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「デジタル技術の進展と21世紀の大学」筑波大学・知識情報・図書館学類2020年

(1)問題


次の文章を読んで、問1から問4に答えなさい。
 
大学とは何か
 
①  今日、大学はかってない困難な時代にある。一九九〇年代以降、大学設置基準の大綱化とその結果生じた教養教育の崩壊、大学院重点化、国立大学の法人化、少子化による全入化傾向や学生の学力低下、若手研究者ポストの不安定化、グローバル化と留学生の急増等々、数多の大波が次々に押し寄せ、大学はその制度のなりたちを根本から揺るがされる時代に入った。大学運営の仕組みも大学教師の生活も、すでに以前とはすっかり異なるものになりつつある。

②  こうしたなかで、「大学」は昨今、ますます教育学者からジャーナリズム、政財界まで含めた幅広い人々の論議の的となってきた。これほど「大学」が世間の耳目を集めるのは、かつての叛乱によって大学の根本が問われた六〇年代末以来ともいえる。大学が直面する今日的困難を教育学者はしばしば制度史的な側面から分析し、学長経験者や文科省OBは自らら回顧し、教育ジャーナリストは当事者の聞き取りから浮かび上がらせてきた。

③  しかし、それらを通覧して何かが欠けているようにも思われる。それは、「大学とは何か」という問い、つまり大学概念自体にかかわる問いを、大学が直面する日前の困難と切り結んでいく作業である。今日の多くの大学論で、大学という制度は所与の前提とされ、その現代における激変が語られる。しかし、今必要なのは、「大学」の概念そのものの再定義、あるいは「大学とは何か」という古くからの問いに対する新たな仕方での返答の試みなのではないか。

④  たしかに、こうした問いがまるでなされてこなかったわけではない。むしろ近年、何人かの論者によって、大学における「教養」の再構築が叫ばれてきた。大綱化により教養教育が危機に瀕し、大学院重点化により学部教育自体も軽視されがちになり、専門職大学院等の設立でますますこの傾向が強まるなかで、教養の場としての大学という根幹的な概念が空洞化してしまぅたという批判である。この批判は、おそらく正しい。しかし、批判の先にあるべき道は、必ずしも「教養」の再構築だけではない。「教養」の再構築という以上に「大学」の再定義、大学を、それが過去二世紀に存在したのとは異なる仕方で、つまり旧来の「教養」再興に回帰させないポスト国民国家時代の可能的な場として再定義することが必要なのではないか。
(中略)
 
(1)メディアとしての大学
 
⑤  本書における探究の軸となっている第二の視点は、コミュニケーション・メディアとしての大学すなわち図書館や博物館、劇場などの文化施設はもちろんのこと、活版印刷からインターネットに至る諸々のメディアの集積のなかで、同じようにメディアの一種として大学という場を考えることである。大学は、知識の生産・再生産過程の重要な部分を担ってきたが、あくまでその部分にすぎないのであり、同時代の知のコミュニケーション秩序の重層的な編成のなかに占める位置により定義し直されるべきである。大学は教育研究の「制度」以前に、「教える」ないし「学ぶ」といぅコミュニケーション行為の場である。そして、そうした実践が具体的な場所(教室、キャンパス)や技術的媒体(書物や黒板、パソコン)と結びついて営まれているという意味で、それはまずメディアなのだとも考えられる。

⑥  メディアとしての大学が、学知が営まれるより広いメディアの積層のなかで最初に困難に直面したのは一六世紀であった。その前世紀半ば、グーテンベルクによって印刷術が発明されたことで、口承や手書きの文化が活字の文化に移行する人類の知識史上決定的な革命が起きた。この印刷革命は、宗教改革や近代科学誕生の前提となり、やがて出版文化を基盤に近代知の偉大な「著者たち」が登場してくる。こうした知の地殻変動のなかで、大学は何ら積極的な役割を果たしていない。それどころか、かつて中世の知識人たちが、教会(神のメディア)と大学(理性のメディア)という二つの「メディア」を用い、「神の言葉」や「理性の言葉」の媒介者となっていたのに対し、出版という新しいメディア機構は、教会とも大学ともまったく異なる媒介の地平に、膨大な読者を巻き込む新たな知の担い手(=著者)を出現させるのである。

⑦  やがて一七~―八世紀、出版産業が勃興し、書店や読書の文化が広がって、知識の生産や流通の方式が決定的に変化した後も、大学は伝統的な体制を変革しようとはしなかった。それどころか宗教改革期の宗派対立を超える対話的空間を創出することもなく、人文主義や科学革命への対応も遅れ、ラテン語中心の教育へのこだわりと国民語への蔑視も後の時代まで引きずったため、大学は知識生産の前線ではすつかりなくなっていったのだ。この時代の大学に欠けていたのは、出版流通を基盤とする新しいメディア状況、そこにおける新たな知識創成への敏感な対応である。この敏感さを備えていたのは大学人ではなく、むしろルネサンスの人文主義者から啓蒙期のエンサィクロペディストまでの、民間の知識人や芸術家たちであった。

⑧  ここに示されるのは、大学はそもそも単独で、新しい知識の形成や流通、継承を可能にする最も基盤的なレベルたり得ないという事実である。大学よりももっと基盤の層には、多種多様なメディアによるコミュニケーション=交通の積層があり、大学とは、そのようにして積層する知識形成の実践を集中化させ、再編成し、より安定的に継承可能なものとしていくメタ・メディアである。この認識を欠いたため、近世の大学は(2)印刷革命によって生じた新たに生じた状況に対応できず、新しい知を媒介するメタレベルの組織へ発展することに失敗したのである。

⑨  そして今日、デジタル化とインターネットの普及のなかで私たちが直面しているのは、印刷術が知の根底を変え始めた一六世紀にも似た状況である。一六世紀に出版は、教師や学生が都市から都市へと新しい知を求めて旅した時代とは比べものにならない大量の知識の流通を可能にし、人々が居ながらにして遠方の知を手にできる状況を出現させた。他方、私たちはインターネットの普及によって、出版の時代とは比べものにならないくらい容易に、グローバルな広がりをもって新しい知識にアクセスできる。出版の時代には、まだ大量の本や雑誌を所蔵する装置として図書館が必要で、大学は専門性の高い書物を集める図書館を、その不可欠の付属施設として発展させてきた。しかし今、すべての知識がデジタル化され、全文検索すらも可能になりつつあるなかで、(3)冊子体としての書物とそこに書き込まれる知識は分離し、後者は文字通りユビキタス化しつつあるのである。(4)この十六世的な地平とは異なる新たなメディアと知識の関係に、二十一世紀の大学は果たしてうまく対応していくことができるだろうか。
 
出典:吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書(新赤版)1318,岩波書店,a15年10月15日第7刷,1~2頁および16~19頁から抜粋し,一部変更して引用。
 
問1    太字(1)「メディアとしての大学」とはどのようなことを意味するか。100字以内で説明しなさい。

問2    太字(2)「印刷革命によって生じた新たな状況」とはどのようなものか。100以内で説明しなさい。

問3    なぜデジタル文化では「冊子体としての書物とそこに書き込まれる知識は分離し、後者は文字通りユビキタス化しつつある」(太字(3))のか。200字以内で説明しなさい。

問4    太字(4)「この十六世紀的な地平とは異なる新たなメディアと知識の関係に、二一世紀の大学は果たしてうまく対応していくことができるだろうか。」に関連して、大学がどのような存在であるべきかについて、あなたの考えを500字以内で述べなさい。な
 
なお、これらの問題は、論理的思考力、表現力、独創性、広い視野からの発想を評価するもので、個人の思想・信条・宗教などを問うものではありません。

(2)解答例


問1

大学は同時代の知の基盤にあるコミュニケーションの重層により形成された知識の実践を具体的な場所や技術的媒体と結びついて再編成し、より安定的に継承可能なものとしていくメタ・メディアであると再定義される。(99字)

問2

15世紀半ばグーテンベルクによって印刷術が発明され口承や手書きの文化が活字の文化に移行した。これが宗教改革や近代科学誕生の前提となり17~18世紀に出版流通を基盤として新たな知識が創成されるメディアの状況。(100字)

問3

出版文化では、冊子体としての書物という媒体に知識が印刷され、書物と知識が一体化していた。これに対してデジタル文化では知識は書物をスキャンしてインターネットのクラウド上に移される。利用者は書物を所持し、持ち運ぶ手間から解放され、デバイスを所持していて、ネット環境が整っていれば、いつでも誰でもどこからでも端末を媒体にしてネット上の情報にアクセスできるから。(197字)

 

問4

 検索で得られた利用者の個人情報を収集・解析し、ユーザーの趣味や嗜好、政治的信条に合わせた情報が送られてくる。ネット上でユーザーは趣味や考え方などが自分に近い人たちとコミュニティをつくり、閉鎖的なデジタル空間で群れをつくっている。このようなフィルターバブルが人々に分断を生んでいる。

 状況はネットに留まらない。新聞などのメディアは高学歴のエリートによって支配されている。芸術家も団体をつくり、加入するには厳しい審査が必要とされる。このような閉鎖的な環境は大学も同様である。研究者の関心は狭い学会で仲間うちに評価されることだけに汲々とし、市民や学生に向けての情報発信に積極的であるとは言えない。

 メタ・メディアとしての大学の役割を考えるなら21世紀のユビキタス社会の現実に大学がうまく対応しているとは言えない。知の基盤にあるジャーナリズムや芸術、出版界などの閉じた空間に風穴を開け、相互の交流を進めると同時に大学自体も開かれた場として、地域や市民とのコミュニケーションをより活発化させて、各種メディアや叡智を求める世界の人々の媒体となる役割を果たすことが、これからの大学に求められる。(494字)

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