)「タテ社会」の解説より引用https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%86%E7%A4%BE%E4%BC%9A-1362033
③土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂、1971年)
本書で著者は「甘えるな」というありきたりの処世訓を説いたのではなく、日本社会において人々の心性の基本にある「甘え」「甘えさせる」人間関係が潤滑油となって集団としてのまとまりが保たれ、発展が支えられてきたことを分析して見せたのです。
しかしその後日本の社会と文化は大きく変質し、油断ならない、ぎすぎすした関係を当然とする社会風土が形成されてきました。それはすなわち、良き「甘え」が消失し、一方的な「甘やかし」や独りよがりの「甘ったれ」が目立つ世の中になったことも意味するのです。
弘文堂ホームページ 『「甘え」の構造』の紹介記事より引用
https://www.koubundou.co.jp/book/b157207.html
④山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1977年)
「『空気』を読む」という言葉がもはやすっかり定着したが、これは言葉を出さずにその場の雰囲気を人々が察して、これが絶対的な権威として人々を拘束するという、日本人独特の行動様式のことだ。
これは早くも1970年代に山本七平がこの著書のなかで指摘して、世間に大きな影響を与えた。
昨今では「忖度」(そんたく)という言葉がメディアを賑わしたが、「忖度」は特定の権力者のおもねり、その意向を先読みして行動することだが、これも一種の「『空気』を読む」行動様式の一種であると言える。
個人主義の発達した欧米では、他者に対して自己主張をし、議論によって物事を決する傾向にあるが、これに対して「『空気』を読む」というのは、成員をその場の「空気」に溶け込ませて自己を殺すように仕向ける同調圧力が働き、成員を一致団結させる、日本人の集団主義につながるものと言われる。
これは企業においては、会社の売り上げのために、忠誠を尽くしてサラリーマンが働き、高度経済成長をもたらした成功要因のひとつとされている。
一方、戦時中には上官の非合理的な決定に対して部下が異論を述べることができず、組織全体が誤った方向に突き進んだ結果、悲惨な敗戦を招いたように、組織の暴走を止めることができない弊害も指摘されている。
⑤エズラ・ヴォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓("Japan as Number One")』(TBSブリタニカ、広中 和歌子・木本 彰子訳、1979年)
高度経済成長の要因として、高い品質管理や年功序列型賃金、終身雇用、企業内労働組合といった日本型経営や、日本人労働者の勤勉で高い技術力を指摘した。
これは当時の日米貿易摩擦が外交問題の焦点となる背景にあって、日本脅威論の一方、日本型経営にアメリカも学べという機運の下に執筆された。
現在では、日本の高度成長を支えた日本型経営は崩壊しつつある。
(2)問題・「『日本人=集団主義』への懐疑】」宇都宮大学国際(国際文化)学部2010年
① 戦後日本の歴史を綴った著作『敗北を抱きしめて」でピューリツァー賞を受賞したアメリカの歴史家ジョン・ダワーは、「集団主義的な日本人」というイメージについて、“これは日米合作の「オリエンタリズム」であり、実態とは違う"という見解を述べている。
② 「オリエンタリズム」というのは、パレスチナ系アメリカ人の文学研究者エドワード・サイードが著書『オリエンタリズム』のなかでつかって有名になった言葉である。こんにち、この言葉は、だいたいつぎのような意味でつかわれることが多い。……「『オリエント』を支配の対象としたヨーロッパが、事実にもとづいてではなく、みずからの願望にもとづいて.『オリエント』に、ヨーロッパとは対照的でエキゾチックな、そしてヨーロッパより劣った特質を見いだした、その認識のありかた。」
③ 「日本人=集団主義」説が成立した経緯をしらべてみると、この説は、ダワーの指摘どおり、「オリエンタリズム」としての資格を充分にそなえているようにみえてくる。「日本人=集団主義」説は、日本人についての正確な観察から生まれたものではない。まず、欧米人の側に「個人主義」というイデオロギーがあり、それとは対照的なイメージを日本人に投影した結果、生まれた説なのである。
④ 第1章では、ほとんどの場合、「日本人=集団主義」説がマイナスのイメージをともなっていることを指摘した。日本の「集団主義的な経済」は、「日本人の集団主義」がプラスのイメージで語られた数少ない例のひとつだが、この「集国主義的な経済」ですら、日米貿易摩擦のさなかには、熾烈な批判と露わな嫌悪の対象となった。このことも、「日本人=集団主義」説が「オリエンタリズム」の一形態であると考えれば、当然のこととして納得できる。
⑤ 「オリエンタリズム」は、ヨーロッパ人がつくりあげるものである。だが、「オリエント」のほうにも、それを受け入れ、その確立に寄与するひとたちがでてきて、結局、「オリエンタリズム」は、ヨーロッパ人と「オリエント」人の「合作」になる。その点でも、「日本人=集団主義」説は、「オリエンタリズム」の資格を充分にそなえているといつていいだろう。
⑥ 「オリエンタリズム」という観点からみれば、「集国主義的な日本人」を観察していたとき、欧米人は、自分が見たいものを見ているにすぎなかったということになる。「集団主義的な日本人」、「集団主義的なアジア人_|という見解は、すでに確立している強固な図式にうまくあてはまり、しかも、欧米人の自民族中心主義をくすぐるので、新たな衣装をまとって登場するたびに、欧米では、即座に広範な支持を獲得することになるのである。
(中略)
⑦ 「個人主義」が、欧米、とくにアメリカの自己賛美イデオロギーだとすると、劣位におかれることになる日本人自身が「日本人=集団主義」説を唱えてきたことは、一見、奇異に感じられるかもしれない。しかし、明治以来、日本の知識人が欧米の思潮を受け入れつづけてきたこと、また、欧米の観点から日本を批判することによって日本を欧米風に「改善」しようとする伝統がつづいてきたことなどを考えあわせてみれば、じっさいには、これはすこしも不思議なことではないといえるだろう。
⑧ 「日本人=集団主義」説の立場にたつ日本人の心理学者から、つぎのような研究の動機を聞かされたことが何度かある。……「これまでの心理学は、欧米での研究結果をそのまま日本にあてはめてきた。だが、異なる文化をもつ日本人は、その心理も欧米人とは異なっているはずであり、日本人特有の心理を明らかにすることが日本の心理学者の責務なのだ。」
⑨ この主張に共感する日本の心理学者は少なくないようである。しかし、その「日本人特有の心理」を、アメリカの自己賛美イデオロギーの裏返しである「集団主義」にもとめたのでは、結局、お釈迦様の掌のうえを飛びまわった孫悟空の二の舞に終わってしまうのではないだろうか。
⑩ 「日本人=集団主義」説の立場から書かれた中根千枝や土居健郎などの著書は英訳され、おなじ立場にたつ欧米の研究者によって頻繁に引用されてきた。「日本人自身が自分たちは集国主義的だと言っている」という事実は、「日本人=集国主義」説の信憑性を高めるための恰好の証拠として利用されてきたのである。その結果、「集団主義」は、日本人の代名詞にまでなった。そして、「だれもが信じている」ということ自体が、さらにまた、この説の信憑性を高める役割をはたすようになった。
⑪ 「ハウリング」という現象がある。マイクとスピーカーが向かいあっているときに生じる現象である。はじめ、マイクに小さな音がはいると、それがアンプで増幅されてスピーカーから出てくる。その音がマイクにはいつて、さらに増幅されてスピーカーから出てくる。さいごには、耳をつんざくような大音響になってしまう。これが「ハウリング」である。
⑫ 「日本人は集団主義的だ」という欧米人の言葉を耳にした日本人は、「欧米人の言うことだから間違いはないだろう」と思い、自分でも「日本人は集団主義的だ」と語るようになる。これを聞いた欧米人は、「日本人自身がそう言っているのだから間違いはないだろう」と考えて、「日本人=集団主義」説にますます確信をいだくようになる。このサイクルが繰りかえされていくうちに、だれもが確信をもって「集団主義的な日本人」を口にするようになる。
⑬ しかし、だれもが信じているということは、かならずしも、この説が正しいということを証明しているわけではない。だれもが信じていることは、たんなる大音響のハウリングにすぎないのかもしれないのである。
(高野陽太郎『「集団主義」という錯覚日本人論の思い違いとその由来』による)(原文にあつた注と文献番号は削除した。)
掌=てのひら恰好=かっこう(適当なこと)。
設問
集団主義について、ハウリングという言葉を用いて説明しなさい。それを踏まえた上で、国民性や民族性、国民文化や民族文化について、日本あるいは日本以外の国や地域を具体的な例として取り上げながら、あなたの考えを記述しなさい(句読点や改行による空白を含め、1000字以上1200字以内)。
(3)参考資料
すでに第1章で解説を書きました。
そこで、参考資料を添付してヒントに代えさせていただきます。
まずオリエンタリズムについては、以下の記事を参照にしてください。
本問でも私がこのブログで書いてきた主張の輪郭をなぞって論旨が展開されています。
日本人=集団主義 ↔ アメリカ=個人主義
こうような図式は欧米が設定してもので、日本人を貶めることで結果として自己の文化や国民性を賛美するという構造は、まさにサイードの言うオリエンタリズムそのものになります。
こうした二分法で文化や国民性や民族性を論じる方法はいたるところで見られます。
本問はその例を挙げて、受験生のオリエンタリズムの思考様式を考えさせる出題意図となっています。
ハウリングについては、慶應義塾大学総合政策学部2020年の過去問に付けられていた資料を再掲します。
この資料の「エコー・チェンバー」は本問の「ハウリング」を考える場合、参考になります。
資料5
① どのような話題の誤情報が拡散しやすいのかを調べたところ、政治に関する話題が圧倒的に多く、次いで都市伝説、ビジネス、テロと戦争、科学と技術、エンターテイメント、自然災害の順でした。また、誤情報がリツイートされる確率は事実と比べて70パーセント高く、誤情報をリツイートする傾向は、年齢やフォロワーの数などのユーザの特徴にはよらないことがわかりました。興味深いことに、誤情報の拡散にはボット3よりも人間の影響が大きいことがわかりました。同研究グループは無作為に抽出したツイートの内容を分析して、拡散される誤情報の内容についても調べました。その結果、誤情報に対する反応には「驚き」や「恐れ」や「嫌悪」などの感情を表す言葉が含まれている割合が高いのに対し、事実に対する反応には「悲しみ」や「不安」、「喜び」、「信頼」などに関わる言葉が多く含まれる傾向がわかりました。
(・・・)
3:ここで「ボット」とは、外部からの命令に従い悪質な動作を行うことを目的とした自律プログラムの総称の意で用いられている。
② ソーシャルメディアを利用していると、自分と似た興味関心をもつユーザをたくさんフォローし、結果的に、同じようなニュースや情報ばかりが流通する閉じた情報環境になりがちです。意見をSNSで発信すると、自分とそっくりな意見ばかりが返ってくるこのような状況を「エコーチェンバー(echo chamber)」といいます。閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえているのです。(・・・)また、エコーチェンバーの中にいると、自分とは違う考え方や価値観の違う人たちと交流する機会を失ってしまうので、自分とは異なる視点からの意見やデマを訂正するような情報も入ってこなくなってしまいます。エコーチェンバーは、意見の対立や社会の分断を生む環境でもあります。ソーシャルメディアとの関係で議論されることが多いエコーチェンバーですが、この考え方はSNSが登場する以前からあったことが知られています。ジャーナリストのデビッド・ショーが、1990年にピューリッツァー賞を受賞した著書の中でこの言葉を用いています。また、2001年にハーバード大学のキャス・サンスティーンが、著書『インターネットは民主主義の敵か』の中でエコーチェンバーについて言及し、民主主義の根本に関わる問題だとしています。そして、ソーシャルメディアの発達とともにエコーチェンバーがより顕在化し、問題を一層深刻にしているのではないかと言われています。多様なアイデアを醸成し、新しい価値を生み出す集合知のプラットフォームの役割を期待されてきたソーシャルメディアに、今、エコーチェンバー幇助(ほうじょ)の容疑がかけられています。
(・・・)
③ 偽ニュースが拡散しやすい情報環境を生み出すもう一つの要因が「フィルターバブル(filter bubble)」です。フィルターバブルとは、ユーザの個人情報を学習したアルゴリズムによって、その人にとって興味関心がありそうな情報ばかりがやってくるような情報環境のことです。これはインターネット活動家のイーライ・パリサーが、著書『閉じこもるインターネット』の中で提唱した概念です。ユーザが情報をろ過する膜の中に閉じ込められ、みんなが孤立していくイメージに基づく比喩です。
(・・・)
④ ソーシャルメディアでは情報の質そのものよりも、クリック数やシェア数などの広告収入につながるものを高く評価する仕組みになっています。こうした仕組みは人々の認知バイアスを巧みに利用し、結果的に誤解や対立もしくはその両方を生み出しています。そして、パーソナライゼーション技術を駆使して人物像を特定し、ますますプラットフォームに依存する状況をつくり上げています。アルゴリズムによって最適化された世界は、意図的な操作や政治的プロパガンダ、ターゲティングに対して脆弱(ぜいじゃく)です。(・・・)そもそも、ユーザは個人情報を差し出し、プラットフォームはターゲティング広告で儲ける」というビジネスモデルが、個人情報の取り扱い方の問題も含め、情報生態系の持続的発展に利するのかどうかを考え直す時期にきているのではないでしょうか。
文献(一部編集・改変):笹原和俊(2019年)『フェイクニュースを科学する―拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』化学同人(Kindle版)。
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