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【豊かさとは何か】広島大学歯学部後期2014年

(1)問題

「豊かさとは何か」広島大学歯学部後期2014年

問 以下の支章を読んで、豊かさとは何か、あなたの考えを600字以内で述べなさい。

 もともと経済活動は、人間を飢えや病苦や長時間労働から解放するためのものであった。経済が発展すればするほど、ゆとりある福祉社会が実現されるはずのものであった。

 それなのに、日本は金持ちになればなるほど、逆である。人びとはさらに追い立てられ(先進国で最も長い労働時間)、子どもは偏差値で選別され(世界中の子どもを取材している絵本作家ビヤネール多美子さんは「日本の子どもほど自己決定権を奪われたかわいそうな子はいない」と言う)、自然はなおも破壊されていく。

 効率を競う社会の制度は、個人の行動と、連鎖的に反応しあっているから、やがては生活も教育も福祉も、経済価値を求める効率社会の歯車に巻きこまれるようになる。競争は人間を利己的にし、一方が利己的になれば、他の者も自分を守るために利己的にならざるを得ないから、万人は万人の敵となり、自分を守る力はカネだけになる。そんな社会では、人間の能力は、経済価値をふやすか否か、で判定され、同じように社会のために働いている人であっても、経済価値に貢献しない人は認められることが少ない。

(暉峻淑子著「豊かさとは何か」岩波書店より抜粋)

(2)考え方

①オーソドックスな方法(参考文の趣旨に副った書き方)

 「豊かさとは何か」という問題は入試小論文の定番で、今までいろいろな大学・学部で数多く出題されている。

 一見、簡単そうな問題だが、「豊かさ」という漠然とした聞き方であるので、どう答えたものかわからず、かえって難しい。

 ありがちな答えは、「『豊かさ』とは物の豊かさではなく、心の豊かさである」という解答だ。

 「物」と「心」を対比しているところはよい。だが、「心の豊かさ」という表現が月並みでありふれている。

 小論文では、二字熟語、三字熟語を用いて表現する習慣をつけてもらいたい。

 ここでは、上の解答を以下のように訂正する。

「『豊かさ』とは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさである」

 「精神的な豊かさ」といっても、やはり漠然として捉えどころがない。

 「精神的な豊かさ」で書く場合も、具体例で厚みをもたしてもらいたい。その際も、現在問題となっている事例に関連付けると説得力を増す。

 例えば、ワークライフバランスのとれた社会で、過労死や過労自殺がなく、仕事だけでなく私生活が充実した社会。というような書き方がある。

 月刊誌『新潮45』の2018年8月号で杉田水脈衆議院議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」 という論説が掲載され、(注)LGBTは「生産性」がないという内容が大問題となり、.『新潮45』は休刊に追い込まれた。この事件を題材にして考えれば、『豊かさ』とは筆者の言うように「人間の能力は、経済価値をふやすか否か、で判定され」るのではなく、「LGBTなどの性的少数者も含めた多様性」であり、「生産性」などの数値や効率で換算されるものではない。

 上記のような流れで書く場合は、豊かさは量ではなく、質であるというまとめかたになるだろう。

注.LGBT…(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとった、セクシュアルマイノリティの総称

②多くの受験生の逆をいく思考法(参考文を批判的書く方法)

 ①のような思考法は入試小論文を少し勉強した受験生であれば誰もが思いつき、書ける内容である。

 難関大学や倍率の高い推薦入試やAO入試小論文ではもうひとひねり必要だ。

 『豊かさ』とは何かというテーマでは、筆者の主張は経済価値を否定する文脈であり、この線で書けば確かに書きやすい。だが、あえて筆者を批判する形で、「いや、やはり豊かさとは経済価値であり、所得といった金銭に還元されるものである」という方向で書くと、オリジナリティを出すことができる。

 この場合、現代日本の社会が抱える貧困の問題を前面にして論旨を展開する。

 朝日新聞の2020年7月17日の記事では、2018年の調査で子どもの7人に1人が貧困状態にあり、これはとても高い水準にあることが指摘されている。

貧困率の推移

上のグラフに見られるように、日本では「子どもの貧困」が問題となっている。

 朝日新聞の記事によると、厚生労働省が3年ごとに発表する国民生活基礎調査では、2018年の子どもの(注)相対的貧困率が13・5%であり、子どもの約7人に1人が貧困状態にあり、これは国際的にみて高い水準にある。

注.相対的貧困率…世帯の可処分所得(手取り)などをもとに子どもを含めた一人一人の所得を仮に計算し、順番に並べた時、真ん中の人の額の半分(貧困線=18年調査では127万円)に満たない人の割合。

 このような事態は、近年の格差の拡大と表裏一体にあるものであり、非正規雇用の増加やグローバリゼーションの進展を背景とする。

 精神的な豊かさは経済的な豊かさを前提として成り立つものであり、先立つものや十分な食事も摂れずにいる貧困状態では、芸術やスポーツなどの文化活動ができる余裕がなく、ましてや塾に行くお金もなく、私立の進学校に入学することもできず就学機会が奪われている。このために、十分な所得を補償される就業機会からも遠ざけられ、卒業後はワーキングプアの状態に陥る。参考文では「子どもほど自己決定権を奪われ」ているとあるが、「子どもは偏差値で選別され」ることの是非を論じる以前に、経済的な事情により十分な就学機会が得られないために、社会的な成功をつかむチャンスが高い側に「偏差値で選別され」ることができないという事実がある。

 このような考えを巡らせば、豊かさの前提はやはり安定した生活を送ることができる就学・就職機会を保障すること、そのための福祉や社会保障の充実に答えは行くつくことになる。

※小論文受験生は上記の①②のどちらの内容でも書けるようにすること。

子どもの貧困

(3)解答例①

 豊かさとは多様性が担保されることである。高度経済成長期に経済的利潤の追求を第一として活動する日本人はエコノミック・アニマルと呼ばれて批判された。高度成長が終わり、50年以上経ってもこうした経済第一主義という日本社会の本質は変わらない。

 電通の若い女子社員が自殺を遂げた事件に見られるように、過労死・過労自殺は後を絶たない。多くの命が企業の利潤追求の前に犠牲となっている。また、月刊誌で国会議員が書いた「LGBTは『生産性』がない」という内容の記事が問題となり、掲載した雑誌は休刊に追い込まれた。このような状況に照らしてして考えれば、現代社会では筆者の言うように「人間の能力は、経済価値をふやすか否か、で判定され」る。日本社会は効率や利潤の一色で染め上げられ、余暇や家庭生活といった私的な領域が侵食され、多様性が損なわれている。このような社会は豊かとは言えない。

 本当の豊かさは多様性の中から生まれる。移民が作り上げた国アメリカは人種の坩堝と呼ばれるほど多様性を内包している。さまざまな価値観や異質な人間がせめぎあうなかで、新しい文化やイノベーティブな創造性が生まれる。日本でも国際化の波を受けて、外国人労働者の本格的な受け入れに舵を切った。外国人ばかりでなく、多様な顔を持つ個人の尊重を進めることで、現代社会に充満する閉塞感をブレークスルーし、豊かな社会の到来を実現させる機運となることを確信している。(600字)

●解説

序破急の3段落構成で書いた。この場合、初めの第1段落で結論(豊かさとは多様性が担保されることである)を書く。そして、第3段落でも「多様な顔を持つ個人の尊重を進めることで、現代社会に充満する閉塞感をブレークスルーし、豊かな社会の到来を実現させる機運となることを確信している」という言葉で、第1段落で提示した結論を念押しする双括法を採用している。双括法で書く場合、第1段落で述べた結論を第3段落では表現を変え、内容をふくらませて書くことがコツとなる。

(4)解答例②

 経済価値を必要以上に過小評価している筆者に対して疑念を持つ。現代の日本では、経済的な困窮が大きな社会問題となっている。すなわち子どもの貧困である。2018年の調査では、子どもの7人に1人が相対的貧困状態にあり、これは国際的に高い水準にある。食事を3食摂ることができない。着替えがなく、いつも同じ服を着ている。病気になっても医者にかかる費用もない。こんな子どもが多くいることを忘れてはならない。

 貧困家庭の子どもは経済的な事情により満足な就学機会を得ることができず、知識や技能が未熟のまま社会に放り出される。結果、就業機会にも恵まれずに安定した生活を送ることが困難となっている。彼ら彼女らが結婚してこどもをもうけ、貧困の再生産が繰り返されている。

 参考文では「子どもは偏差値で選別され」るとあるが、その是非を論じる前に、貧困家庭の子どもは経済的な事情により十分な就学機会が得られないために、社会的な成功をつかむチャンスが高い側に「偏差値で選別され」ることができないことを筆者は看過している。

 このように考えれば、安定した生活を送ることができることが豊かさの前提であるのは明白である。すなわち就学・就職機会を保障し、そのための福祉や社会保障の充実が現代社会には不足しているという結論に帰着する。政治の課題は格差を縮小させ、経済的な豊かさを国民に広く行き渡らせることに尽きる。(600字)

●解説

参考文の筆者の多くは大学の教員、大手新聞社の論説員など社会的に恵まれた側にいる。つまり強者の側から社会的な問題を論じているので、「豊かさとは何か」というような議題になると、環境が大事、お金よりも大切なものがある、という正論ではあるが、いわば「キレイごと」を主張することが多くなる。これに対して、社会的弱者の側の視点で、筆者の足元をすくう内容で書く切り込み方がある。筆者の肩書などに惑わされずに、正面から堂々と参考文を批判すること。そのためには、相対的貧困率のようなデータやファクトを固めて書くことが必要最低条件となる。

※問題をメールでお送りいただければ、志望大学の小論文過去問の解答・解説を作成いたします。(1カ年分5,000円、noteブログの有料記事に掲載します)ただし、慶応義塾大学商学部など、計算問題を含む問題や参考文が英語で書かれている問題はお引き受けできません。

zhangnianp@gmail.com

朝田隆あて

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