【本】「小説・巨大自動車企業トヨトミの野望」「海賊とよばれた男」「空飛ぶタイヤ」

梶山三郎「小説・巨大自動車企業トヨトミの野望」

この作品のモチーフとなった企業名の明言は一応避けよう。タイトルを見れば一目瞭然だろう。日本が世界に誇る、あの大企業である。

主人公は、武田剛平。彼がトヨトミ自動車の社長を務めている時代の話がメインとなる。彼は、創業家である豊臣家の出身ではない“使用人”出身の社長であり、そしてその数々の手腕から後に、「トヨトミ自動車の救世主」とまで言われるようになった傑物である。

武田の経歴は凄まじい。本流と言われる自工ではなく傍流の自販出身であり、社の上層部に睨まれ十七年も経理部に塩漬けにされる。さらにマニラに左遷され、武田はマニラで終わった、と誰もが言っていたところからの社長就任である。前社長がマニラで武田を見出したことによる大抜擢だった。奇跡である。

社長に就任してからの武田の活躍も驚異の一言だ。中国、アメリカ、ヨーロッパと、大国を相手に日本の一企業が揺さぶりを仕掛け、これ以上ない形で海外進出を果たしていく。武田が敷いた世界戦略は盤石だ。武田は普通では使いこなせないような海千山千の社員をも手なづけ、起きている間は常にビジネスのことを考え続け、そうやってトヨトミ自動車を世界最大の自動車メーカーへと引き上げる基盤を築き上げることになった。

しかし悲しいかな。武田は創業家の人間ではない。トヨトミ自動車には、「トヨトミ自動車中興の祖」と呼ばれる、豊臣家の分家出身の社長がいたが、彼ですら分家出身だということで成果に見合った評価を受けていない。“使用人”出身である武田ならなおさらだ。武田は、創業家とのいざこざで道半ばにして社長を途中退場することになる。代わって社長に就任したのが、創業家の本家出身の豊臣統一なのだが…。

モチーフとなった自動車会社のことは全然知らないけど、恐らくほぼ事実をベースにして描かれているのだろうと思わせる圧倒的なリアリティを持つ小説だ。武田を始め、ホントにこんな人間が会社組織の中にいるのか?と思ってしまうような奇人変人が登場し、トヨトミ自動車の舵取りに関わっていく。しかしそれらは、トヨトミ自動車の“正史”ではない。豊臣家の本家至上主義がはびこるトヨトミ自動車は、武田の驚異的な功績を矮小化しようとしている。本書の著者は、そんな創業家の思惑からはみ出し、トヨトミ自動車の救世主たる武田の存在を前面に押し出そうとする。

武田という稀代の経営者の活躍と、創業家の思惑。そして期せずして起こる、“使用人”出身社長・武田と創業家本家出身社長・統一の闘い。世界的企業の内側で繰り広げられる魑魅魍魎たちによる闘争は、想像以上に面白い。


百田尚樹「海賊とよばれた男」

出光興産の創業者をモデルに据えた小説だ。

物語は、終戦直後から始まる。国岡商店の社長である国岡鐵造は、その時既に還暦を迎えていた。

国岡は、厳しい決断を迫られていた。
戦争で資産のすべてを失った。また、戦前・戦時中と国内の石油販売に統制をかけていた石統の方針に逆らっていた国岡は、終戦後もしばらく石油をまったく扱えない状況だった。石統に頭を下げても、状況は変わらない。
幹部は、社員の首を大量に切らなければ、国岡商店はもたない、と進言する。しかし国岡は、誰一人首を切らないという無謀な決断をした。

国岡に何か打てる手があるわけではなかった。何もなかった。やれることは何でもやったが、経営は厳しかった。国岡は昔から収集し続けてきた骨董品などを売り払った。最終的に会社が立ち行かなくなれば乞食になろうと、国岡は腹を括った。

戦後の石油業界は、「メジャー」と称されるアメリカの大資本石油会社に蹂躙されかかっていた。「メジャー」は、とんでもない条件を突きつけて日本の石油会社を傘下に入れ、日本市場を自らの手の内に入れようとあらゆる画策をしていた。GHQもその方針に賛同し、また石統や政府も、そんなGHQの方針にただ流されるだけだった。
国岡だけが、それではマズイと考えていた。このまま民族会社が日本からなくなり、「メジャー」に支配されるようになれば、日本の復興は覚束ない。国岡は、日本の将来を見据え、それが13対1という無謀な闘いであることを承知した上で、「メジャー」に対抗する決意をする。

そして国岡は、世界をあっと言わせるとんでもないことをやってのける。イギリス資本の石油会社を国内から追い出し、経済的に孤立を深めたイランのアバダン製油所に、自社のタンカーで石油を取りに行ったのだ…。

国岡を中心に進んでいく物語そのものももちろん圧倒的に面白い。「メジャー」がどれだけ無茶な要求を突きつけてきたか。国岡がいかにしてそれを跳ね除けていったのか。敵も多く、長い期間精油設備さえ持てなかった石油会社が、何故世界の「メジャー」を相手にやり合うことが出来たのか。痛快なフィクションでも読んでいるかのような展開が実際に起こった出来事だと信じるのは難しいほどだ。

しかし本書で何よりも感じて欲しいのは、国岡という人間のデカさだ。国岡は常に、社員のことを考えていた。駄目な社員も見捨てず、出来る社員には全権を与えて任せた。相当辛いこともさせるが、それが出来るのも、社員を家族と思い、どんなことがあっても自分が面倒を見ると決意を固めているからだ。

しかし、国岡が社員以上に考えているのは、日本の未来である。

『国岡商店のことよりも国家のことを第一に考えよ』

国岡の頭の中には常に、日本という国の行く末があった。自社の利益よりもまず、日本の未来を考えていた。国岡商会が強くなっても意味がない。国岡は、短期的な利益を追うことには、関心を持たなかった。先を読み、日本の将来を見据え、その中で自らがどう振る舞うのが最適であるのか。常にそれを考えていた。今これほどのスケールを持つ人物がいるだろうか、と考えてしまう。

『日本人が誇りと自信を持っているかぎり、今以上に素晴らしい国になっておる』

今を生きる僕らは、21世紀を迎える前にこの世を去った国岡のこの言葉を受け止めることが出来るだろうか。国岡の言う「日本人」の中に、自分自身が含まれていると感じることが出来るだろうか。僕らが生きる現代は、国岡が望んだ「未来」と言えるのだろうか。本書を読んで改めて、一人ひとりの生き様の積み重ねが国を作るのだ、ということを実感して欲しい。


池井戸潤「空飛ぶタイヤ」

三菱自動車製の大型トレーラーの車輪が脱輪し死亡事故となった事件をモデルにした小説だ。

小さな運送屋である赤松運輸の社長である赤松の元に、自社のトラックによる事故で人が亡くなった、という連絡が入る。しばらくして状況が把握できるようになると、ドライバーが人を撥ねたのではなく、車輪が脱輪しての事故だ、と分かった。
赤松は、あり得ない、と感じた。赤松運輸では、一般の基準よりも遥かに厳しく整備を行っており、自社の整備不良のはずがない、と考えたのだ。

赤松運輸のトラックはすべてホープ自動車のものだったが、ホープ自動車による事故調査では問題なし、という結果が出た。原因は赤松運輸の整備不良とされたが、赤松は納得がいかない。被害者の葬式へ出向いても門前払い。警察がやってきて家宅捜索をする。銀行が融資を渋り始める。取引先が事故のことを知り仕事を引き上げる。事故のことを知った同級生に息子がいじめられる。PTAの会長でもある赤松も非難を浴びる。そうした忙しさの中、赤松は巨大企業であるホープ自動車と闘う決意を固める。

赤松運輸、ホープ自動車、そしてホープ自動車と同系列の銀行。三者の動きを中心にしながら、弱小運送屋の社長である赤松の奮闘を描く物語だ。

三菱自動車をモデルにした小説であるが、作品の核を成すのは赤松だと言っていいだろう。超巨大企業に、弱小の運送屋のおっちゃんがどう立ち向かっていくのか。実に読み応えがある。

赤松は、ホープ自動車との闘いだけに時間を割けるわけではない。バッシングを受けて仕事が減っている赤松運輸の経営も立て直さなければいけないし、息子が通う学校でのいざこざもどうにかしなければならない。そういう中で赤松は、自社の従業員を信じ、徹底的に調べ、ついにホープ自動車のリコール隠しを暴く端緒を掴むのである。読みながらきっと、赤松に声援を送りたくなるだろう。

本書で描かれるホープ自動車がどこまで三菱自動車と酷似しているのか、僕には当然判断できないが、本書で描かれるホープ自動車はとにかく酷い。大企業である、という部分にあぐらをかき、顧客を顧客とも思わない絶望的なトップが舵取りをしている。明らかなリコールが、大企業であるという理由で表沙汰にならない。
もちろん、ホープ自動車にもまっとうな人間はいる。そういう人間の手によって、ホープ自動車の放漫な経営体質がどのように暴かれ崩れて行くのかがリアルに描かれていく。

赤松を始め、様々な人間の奮闘によって明らかになる企業のモラルの低下は、小説の中だけでなく、現実に存在するどんな企業にも起こりうることではないかと感じる。

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