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「 グローバル化による国民国家の限界」山口県立大学国際文化・前期2016年

(1)問題


① 金融危機。テロ,環境問題,感染症,犯罪,サイバー攻撃……。


② あらゆる問題や災いが国境を越えて広がる中,解決を担うのは依然として国境を簡単には越えられない各国の政府だ。


③ だがもとより,温暖化は1回だけで何かしてもあまり,効果はない。テロ組織の資金は軽々と国境を超えるが,それを捜査する当局は他国まで手を伸ばせない。国境を越えて行き来する人が増え続ける時代に,犯罪者を国境で追い返すのは容易ではない。ましてや感染症の病原菌を水際で食い止めることなど至難の業だ。


④ にもかかわらず,私たちはしばしばそんな問題の解決をそれぞれの国の政府にばかり迫りがちだ。その結果,国を支えているさまざまな仕組みのあちこちで不具合が生じる。


⑤ 3・11から約2カ月後にインタビユーしたドイツの社会学者,ウルリッヒ・ベック氏は「前の時代の解決策として作られたさまざまな仕組みが,今や問題となっている」と話した。(1)トラブルシューターがトブルメーカーになっているというわけだ。


⑥ エネルギー問題の解決策だったはずの原子力。多くの人に豊かさをもたらすはずだった市場経済。国という大きな社会の基本的な進路を,だれもが受け入れられるように決めるための選挙。人々の政治への要望や意見をまとめる役割を担ってきた政党。国や国民全体にとつての利益を見通し,それを実現させることを期待されてきた官僚などのエリート。それらが着実に機能不全に陥りつつある。


⑦ 原子力が結局どれほどのリスクをはらんでいたか,私たちは福島第一原発の事故で目の当たりにすることになった。国境をなくし,予測のつかない速度と大きさで動くようになった市場は一部の人に途方もない富をもたらす一方で,多くの人に失業をもたらしたり,不安定な雇用を余儀なくさせたりして,生活基盤を不安定にしてしまった。選挙は信頼できる政治家や政党を選ぶより,気にくわない候補者を落選させる場となりつつあるように見える。そして,留飲は下がっても解決策をもたらせない選挙に,人々は足を運ばなくなっている。政党はよって立つべき階層を見失い,ネット空間というとらえどころのない場所に入り込んでさまよう。能力のあるものたちは奉仕すべき共同体への帰属意識を薄め,国境を越えて自己実現に没頭し始める。私たちの社会が築き上げてきた問題解決の仕組みが,次々と力をなくしていく事態をどう考えればいいのか。それが,私たち「カオスの深淵」取材班のテーマだった。


⑧ だが,同時にそれは私たちが作ってきた新聞などの既存のメディアのあり方を問う作業でもあった。なぜなら新聞やテレビ,ラジオもまた長い間,国民国家を構築し支えていくうえで重要な役割を演じてきたからだ。


⑨ たとえば,ベネディクト・アンダーソンの名著『想像の共同体ナショナリズムの起源と流行』(白石さや,白石隆訳)には,こんな記述がある。


⑩ 「新聞の読者は,彼の新聞と寸分違わぬ複製が,地下鉄や、床屋や,隣近所で消費されるのを見て,想像世界が日常生活に目に見えるかたちで根ざしていることを絶えず保証される」


⑪ 会ったこともない。これから会うこともない多くの人が,お互いに同じ国民だという意識を持つ。そこにメディアが果たす部分はけっして小さくない。毎日毎日,同じ新聞や雑誌を読んだりテレビを見たりしながら,話題を共有し,自分たちの問題は何かという意識をはぐくむ。そして,それを繰り返すことは,確かに自分たちが一緒に生きている国があるという感覚を育てることにつながっていく,というわけだ。


⑫ 3・11が3周年を迎えた,東京都知事選挙があって新しい知事が決まった,オリンピックでどんな選手が活躍した,といったさまざまな話題を共有する。あるいは消費増税だとか領土問題などについて心配したり憤ったりしながら同じ問題意識を持つ。


⑬ つまり,メディアは,たとえその時々の政府の方針に反対意見を述べようと賛成意見をのべようと,「私たち」にとってこれは重要な問題だという意識を日々,人々の間に浸透させてきたといえる。それが「私たち日本人」という意識の形成を促す。


⑭ この「私たち」という感覚があってはじめて,多くの人の間で議論をし,選挙を行い,合意を見つけることもできる。


⑮ ところがグローバル化は,このやり方も大きく揺さぶっている。


⑯ 重要な問題が,国境の枠内に収まらないのであれば,国境の中だけでの「私たち」の間で議論をして合意を形成し,結束を固めても,必要とされる解決策の規模は,それをはるかに超える。日本人や韓国人,フランス人などといった(2)国民という「私たち」だけでは,多くの問題解決の主体にはなれなくなっている。


⑰ たとえば,日本の雇用問題や財政再建について,日本の政府の成長戦略の巧拙を考えるだけでいいだろうか。政治がうまく回らないときに,政権交代は根本的な解決策になるのか。結局,問いの立て方自体を,その主語から考え直すことを迫られている。


⑱ けれども,日本語のメディアにとって,日本人以外に枠を広げた「私たち」を新しく作り上げることはきわめて難しい。


⑲ つまり,新聞も国という社会を支える仕組みのひとつであったし,今も基本的にはそれに変わりはないのだ。グローバル化が国の力を大きく奪い続けているとすればメディアもまた,その渦中から逃れられない。


(朝日新聞「カオスの深淵」取材班『民主主義って本当に最良のルールなのか,世界をまわって考えた』東洋経済新報社,2014年,310~313頁より。出題の都合で,問題文の一部を改変している。)


問1. 太字(1)トラブルシューターがトラブルメーカーになっているについて,なぜそのようにいえるのかを200字以内でまとめなさい。


問2. 太字(2)国民という「私たち」だけでは,多くの問題解決の主体にはなれなくなっているをわかりやすく説明したうえで,あなたが山口県立大学国際文化学部国際文化学科でどのような主体に成長していきたいか,600字以内で述べなさい。


(2)考え方


●視点をずらす

主体を国民国家や国籍単位で考えると、隘路(あいろ)に嵌(はま)って解決策がまとまらない。

そこで視点をずらすことがポイントとなる。

みなさんは日本人という主体のほかにどんな主体を持っている、あるいは将来持つ可能性があるだろうか。

ヒント1:

①コンビニで買い物をすれば○○○という主体となる。

②将来結婚して子どもができれば○○○という主体となる。

ヒント2:

①お客さん、②親、という具体表現で考えるのではなく、抽象表現で考える。

①②いずれも○○者という表現となる。


●複数の主体で考える

主体と言うと、「日本人の私」、あるいは「家族や学校の中での立場や役割」という狭い枠組みの中だけで捉えるのは頭の固い発想。

国籍や民族性に関連するアイデンティティだけから主体の問題を限定して考えてはいけない。

主体は常に複数あるという視点でものを考えると、さまざまな問題の糸口が見えてくる。

例えば学校の問題(いじめや非行、不登校など)、家族の問題(児童虐待や毒親など)や居場所の問題を考える際に、このような「複数の主体で考える」は突破口となる。



(3)解答例


問1

エネルギー問題の解決策だったはずの原子力、くの人に豊かさをもたらすはずだった市場経済、国の進路をだれもが受け入れられるように決めるための選挙、人々の政治への要望や意見をまとめる役割を担ってきた政党、国や国民全体にとつての利益を見通し実現させることを期待されてきた官僚などのエリートなどの国や社会を支える仕組みがグローバル化によってその力を大きく奪い続け、国や社会が機能不全に陥りつつあるから。(196字)

問2

 日本人という国民意識の下で人々は議論や選挙を通して合意を形成することもできるが、グローバル化によって重要な問題が国境の枠内に収まらず、このような手続きを経ても解決策の規模はこれを超えるので、国民は問題解決の主体にはなれなくなっている。

 主体は日本人という単一なものではない。市場経済の下で私は消費者としての主体を持つ。食品添加物や農薬など、消費者の安全・安心を脅かす問題が世界規模で起こっている。これに対し国境を越えて食品情報など共有し、生産者や業者を国際間で監視する仕組みを民間で立ち上げることも可能である。結婚して子どもができれば保護者としての主体が発生する。グローバル化に伴う格差の進展で子どもの貧困が深刻化し子どもへの暴力の問題も各地で起こっている。保護者としてこうした課題は国際間で意識を共有し解決をはかる枠組み作りを模索することもできる。

 入学すれば学内外で仲間とともに国際的な課題解決を考える、学ぶ者としての主体が形成される。ネットでの情報交換や議論もいまでは日常茶飯のこととして行われており、こうした活動を通して国家を超えた視点で国際的な課題を考えてゆく地球市民という主体が生まれる。大学での学びは市民になるために必要なスキルや教養を獲得する場となる。ここで仲間とともに日本や世界が直面する課題解決に向けてのヒントを探してゆきたい。(599字)

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