マックのどら焼き/「友達」がいる
寝て起きてを繰り返していたら、梅雨入りしてしまった。
「気づいたら5日くらい書かないでいてしまった」とか書いた直後に20日間何もなしは、自分でもどうかと思う。
この間、ツイッターのアカウントを取得したので、ぽちぽちつぶやいてみた。
向こうはすぐにかけて便利だけど、noteもせっかく作ったのでできるだけ書くようにしたいです。あと、こっちのほうが、書きながら自分の考えたことに少し答えがみえるというか、真摯に向き合えるような気がする。
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おいしいお店のどら焼きを食べた。
包装を開けたら、どら焼きからマックの匂いがして、急に胃が拒み出した。
この形、食べ方、食べ応え、確かにハンバーガーの一種と言っても良いかもしれない。
味は、甘くておいしかったです。全くマックではありませんでした。おいしいと分かってて食べるものが一番おいしい。
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「友達がいない」というのは簡単だが、言われる側としては心にくるものがある。お前とはそういう関係じゃないと言われているようで。
友人に「アンタ、友達いないもんね」と言われるときと、「アンタ、友達少ないもんね」と言われるときがある。
事実、私は結構な人見知りである。正確に言うと、自分ではそうでもないと思っているが、「人見知り診断」なるものをしてみると10項目のうち9つは当てはまってしまうのだから、世間的には十分人見知りの域なのだろう。
で、その性格に加え、むしろその原因なのかもしれないが、自分に関する言葉について変に過敏なため、普段はそれなりに適当な速度で返している友人の言葉も、まるで顕微鏡で覗いたように細かく見えてしまう。
「いない」ように見えているのか、「少ない」ように見えているのかは非常に重要な違いである。
「いない」と言われて、「でもあなたのことは友達だと思っているよ」とでも返してみたいが、「友達」という言葉は自重で私の中に沈んでしまう。
私を定期的に遊びに連れ出してくれる中学のときの友人とか、私を自習室に引き止めてくれた高校のときの友人とか、人と話すのは苦手だけれど、そういう人たちのおかげでなんとかそれらしく生活できているところはある。
ありがたい。どうか向こうにとっても私が「友達」であると願いたい。
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何を書きたいのか、よくわからなくなってきた。
こう、自分の核心に触れそうになると、頭の動きがゆっくりと減速していって、その話題に関連するであろう言葉が浮かんでこなくなることがある。さっきまであったものがなくなってしまう。
他の人はどうなんだろう。こういうことは、幼いうちに乗り越えておくべきもののひとつのような気もする。
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最後まで、ありがとうございます。
文明
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