「存在しない女たち」キャロライン・クリアド = ペレス
※2020年頃に書いたものです。
中学生の頃の話だ。ある晩、母親が「500円あげるから食器洗いをしてくれない?」と言った。
それほど大仕事でもないし、別に疲れるわけでもない洗い物が時折ものすごく面倒になることは、たかだかひとり分の茶碗と皿で済む今の僕にもよくわかる。それでも普段からコツコツと家事をこなしていた母が、「たかが食器洗い」に(我が家のお小遣い事情からすると破格の)500円を出すというのには少し驚いた。何かあったんだろうかと気になったのを覚えている。
その後の記憶はあやふやだけれど、500円に釣られて僕は機嫌よく食器を洗ったと思う。そして偉そうに褒美をせしめたはずだ。ちょっぴり母のことを心配はしたけれど、「皿洗いくらい毎日やろうじゃないの」とは考えなかった。恥ずかしながら家事は母の仕事だと思っていたし、「家事なんか手伝わない思春期男子」という特権を手放すつもりもなかった。
首相時代から問題発言を繰り返してきた差別主義者が、自らが推進すべきオリンピック・パラリンピックの精神に泥を塗る暴言で世界を呆れさせている。僕も耳を疑ったし腹が立った。だけどこの本を読んでいる今、同時に怖さも感じている。これを読めば、濃淡の差こそあれ、僕も彼と地続きのグラデーションに染まっていることに嫌というほど気づかされるからだ。
この世界は男性をデフォルトにして出来上がっている。辞書にもあるように「man=人間」なのだ。鍵盤の大きさが原因で女性のピアニストに手の故障が多いのも、ウィキペディアの「サッカーイングランド代表」のページに男子チームしか載っていないのも、極寒のフィールドで女性研究者だけが小用を足すために防寒着を脱がないといけないのも、すべては物事を決める場に女性がいないせいだ。
人々に「女の子らしい走り方をして」と頼んだ実験の動画を観たことはないだろうか。男性はおろか女性さえもクネクネとデフォルメされた滑稽な走り方をする中、まだ幼い少女たちだけがまっすぐ前を見据えて全力疾走する純粋さに涙がこぼれた。アメリカの調査によると、女児は6歳になる頃から「男性ほどは賢くなれないのではないか」と思い始めるという。間違った刷り込みは女性自身にも及んでいる。
世界の無償ケア労働の75%は女性が担わされている。10分もかからない僕の皿洗いが500円に値したはずがない。終わりのない家事労働に追われる母のたった5分の「一回休み」にこそ価値があったのだ。
目の前にあるのに見えていなかった不平等を膨大なデータで明らかにしてくれるとても良い本。大げさじゃなく(そして情けないことに)、どのページにもハッとさせられる事実がこれでもかと書いてあります。おすすめです。
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