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人生百年、退職後の生き方、藍印花布と久保マサさん

25年前に、退職後やりたいと思ったことは「藍印花布」の復元です。

久保マサさんは中国で滅び去ろうとした藍印花布を復元し、事業化に成功しました。私はオリジナルに近い、手織りの藍印花布を復元したいと考えたのです。
約25年前に中国で買い求めた藍印花布(らんいんかふ、藍染め、型染の布)を30枚ほど所有しています。この布は、1950年ころまでに、中国の農村で作られていました。農家で綿花を育て、糸を紡ぎ、農閑期に織った布を、農村廻りの染め物業者が型紙と藍桶等を持ち、農家の庭先で染めたものです。自家用の布団皮として使ったものです。今は、滅びてしまっている伝統工芸品です。
50代の頃、香港に古陶磁を買いに行くたびごとに、、買った古陶磁器を包む材料として買ったのです。帰国して、よく見ると手の込んだ手作り品である古布に、次第に引きつけられていったのです。

日中友好会館主催の藍印花布展で知ったこと

1998年の、日中友好会館主催の「藍印花布展」を見て、小冊子「中国藍印花布」を買い求め、わたくしが手に入れた藍印花布の素晴らしさを再認識しました。このとき展示された藍印花布は久保マサさん(劇作家久保栄の養女)が収集されたものです。久保マサさんは滅びゆきつつある伝統工芸品を収集し、上海に中国藍印花布館を開設し展示しただけなく、藍印花布の良さを取り入れた現代服 装と工芸品を作り売り出したのです。
1998年の、日中友好会館主催の「藍印花布展」を見て、小冊子「中国藍印花布」を買い求め、わたくしが手に入れた藍印花布の素晴らしさを再認識しました。
日中友好会館発行の小冊子「中国藍印花布 清末から現代まで1890-1950」の中で東南大学芸術学系教授の張道一氏は次のようにのべています。

【藍印花布が創り出した一種の質朴な美しさは富麗豪華の対極にあるもので、精神の静かな落ち着き。清新と素朴さを体現したものであり、また内に秘めた美しさを示すものです。藍印花布は中国画の「墨、五彩を分つ」及び,青花磁器の藍白の雅趣と相通じるもので、ともに中国芸術の深い意味を体現しています】

芥川龍之介が中国旅行の際に藍印花布を購入し、浴衣にして愛用したとのことですが、「清新と素朴さ」「内に秘めた美しさ」「中国芸術の深い意味」を読み取って愛用したのかもしれま

付記;見出しの写真は藍白の藍印花布です。下の写真は藍黄の、希少な藍印花布です。


藍印花布についてやってみたいこと

藍印花布についてインターネットで、できる限り検索してみましたが、日本の市場には出回っていないようです。
藍印花布がまとまった数を所有しているのは久保マサさんのコレクションと私の物だけかもしれません。
丹波美山の「小さな藍美術館」と柏崎の「藍民芸館」に各一点あるのを確認しました。
やってみたくなったこと  日中友好会館発行の小冊子「藍印花布展」(監修は久保マサさん)15ページに「この蒲団皮は、残っていた古い型を、そのままに新しく彫りなおした新版で、1970年前後に染められたものです」と記されています。
古い型紙さえ手に入れば、タイで手織りの綿布が手に入ります、藍染め工房もありますので、オリジナルに限りなく近いものが再現できそうです。
久保マサさんが、上海で工場で藍印花布の複製品を製造して、その生地を使って衣類やバッグ等を製造して販売しました。
久保マサさんは中国の伝統工芸品を復活させるだけではなく、1990年ころの中国の人々に収入の道を提供するという重要な業績を成し遂げられたのです。
そして、現在も久保マサさんの姪御さんが経営する、自由が丘の店、「わたなべ」で売られています。
もしも叶うなら、工場生産の生地から作るのではなく、手織りの布から作る、よりオリジナルに近いものを作ってみたいのです。
いつ実現するかわかりませんが、長生きして、やり遂げたいと思っています。このことが健康長寿を維持するための秘訣でもあるわけです。



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