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ゆくひと日記(2024.05.18.)

2024.05.18.

母の“被”介護生活が、いよいよ最終フェーズの入口の扉を開けた感がある。

在宅介護を支えてきた父も疲弊は否めず、それでも「最後まで在宅で」の意思も強く、これまで以上に、医療介護の介入及び、遅ればせながらバカ息子の関与を進めることとなりそうだ。

最終フェーズへの歩みは、数日前、「経口の飲食ができなくなった」と父の訴えから始まった。
 介助で入ったヘルパーさんの報告、さらには、定期訪問看護師の見立てで医師が呼ばれ、感染症と脱水症状の緩和ということで抗生剤の注射と点滴が始まった。
 おまけに、バカ息子がベッドをギャッジアップしたままで放置したため、尻っぺたが赤みを作ってしまった。そのため、ケアマネさんの“緊急事態宣言発令”で、急遽ベッドのマットレスを交換することになった。ほんとうに面目ない。
 この間、一昼夜のできごと。医療介護の連携のよさには感謝しかない。

母は自分ことは自分でやるというごく当たり前の生活歴のうえに、こわがりである。だから他人による身体的介入を嫌うというより、恐怖を感じる性格。
 したがって、ベッド上とは言いながら、あっち向けこっち向け足上げろなにせいかにせいと言われ、ごろごろされたり、なにかされるたびに「一人絶叫マシーン」と化す。
 時候柄、窓を開けているので、知らぬ人が聞けば「虐待!」で通報されかねない。
 つかの間の介入が終わればけろっとして、惜しみなく感謝の言葉を口にするのだが……。

数日前までは椅子で傾眠がちではあってもベッド上で一日を過ごすことはなかったので、短期とはいえ、ベッド上の時間が長くなれば身体的な部分もそうだが、精神的な健全さが格段にレベルダウンする。
 実は今回、訪問医のほうから「帰宅できない可能性の高い入院」という選択肢も提示されたが、父と私は在宅を選択した。
 かといって、父に今以上の介助は無理で、バカ息子の出番となった。

車いすの移動に便利になるように生活空間のレイアウトを変更し、昨年の秋彼岸のころに墓参りのために借りて結局使うことがなかった車いすを引っ張りだす。

ベッド上での更衣にも )>ロ<(

車いすへの移乗にも ))>ロ<(( 

車いすをそろりそろり動かすだけで )))>ロ<((( 

随分安上がりなアトラクションだ。
動作の前にひとつひとつ告知してか動かしてもムンク出現。 
本人が了解してから動かしてもムンク出現。
わかっちゃいるが、多少は心が削られる。

小出しにムンクを呼び出すとトータルでは長い時間になるので、きちんと説明し了解を得たら、一息に「ギャーやめてぇ―」の時間を済ませる。

バカ息子がやるから? と思ったが、本職がやっても同じムンク出現なので一安心。

母の姿を見ていると、介護を受ける側にも訓練が必要なのだとつくづく思う。

今日は土曜日だが訪看さんが来て処置。ベッド上でみずから起き上がるそぶりも見せ、昨日より絶叫度はいくぶん下がった気がする。
 一昨日昨日と抗生剤が効いたのか、経口飲食も復活してきているので、点滴が不要になるまでさほどかからないと思う。そうなれば抗生剤の注射だけですみ、日中の起居(座位)時間も従前に戻るだろう。

今般の医療処置終了後はヘルパーさんらの手伝いも得ることになるが、それまでの間に父と私の生活パターンの組み直しを進めなければ。

今日はたまたま孫が顔を見せに来るので、母も、そして父も良い保養となるに違いない。

そろそろ今日の点滴が終わるころあいだ(ちなみに点滴の針はプラスチックのようなものなので、抜去は家族担当。燃えるゴミで出せる)。

いざ、絶叫マシン発生装置の出動!   [ぶんろく 5/18]

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