見出し画像

4. ヒッチハイク完結編

悠然とホームに滑り込んでくる新幹線みたいな迫力で、それは僕たちの前に現れた。

からりと晴れた秋の始まりの日、相変わらずヒッチハイクで旅を続けていた僕とEさんは、軋む音を立てて目の前に停車した巨大な鉄の塊を前に、互いの顔を見合わせていた。タイヤだけでも30個くらいある冗談みたいな代物が、プシュー、プシューと音を立てて身震いしている。自分で停めておいて文句を言うのもなんだがちょっと怖い。貧乏旅の足にするにはあまりにオーバースペックすぎる気はしたが、何はともあれ僕たちはずーっと先にある「先頭車両」へと駆け寄った。

勝手が分からずよじ登るようにしてドアを開けると、運転席からこちらを見下ろしていたのは、タトゥーまみれで毛むくじゃら、口いっぱいの噛み煙草で何を言ってるのかもよくわからないワイルドなマッチョ……とは真逆の、たとえて言うならマスオさんみたいな雰囲気の優しげなお父さんだった。

遠くに暮らす親戚宅でも訪れたかのような歓迎ぶりに気を良くして中へと乗り込む。目線が高く、3人が並んで座れるトラックのシートは快適だった。両側に青々と樹木が生い茂るくねくねの山道を、大きなハンドルに不釣合いな細腕で器用に運転するマスオさん(仮名)は、とても気さくにあれこれ話しかけてくれた。そして僕たちがカイコウラという町でホエールウォッチングをし損ねた話(鯨が遠すぎてキャンセルされたのだ)をすると、我が事のように残念がり、代わりに近くにある吊り橋を見ていくといいと言った。その時僕たちは、彼の本当の「計画」にまったく気付いていなかった。

道端に車を停め、林の中に続く遊歩道を指差し、「あの先にあるから」と言うので僕とEさんは車を降りた。少し歩くとそこには確かに吊り橋があった。熱心に勧めるからどれだけすごいのかと期待したが、下を見れば多少ヒヤッとはするものの、ありふれた普通の吊り橋だった。それでも長いドライブのいい気分転換になったねなどと話しながら、足取り軽く来た道を戻ったところで僕たちは息を呑んだ。なんとあの大きなトレーラーが忽然と姿を消していたのだ。

どうやら僕たちはニュージーランドの山道に「体ひとつ」で放り出されてしまったらしい。荷物もお金もパスポートも丸ごと車の中に置いたままなのに気が付いて、ざわっと血の気が引く音が聞こえた。どうしたらいいのか見当も付かないままその場に立ち尽くし、悪い人には見えないからと油断した己の軽率さを呪った。そして10分前に戻りたいと痛いほど願った。僕たちはお互いに謝り合うことしかできず、後はただおろおろとしていた。のどかな秋晴れの空の下、足元から冷ややかな絶望が這い上がってくるのを感じて身震いしていると、対向車線に1台の車が停まるのが見えた。

車からはきれいな白髪頭の品のいい老夫婦が降りてきた。そして奥さんがニコニコと両手を広げてこう言った。

「こーんな大きいトレーラーを探しているんでしょ?」

どうして彼らがそれを知っているんだろう。訳もわからぬまま「はい」と答えると、ご夫人は言葉を続けた。

「この先に停まっているトレーラーの運転手が、橋を渡ってくるはずのあなた達がなかなか現れないって心配していたの。たまたま通りかかった私たちに『元の場所に戻っているかもしれないから、橋の向こうにいると伝えてほしい』って」とさも愉快そうに微笑む。

一瞬キョトンとした後、乾いた脳みそに水が染みわたるようにしてようやく事情が飲み込めた僕たちは、さっきまで青くなっていた顔を耳まで真っ赤に染め、老夫婦に何度も何度もお礼を言ってすぐに駆け出した。ヒヤッとする余裕もなく一気に吊り橋を渡り切ると、遊歩道は再び車道にぶつかり、そこには巨大なモンスターマシンと心配顔のマスオさんが待っていてくれたのだった。

こうして大切なバックパックと涙の再会を果たし(もう二度と離さないからね!)、僕たちは小さな冒険を終えた。ヒッチハイクのおかげで、安宿では出会えない地元の心やさしい人たちと、まるで家に招いてもらったような親密な時間を過ごすことができた。道に立てば30分と待たずに拾ってもらえたし、もちろん怖い思いも(これ以外は)しなかった。Eさんが用意してくれた折鶴も、しばらくの間は旅慣れないウブな日本人バックパッカーの思い出と共に、彼らの車や家の中に飾ってもらえたことだろう。

いくつもの出会いを経てこの美しい国がますます好きになった僕らの旅は、このあと南島の西海岸を行くボロでロックなサイケデリックバスツアーへと舞台を移す。ニュージーランドの中でも見所が集まった心躍るエリアを巡る、この旅のハイライトだ。今でもたくさんの場面を思い出すこの道中の話はまた改めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?