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【ガバナンス】SFC(慶應義塾大学総合政策学部&環境情報学部)+経済学部小論文キーワード①

(1)はじめに

今日からSFC(慶應義塾大学総合政策学部&環境情報学部)小論文の対策について解説を加えていきます。

過去問は資料が膨大になるので、問題の全体を一気に解説するには、スペース的にも労力的にも大変なことになりそうです。

過去問の添削と解説は、アメーバリキューのオンライン授業で実施したいと考えていますので、下のリンクを参考にしてください。

そこで、当ブログでは、SFCの小論文対策を細かいテーマ別に分けて少しずつ解説していきたいと考えています。

方法としては、キーワードを中心に小論文を考える際の思考の方向性や事例研究を通して、合格にたどり着く道筋を示していくつもりです。

今回のキーワードは「ガバナンス」です。

(2)ガバナンスとは

受験生のみなさんは、ガバナンスという言葉に聞き馴染みがないかと思います。

現代社会や政治経済を勉強したことがある人は「コーポレートガバナンス」という言葉を真っ先に思い浮かべるのではないでしょうか。

「コーポレートガバナンス」は企業統治という意味で使われる用語で、企業が不正をしないようにチェックするしくみのことで、この場合のガバナンスは企業経営に限定した内容になっています。

ガバナンス(governance)とは単体の企業や行政組織だけでなく、国政や地方政治、中央政府と地方自治体との関係といったより広範な統治のあり方やしくみ(統治体制)、運営方法などを含みます。

慶應義塾大学総合政策学部の「総合政策」とは、簡潔に言うと、このガバナンス論に当たるものと考えて差し支えないと思います。

それは、SFCの過去問(総合政策学部2010年)の次の言葉に端的に示されています。

ここで言う政策は、国や自治体に加えて、企業やNGO(市民団体)などいろいろな人達を含んでおり、ガバナンスとは、それぞれの意思決定を調整する仕組み(意思決定の規律)がガバナンス論といわれるものだと指摘しています。

国際政治では「グッドガバナンス(good governance) 」という言い方がされますが、これは「汚職のない民主的な政治」というような文脈で用いられることが多い用語になります。

(3)新型コロナウイルスとガバナンス

いま、新型コロナウイルス感染拡大で何か国や東京都・大阪府などの地方自治体との関係がぎくしゃくして、うまく連携が取れていないと感じることが多いかと思います。

さらに、当初、専門家会議が立ち上げられましたが、その権限や役割が不明確で、政治家は何の権限もない専門家委員会に政策の責任転嫁しようとする動きがあったり、本来政治家が発言しなければならない重要事項を専門家委員会が発表して批判を受けたりといった事態が印象に新しいかと思います。

こうした新型コロナウイルス対策をめぐるおかしな状態はすべてガバナンスの問題とくくっていいかと考えます。

実際に、この新型コロナウイルス対策のガバナンスのあり方をめぐる問題は来春(2022年)のSFC入試で最も出題される可能性が高いテーマでもありますので、これからもこのブログで考えていきたいと思います。

(4)官僚制とガバナンス

上記で述べたように、ガバナンスは広い意味を含む概念となります。

したがって、このブログですべてを網羅的に解説することは難しい。

今日は、慶應義塾大学経済学部の過去問を取り上げて、組織論という観点からこのガバナンスの問題を考えてみたいと思います。

解答例と解説は次回。


「ソクラテス論者と組織」慶應義塾大学経済学部2017年

次の課題文を読んで,設問A,Bに答えなさい。解答は解答用紙の所定の欄に横書きで記入しなさい。

[課題文]

① 「人間にとって,吟味されない人生は生きるに値しない」とソクラテスは公言していました。熱に浮かされた修辞を好み,議論に懐疑的であったデモクラシーのなかで,彼はこうした批判的問いかけという理想への忠誠を貫いたために命を落としたのです。今日では,ソクラテスの例が西洋における伝統的なリベラル教育の理論と実践の中心をなしていますし,似たような考え方がインドや他の非西洋文化におけるリベラル教育の考え方の中核をなしてきました。すべての学部生に哲学やその他の人文学の科目をひととおり受けさせることが力説されてきたのは,そうした講義が,その内容およびその教育方法を通して,伝統や権威を盲信するのではなく,自分自身で考え議論するように学生たちを促すと信じられているから―そして,このようなソクラテス的なやり方で議論する能力が,まさにソクラテスが言ったように,デモクラシーにとってかけがえのないものだと信じられているからです。(中略)

② 不決断というものはたいてい,権威への服従と仲間の圧力によってさらに悪化するものです。先述したように,これはあらゆる人間社会に内在する問題です。議論そのものが重視されない場合,人間というものは,話者の名声や文化的威光に,あるいは仲間文化の傾向にたやすく影響されてしまいます。対照的に,ソクラテスの批判的探求は完全に反権威主義的なものです。重要なのは話者の地位ではなく,ひたすら議論の中身なのです(プラトンの『メノン」で,問いかけられた奴隷の少年が有名な政治家たちよりも見事な返答をするのは、彼が倣慢でないからだということもあるでしょう)。哲学の教師たちが権威的人物になってしまえば,彼らはソクラテスの遺産を裏切ることになります。ソクラテスがアテネ市民にもたらしたのは,真に民主的な弱さと謙虚さの例なのです。階級,名声,威光には何の価値もなく,議論こそが何よりも重要なのです。

③ 周囲の集団も重要ではありません。ソクラテス的論者はたえず異議を唱える人です。各人の議論だけが物事をはっきりさせると知っているからです。あることを考えている人が多かろうが少なかろうが問題ではありません。数よりも議論にしたがうように訓練された人が,デモクラシーには有用なのです。そのような人は,アッシュの実験(注1)が示したように,間違ったことや軽率なことを言わせようとする圧力に抵抗することができるでしょう。検証されない生活を送っている人々のさらなる問題は,しばしば互いに敬意を欠くことです。政治討論がスポーツの試合さながら自陣営に得点をもたらすためのものだと考えられるようになると,「相手陣営」は敵と見なされ,これを打ち負かしたい,辱めたいとすら願うようになるのです。妥協点や共通点を探ろうなどとは思いつきもしないのです。ホッケーの試合でシカゴ・ブラックホークスが敵チームとの「共通点」を探ったりしないのと同じです。これとは対照的に,対話の相手に向けるソクラテスの態度は,彼が自分自身に向ける態度とまさに同じものです。各人が検証を必要としており,誰もが議論の前では平等なのです。このような批判的態度は,各人の立ち位置を明らかにします。その過程で,共有された前提や意見が交わる点が明らかになっていき,そのおかげで市民はひとつの結論を共有する方向に進んでいくのです。(中略)

④ さて今度は,この能力と,強力なグローバル市場に包囲されている現代の多元的なデモクラシーとの関連について考えてみましょう。まず最初に言えることがあります。経済的成功がまさに目標とされている場合でも,一流の会社経営者たちは,批判的な声が沈黙させられないような企業文化を,つまり主体性と説明責任を果たす文化を作り出す重要性を知悉しています。アメリカ合衆国で私が話す機会のあった優れたビジネス教育者たち――私たちの最大の失敗のいくつか――NASAのスペースシャトル計画のいくつかの段階での失敗,エンロンやワールドコムのさらに破減的な失敗(注2)の原因として,イエスマンの文化を挙げていました。イエスマンの文化においては,権威と仲間の圧力がはびこり,批判的なアイデアは決してはっきり口にされないのです(このことは最近,マルコム・グラッドウェルが航空会社のパイロットの文化について行なった研究によって確かめられています――安全が脅かされるのは,たいてい権威への服従の度合いが高いときなのです。

⑤ ビジネスにおける二つ目の問題は,イノベーションです。繁栄したイノベーション文化を維持するのに不可欠な,想像力と独立した思考の技能を,教養教育が強化すると考えるに足る理由はいくつもあります。ここでもまた,一流のビジネス教育者たちは口を揃えて,広範なプログラムを受講して想像力を養うよう学生たちに勧めていますし,多くの会社が,専門に特化した訓練を受けてきた者よりも,教養課程で学んできた学生を好みます。こうした問題に関して対照実験を行なうのは困難とはいえ,アメリカ経済の特徴のひとつは,一般教養に重きを置いてきたところ,そして科学の分野では,より専門的な応用技術よりも基礎教育・基礎研究に重きを置いてきたところにあると思われます。これは詳しく調べるに値する問題です。その調査の結果がきちんと出れば,私の提言はより強固に支持されることになるでしょう。


⑥ しかしくり返しますが,持続的安定を望むデモクラシーの目標は、単なる経済成長だけではありえないし,また,あるべきではないのですから,ここで私たちの中心的な主題である政治文化について再び考えてみましょう。すでに見てきたように人間は権威と仲間の圧力に追従しがちです。おぞましい事態を回避するためには,個々人が異議を申し立てることのできる文化を作り,こうした傾向を押しとどめる必要があります。(中略)アッシュは,被験者のグループにたった一人でも真実を王張する者がいれば,その者に他の者たちが従うことを発見し,ひとつの批判的な声が重要な結果をもたらしうると証明していました。個々人の主体的な声を重視することは。責任の文化を推奨することにもなるのです。自分の考えに責任を持つ人々は,自分の行為にも責任を持とうとするのです。まさにこれこそ,タゴールが『ナショナリズム』のなかで言いたかったことです。そこでタゴールは,社会生活の官僚主義化と近代国家の情け容赦なく機械的な性質が,人々の道徳的想像力を鈍磨させ,その結果人々は何の良心の呵責もなくおぞましい事態を黙認するようになると強調しています。世界がまっしぐらに崩壊へ向かうのを避けたいのなら独立した思考が重要である,と,ゴールは言い添えています。
(マーサ・C・ヌスバウム著,小沢自然・小野正嗣訳,『経済成長がすべてか?――デモクラシーが人文学を必要とする理由』岩波書店,2013年より抜粋。常用漢字表にない漢字には,一部ふりがなをつけた。

注1:アメリカの心理学者ソロモン・アッシュ(1907~1996年)が行なった,集団の圧力が人間の行動や判断に与える影響に関する実験。
注2:エンロン社とワールドコム社の経営破綻は,アメリカ史上最悪の不正会計事件とされる。

[設問]A.ソクラテス的論者とはどのように議論をする人なのか。課題文に基づき,200字以内で説明しなさい。
B.ソクラテス的なやり方で議論する能力を持つ人材は,組織(企業,行政機関など)において,どのような活躍ができるのか。また,そのためには,組織はどのような条件を備えることが必要か。課題文のみにとらわれず,あなたの考えを400字以内で論じなさい。

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(5)ヒント

前項のタイトルを「官僚制とガバナンス」と名付けたように、この慶應義塾大学経済学部の問題には官僚制の含む問題をどう批判的に乗り越えるか、という含意があります。

その際に参考となるのは、ウェーバーの研究になります。

マックス・ウェーバーは『支配の政治学』のなかで官僚制の特徴を以下のようにまとめています。

① 職務の内容や責任、立場などについて細かく階層化、分業化されている
② 上意下達の指揮系統が明確で、ピラミッド型のヒエラルキーで構成されている
③ 資格や能力を重視した採用がなされ、血縁や血統、家柄などその他の要素に左右されない
④ 文書主義(書面を使った事務手続きが中心)

このような組織は硬直したものとなり、民主的なガバナンスが困難となります。

現代の企業はこのような官僚的な組織の持つ問題を意識しながら、これを批判的に乗り越える組織作りや運営を模索しています。

上掲の問題はこうした背景の下に作成されていると考えてよいでしょう。

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