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人生百年、退職後の生き方、久保マサさんと藍印花布2

久保マサさんの生い立ち

1940年、19歳の時、劇作家壺井栄のアシスタントになる。戦中戦後の時代に病弱な壺井夫婦を助ける。戦後養女となる。劇団民芸の仕事に従事。1955年、34歳の時,新中国見本市で藍印花布に出会い魅了される。

(ロ)1972年、51歳の時、自由が丘に「中国藍印花布わたなべ」開店。日中国交正常化により初めて中国にわたる。藍印花布の蒐集、保護、再興(工場生産の開始)に以後、数十年費やす。

(ハ)1990年、69歳の時、上海に「中国藍印花布館」開館。1階は販売コーナー、2回は展示室,3階は住居にする。日本と中国の間を往復し藍印花布の普及に努める。

(ニ)日中友好協会主催の「中国藍印花布展」開かれる。日中友好の懸け橋となった活動への評価高まる。
2008年収集品70点余、蘇州大学に寄贈、2011年、90歳で逝去。

「久保マサ評伝 ー中国伝統工芸品を守り企業に成功し、日中友好の懸け橋となった女性の生涯」の書籍化を望む

実業の日本者が書籍刊行についてのアイデアを募集していました。その時、応募した記事を修正、追加しものが下の記事です。採用はされませんでしたが「興味深い視点です」との評価をいただきました。

なぜ、藍印花布の本格的な本が出版されていないのか不思議?です。
中国少数民族の民族衣装や刺繍の本は多数出版されている。
藍染めの布のみに限るなら中国農民が約百年前まで作ってきた藍印花布の方がはるかに優れていると思う。これを日本に紹介した久保マサさんの業績は大きいと思う。
でも、藍印花布の本や、久保マサさんの評伝は大手出版社から出版されていない。
50歳過ぎてから初めて中国にわたり,藍印花布の収集し,起業に成功。
中國の人々との交流し、中国の伝統工芸品を守ろうとするマサさんの情熱が中国の人々を動かし、支援も受けて起業に成功。
中國に出かけ取材すればドラマチックなエピソードが発見され興味深い評伝になると思います。
文化革命の頃,貴重な藍印花布の型紙が焼かれつつあったとき炎の中から救い出したというエピソードも知られています。
久保マサさんの生涯は書籍化される価値が十分あるだけでなく、テレビのドキュメンタリー番組が作成されれば感動を呼び起こすと思います。
50代、60代で文化的意義のある事業に取り組み、成功し、70代、80代にさらに発展普及させた久保マサさんの生涯は、人生百年時代の生き方として多くの人々に感銘を与えてくれると思うのです。
77歳の私も元気付けられ、80代、90代になっても久保マサさんのようにいきたいと考えています。

、獅子花布

本物の藍印花布の素晴らしさはまだ知られていない。 複製品は上海の店や花園飯店内の店、自由が丘の「ワタナベ」、高島屋などで売られれているのですが、百年前の本物の藍印花布の素晴らしさは、まだ十分には知られていない。ネットショップでも複製品は多数、目にすることができます。本物の素晴らしさを多くの人々に伝えてほしい。大手出版社から、本物の写真を多く取り入れた本を出版することによって、多くの読者を獲得できるだけでなく、文化的功績も大といえると思うのです。 


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