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上を目指す老女



我が家では、毎年同じ場所に家族旅行に行く。県内の、車で1時間ほどで着く場所なので、気軽なものだ。主に祖父母が計画し、同じホテルに泊まり、食事を共にする。日中は、海やプールに行ったり、部屋でのんびりしたり、近くのカフェや博物館に行ったり、各々が好きなように過ごす。
昔は夏休みに開催していたが、私たち孫が大人になってからは、10月の祖母の誕生日に合わせて同じように計画されるようになった。なんやかんや仕事があることや海やプールで遊ぶ年齢でもなくなってきたこともあって、観光や遊びというよりは、親戚が集まる機会という意味合いが強まったように思う。

この恒例旅行では、毎年、なんやかんや事件があったりするので、いつか全部書き記したいような気もする。参加者が大人だけになってからはみんな事件を起こすような年齢でもないから、近年は大きな事件は起きていないけれど、小さな事件は何かしらある。


今年も旅行が行われることになった。仕事が入ってしまっていたが、幸いなことに予想よりも早く終わったため、チェックインの時間よりも余裕を持って集合することができた。
祖父母や伯母たちとも合流し、無事にチェックインをした。部屋は世帯ごとに別々なので、自分たちに割り当てられた部屋の鍵をもらう。14階。どうやら私たちの部屋は、最上階のようだ。


無駄に広い部屋に荷物を運び入れ、一息つく。夕飯まで時間があるから先にお風呂に入るのも良いが、メイクをし直すのはめんどくさい。
かといって、もう慣れきったこのホテル、今更散歩なんかをする気持ちにもなれない。ただただダラダラと過ごす。

そうこうしているうちに、父に伯母から、そろそろ夕食会場へ移動するという旨の連絡が入った。私たちも遅れないように部屋を出た。
ボタンを押し、エレベーターが来るのを待つ。最上階なので、下矢印のボタンしかない。
「夜ご飯って、何階?4階だっけ?6階だっけ?」
父親が夕食券を確認しながら答える。
「えーっと、4階。」
その「4階」という音に重なるように、エレベーターが到着した音が鳴る。エレベーターが来たみたいだ。2機あるうちのランプが点いている方のエレベーターに向かって歩みを進めようとした時、扉が開いた。

老女がひとり、乗っている。

老女が降りるそぶりを見せなかったので、そのまま乗り込もうと一歩踏み出すと、老女が口を開く。
『上です。』

「え?」

『上に行きますけど。』

言いようのない気持ち悪さ、いや、居心地の悪さのようなものが私を支配する。おそらく、父も母も妹も同じだっただろう。誰も何も言わない。いや、言えない。

そんなに長い時間ではなかったと思うが、まもなく扉が閉まり、私の視界から老女が消えた。何も動かない(正確に言えば、何も動けない)私たちを見た老女が閉まるボタンを押したのか、なんの指示も与えられないエレベーターが他の階からの指示を受けて自ら動き出したのかはわからない。



老女は一体、どこへ向かったというのだろう?

ここは、最上階なのに。


もう一度確認してみても、ここには下矢印のボタンしかないのだ。表示だって14階までしかない。


彼女は、どれだけ上を目指しているというのだろう。


私が夕食会場へ行くために押した下矢印は、その命令どおりに14階へエレベーターを連れてきた時点で、役目を果たしたようにその光を失っている。
もう一度、同じ命令を与え、エレベーターを連れてきてもらわなければいけないけれど、あの老女が上を目指す邪魔をしたくはない。



「上って、ここ最上階だよね?」
妹がわざわざ言う。妹は、言わなくてもいいのになということを言うことがたまにある。傷を抉りたいタイプなのか本当に察しが悪いのかわからない。ここまでくると、老女がボタンを押し忘れてそのまま勘違いしているとか、そういう話だろうなと薄々わかってきているのでは?と思うけれど、わざわざこういうことを言うのだ。

「そうだねぇ。」
父が妹の言葉を後押しするような口調で言う。そもそも妹のこういうところは、父譲りなのかもしれない。傷を抉りたいタイプなのか本当に察しが悪いのかわからないが、たまに、人の神経を逆撫でするようなことを言うのだ。

「大丈夫かなぁ?1人だったけど、家族と合流とかできるのかしら?勘違いならいいけどボケちゃったりしてたら、、、ねぇ?」
と母が心配する言葉を過剰ぎみに言う。母の言葉はとても心配性だが、解決策を出したり、実際に行動したりするわけではないことが多い。心配している私が素敵と思っている可能性もあるかもしれない。


「まぁ、どっちにしても、一緒に乗るの気まずいしさ、、、。そろそろほかの階に行っただろうし、もう一回エレベーター呼ぶね。」
私は言い、もう一度、下矢印のボタンを押す。外面的には事なかれ主義の私だが、内心では『上を目指す老女』というキーワードに胸を躍らせている。この言葉の強さ。うまいこと構成したら、結構いい話のタネになりそうだ。



もう一度、エレベーターがやってくる。2機あるので、さっきと違う方が来たらいいなと思っていたけど、同じ方のランプが点いた。さっきの老女がまだ上を目指していたらどうしよう、とドキドキしたが、もう誰も居なかった。


その後、夕食会場や大浴場などでも、さっきの老女だと思うような人物を見かけなかった。というか、シチュエーションの衝撃が強過ぎて、老女の視覚的な情報を覚えていなかったので、すれ違ったりしていても気づかなかったのかもしれない。



なんというか、たぶん、99.9%、単純にあの老女の勘違いミスなんだろうけど、
でも、もしかして、本当に、永遠に上を目指し続けている都市伝説的な存在だったらいいのにな、と思う気持ちを捨てられずにいる私である。

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