【本】「講義ライブ だから仏教は面白い!」「金メダルのケーキ」「写楽 閉じた国の幻」

魚川祐司「講義ライブ だから仏教は面白い!」

仏教の入門書なのだが、本書は小難しい本ではない。例えば、著者がゴータマ・ブッダの思想を一言で要約した一文を抜き出してみよう。

『現代風にわかりやすく、比喩的に言うとすれば、ゴータマ・ブッダは解脱を目指す自分の弟子たち、つまり出家者に対しては、「異性とは目も合わせないニートになれ!」と教えていたんです。』

えっ?と思うだろう。僕もそう思った。ブッダというのは、もっと高尚で、人生の役に立つ素晴らしい教えを説いていたんじゃないのか?と思った。本書を最後まで読めば、「異性とは目も合わせないニートになれ!」の真意はまた違った形で捉えることが出来るようになるだろうが、仏教というのは、その源泉は『「非人間的」で「ヤバい」教え』なのだということを認識させてくれるという意味で非常に面白い作品だった。僕は元々仏教については、「輪廻転生という考え方があった気がする」ぐらいの知識しかなかったが、それでも本書はのめり込むように読んでしまった。著者は仏教そのものを見出した者ではないが、文献などからゴータマ・ブッダの思想を可能な限り正確に読み解き、それを現代人に有益な形で提示するという意味で、【価値を生み出す者】であると感じる。

『だとしたら、私たちが本当に仏教を「わかる」ためにやらなければならないことは、「異性とは目も合わせないニートになる」ことをゴータマ・ブッダが推奨していたという、文献から知られる事実を隠蔽することではなくて、そのように「非人間的」で「ヤバい」教えを言葉どおりに実践した先に、最終的に得られる価値は何であるのかということを、正面から考えてみることだと思うんです。』

著者は本書の目的をこう語る。確かにその通りだ。仏教というのは、ゴータマ・ブッダが始めてから2500年もの間続いている。「異性とは目も合わせないニートになれ!」という、ゴータマ・ブッダが生きていた時代でさえハチャメチャだった教えに価値を見出し、実践してきた者がいるからこそ、それだけの長い間支持され存続してきたのだ。著者は、ならばそこに一体なにがあるのか、ゴータマ・ブッダの教えの先に何が待ち受けているのか、それを対談という形式で伝えようとしている。

では、その価値とはなんであるのか。本書からその部分を抜き出してみる。

『「ただ在るだけでfulfilled」というエートス。言い換えれば、ただ存在するだけ、ただ、いま・ここに在って呼吸しているだけで、それだけで「充分に満たされている」という、この世界における居住まい方』

これだけでは当然、まったく理解できないだろう。しかし、本書を最初から最後まで読めば理解できる。『したがって、本来的には、ゴータマ・ブッダの仏教というのは、「社会の中で人間的に役に立つ」ための教えでは全くないわけです』と、著者は仏教をぶった斬るが、しかしそこに【価値を見出す者】がいるからこそ、その理論と実践が脈々と受け継がれてきている。著者は、最終的に仏教というのは修行を通じてしか理解できない仕組みになっていると語るが、まずは本書で理論を理解してみると、宗教に対する感度が欧米人と比べて低い日本人であっても、仏教というものの存在価値の一端を理解することが出来るのではないかと思う。


中島久枝「金メダルのケーキ」

物語は、青山明日実と白川未来という二人の幼い少女が、1964年の東京オリンピックの年に菓子職人になると決めるところから始まる。やがて二人は高校生になり、幼い頃に抱いた菓子職人の夢を、まったく違う環境の中で追うことになる。明日実は、あの日以来真面目に菓子職人を目指し、裕福な家庭に生まれたわけではないが、自分に出来ることを着実に積み重ねてきた。今はテレビにも出る有名菓子店でアルバイトをしているところだ。一方の未来は、裕福な家庭に生まれながら、バイオリニストを目指す姉の瑠海とは違い、バイオリンを辞めて無為に日々を過ごしている。ひょんなことから明日実と再会した未来は、かつての夢を思い出し、明日実と共にコンクールを目指すことになる。少女が菓子職人という夢を追う物語だ。

この作品はまさに、【価値を生み出す者】と【価値を見出す者】の物語だ。

『何人ものお客さんから「おいしかったよ」という声をかけられた。明日実はうれしいというより、少し居心地が悪かった。「こんなんで、いいんですかあ?」とか、「本当は、私、もっといろいろできるんです」とか思いながら頭を下げていた。でも、お客さんは次から次へと来て、みんなおいしそうに食べている。』

明日実は、伝統あるフランス菓子を作ることを切望しながら、町のパン屋さんで有り合わせの材料でお菓子を作らされる。それが思った以上に好評であることに対して、割り切れない思いを抱く。

『ケーキはもっと自由で楽しい物よ。喜んでもらえたんなら、それでいいじゃない。他に何があるっていうの。こうあるべきとか、これが正しいとか、そんなことばっかり言っているから、明日実ちゃんのケーキは窮屈でつまらなくなるのよ』

一方で未来は、お菓子作りの型や常識みたいなものにまったく囚われず、自分が作りたいもの、食べて喜んでもらえるものを作ろうと考えている。二人は非常に両極端だ。

明日実がアルバイトをしている有名菓子店のオーナーシェフの言葉も、非常に印象的だ。

『だってお客さんが食べたいっていうんだから、しょうがないじゃない。僕、気がついたんだよね。お客さんが求めているのは、本物のパリの味じゃないの。だって、パリで売っているケーキなんてすごく甘くて、脂肪分も高くてこってりしてて、日本人の口に合わないよ。そうじゃなくてさ、みんなの心の中にある、憧れのパリの味、一口食べるとシャンソンが聞こえてきて、エッフェル塔や凱旋門が目に浮かぶようなケーキをつくるのが僕の仕事』

彼は、自分が提供しているお菓子が、伝統的なフランス菓子ではないことを自覚している。【価値を見出す者】の感覚に合わせて、その人たちが「これがパリだ」と感じてもらえるものを提供する。正統なフランス菓子の味を守っているか、というのは彼にとって【価値】ではない。そのことに、明日実は納得できない感覚を抱くのだ。

僕は、明日実の感覚も未来の感覚も理解できる。【価値を生み出す者】として、自分が良いと感じるものを提供したい、という明日実の気持ちは尊重されるべき点ももちろんある。しかしそれが【価値を見出す者】に受け入れられないのであれば、考え方を変えざるを得ない。未来のように、伝統や常識に縛られたくない、という感覚も僕の中にはあって、それが【価値を見出す者】の琴線に触れる瞬間の感覚は格別だ。【価値を見出す者】自身でさえ、それが欲しいなどとはまったく思っていなかったものを提示し、それが受け入れられる。そういうことは、未来のような軽やかさからしか生まれないだろう。

モノを作ったり売ったりしている人には、考えさせられる物語ではないかと思う。


島田荘司「写楽 閉じた国の幻」

この作品は小説ではあるが、写楽という江戸時代に活躍した天才絵師の謎を追う物語でもある。本書では、過去どんな研究者も発表していない、写楽についての新たな仮説が提示されているのだ。ここでは、本書の小説としての部分ではなく、写楽問題について焦点を当てようと思う。本書は小説でありながら写楽の謎に新たな光を照らすという意味で、著者である島田荘司は【価値を生み出す者】であると感じる。

しかし、写楽その人もまた、【価値を生み出す者】であり、【価値を見出す者】に熱狂的に受け入れられた人物だったのだ。だからこそ、現在に至るまで、写楽の正体がここまで大きな話題になるのである。

写楽の謎と言われるものは様々に存在するが、ざっと要点を挙げてみよう

◯ 写楽は何故、歴史に登場してからたった10ヶ月で再び歴史から消え去ったのか
◯ 何故、当時のスター絵師だった北斎や歌麿以上の超弩級の扱いでデビューできたのか
◯ 写楽が歴史から姿を消して以降、写楽と関わった者たちは何故写楽の話題を一切しなかったのか
◯ 当時、歌舞伎役者は実物よりも綺麗に描くことが当たり前だったのに、何故写楽は役者を実物通りに描いたのか。
◯ 何故写楽は、歌舞伎スターだけではなく端役も同じような扱いで描いたのか

写楽問題は他にも様々に存在するだろうが、ざっと挙げるだけでもこれだけある。写楽研究者は、これだけの問題を解決するだけの仮説を提示しなければならないのだが、これまでに出された仮説はどれも一長一短、どこかしらに欠陥がある。

僕は、本書で島田荘司が提示した仮説は非常に説得力があると感じた。僕には当然、写楽の仮説に対する真偽など判断できないが、島田荘司のこの仮説は、解決不可能と思われた数々の謎を綺麗に説明していると感じる。

そして何よりも、島田荘司の仮説は、先に挙げた写楽問題の最後の二つ、「何故実物通りに描いたか」「何故端役も描いたか」を綺麗に説明しているという点で、僕は非常に好きだ。島田荘司が提示する写楽にとっては、当たり前のことをしただけだった。それが【価値を見出す者】に熱狂的に受け入れられ、写楽は大スターとなり、現在に至るまで伝説となり続けている。写楽の研究家が「挑戦」「飛躍」「斬新」だと感じるやり方を当たり前のように実践した写楽は結果的に、【価値を見出す者】が気づいてもいなかった【価値】を生み出すことに成功したのだ。島田荘司が提示した写楽像のその部分が、僕はとても魅力的だと感じる。

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