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突然「僕ヤバ」が頭から離れなくなったので「桜井のりお展」に軽率に遊びに行ったら展示見て泣きそうなった

ありがとう桜井のりお。この世界、この時代、この国に生を受けていてくれて。


嗅覚が異常に優れていて「これ絶対アニメ化するから」とコミック1巻発売時点で分かってしまうタイプの友人がいる。10年近い付き合いになる彼が『僕の心のヤバイやつ』の発売してすぐのコミック1巻を持ってきて、僕に「お前これ絶対好きだから」とオススメしてくれたのに、僕はアニメも観ずマンガも読まずほったらかしていた。
(正確には、コミック3巻が出たときに1巻2巻の無料キャンペーンがやっており、3巻だけ電子書籍で買ったのだが、もう自分の中ではノーカンにしている)


最近仕事が本当に辛い。辛すぎるので、せめて趣味の時間を充実させようと、今まで観ていなかった『僕の心のヤバイやつ』のアニメを観ることにしたのが、5月24日ごろ。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BX2XFJZD/ref=atv_dp_share_cu_r


なぜだかわからないが、異常に刺さった。
それはもう第15使徒アラエルに対するロンギヌスの槍レベルでぶっ刺さっている。
昨日も就寝後にお腹痛くて目が覚めて、寝ようとしたけど頭の中で「僕ヤバ」という単語がぐるぐると渦巻いたせいで眠るどころではなくなってしまい、寝不足でフラフラの頭になりながら卵を茹でてネギを2本刻みみりんとしょうゆと酒とにんにくとゴマと鷹の爪でつくった漬けつゆを作って茹であがった卵をそこに漬け込んでから、炊き立ての白米にネギを刻んだ納豆と玉ねぎの中華スープの朝食を朝4時に食べながら市川と山田と市川姉のことを考えていた。

人はビタミンが足りねえなと思ったら野菜や果物を食べたときにいつもよりおいしく感じるようにできていると信じているし、タンパク質が足りないときに食べる肉は格別のおいしさになると信仰している。
思うに、これと同じ出来事が僕の体に起こっていた。

身体が『僕ヤバ』を求めていたから、『僕ヤバ』を摂取したことで全身の細胞ひとつひとつに素早く『僕ヤバ』が行き渡り、頭の中が『僕ヤバ』で満たされた。


客観的に、努めて客観的に自分を振り返った時、中学生の頃の僕は市川から「人のために動ける積極性」や「人のために泣ける優しさ」みたいなものが全くない以外はだいたい似ていたように思った。
いつも内心で誰かをバカにしたり、どうでもよくないものを「どうでもいい」とごまかしたり、気になるあの子と仲良くなりきれなかったり。

たぶん、僕にもう少し「積極性」や「優しさ」があれば、もうちょっと違う人生になっていた気がする。

ずいぶん大人になった今になって中学生の頃の自分をようやく客観視できるようになった僕の頭は、当時の自分を肯定する方法を探していたように思う。どうすればよかったのか、僕はどうしたかったのか、そういうものがぐるぐると巡っていた。

市川京太郎という存在に感情移入している、というよりも、「ちゃんと正解を選べている」という姿を作品を通じて見られると、それだけでなんだかとても満足する。

あの頃の自分が選べなかった正解を、選べて、幸せを目指して迷いながら進めている市川の姿を見て、アニメ初見時は保健室のベッドの下と鳥居の下のシーンで一緒になって泣いた。

とまぁ、『僕ヤバ』という作品をアニメを通じて表面的に、何も考えずに楽しんでいたのがここまで。

SNSを立ち上げ、『僕ヤバ』について軽く調べると、作中で使われている心理学的テクニックの見地から見た市川と山田の関係性、みたいなことをド長文でまとめている方のアカウントや一生『僕ヤバ』の話をし続ける方のアカウント、考察し続けている方のアカウントがごろごろと出てきた。
「僕ヤバ」というワードでパブサして巡回している方もちらほらいるようで、カルト的人気の側面を感じる。


僕は「心理描写」という言葉の意味がいまいちよくわかっていなかった。
映画評論家が都合のいいように使う便利な言葉だろ?とバカにしていたまである。
だが、こちらの方のnote記事を読み、「心理描写」の意味が分かった。


じゃあ、作者の桜井のりお氏がそこまで考えて描いていたのかといわれると、僕はわからない。
わからないが、作品にこれだけの考察の余地があるということは、少なくとも作者は自分の作品やキャラクターに対して尋常ならざる理解の深さで描いていると思うのだ。
偶然こんなものが生み出されてたまるか。


そして6月1日、なんにも知らないで池袋で開催している
「桜井のりお 画業20周年記念展 ~ひすとりーすくーる~」にのこのこと遊びに行った。


桜井のりお作品はほとんど見たことがない。『僕ヤバ』以外なんにもわからない。桜井のりおという漫画家についても何も知らない。池袋駅構内のデカい広告をたまたま見かけていたので、「画業20年もやってんのか、すげえな~」とぼんやりとした感想を抱いている程度のライトオブライトな僕が、アニメイトの8Fに入っていった。

泣きそうになった。


博物館めぐりが趣味で、展示を1冊の本だと思って見学する。すると、博物館の入り口から出口まででひとつのストーリーやコンセプトが見える。

桜井のりお展もそういうつもりで観に行って、入り口近くのティザー映像みたいなのを見て、もう涙が出た。その時点で僕はもう情緒が壊れており、この展示を象徴するような場所の写真がない。看板とかデカい壁広告とか近くにあったような気がするのになぁ。

そして、やはり大目玉の山田実存性現実侵食ゾーンで現実で抱えてるつまんない悩みも苦しみもなにもかも全部どうでもよくなってしまった。さっさと転職してしまおう。

ウ、ウワーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!実存性!!!!!!!!!!!!!
本棚のところに市川が覗き込む用の穴があるのだが、向こう側にはなんの説明もないのでただの穴にしか見えない。でも覗き込むとそこに山田。俺たちが憧れるあの場所がそこにある。高さもたぶんドンピシャで市川くらいの高さになっていて、とてもかわいい。かわいいねえ市川。


桜井のりおという漫画家は、生原稿だと顔が丸く、印刷されコミックとなると少しだけ顔が横に広がるという発見(?)があったり、ガチで絵が上手すぎてバキの生原稿を観たときの市川みたいな感情になったりしたが、今日にこうして個展が開かれるほどの技量を身に着けるために、どれだけの絵筆を執ってきたのかは想像を絶する。
それだけではない膨大なインプットと、膨大なアプトプットの先に今がある。
それを思うだけで、僕ももう少しがんばろうと思えた。


写真を取り損ねたのだが、桜井のりおさんの生まれてから今に至るまでの年表があった。
「小学生のころからマンガを描く」「高校生で連載」「憧れの漫画家にベタ褒めされて同じ出版社でマンガを描くと決意し実際に達成」みたいな、本当にフィクション漫画家みたいな人生を歩まれていて、いま表に出ている部分だけでこの長さの年表が作れてしまう。
そんな方が描いた生原稿を見て、泣きそうになるのはもはやこの世の摂理だ。

ありがとう桜井のりお。この世界、この時代、この国に生を受けていてくれて。


明日からもがんばろ。


僕は山田と身長がほぼ一緒なのだが、等身大のパネルや立像と並ぶと線の細さにちょっとだけゾッとする。ヒヨコを両手で持ち上げたときと同じ血の気の引き方をする。そんなキャラクターを描き出せる桜井のりお氏は、やっぱりすごく変態なのだと思う。ありがとう桜井のりお。

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