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【本】高橋昌一郎「知性の限界 不可側性・不確実性・不可知性」感想・レビュー・解説

本書は、「理性の限界」に続く、限界シリーズ第二弾です。趣向としては、「理性の限界」に含めることが出来なかった事柄について扱っている、という形のようです。と書くと、「理性の限界」を読んでないとダメという風に思われるかもですけど、そんなことはありません。本書の方から読んでも全然問題ないと思います。


本書で扱われているのは、「言葉の限界」「予測の限界」「思考の限界」という三つです。


「言葉の限界」では、ウィトゲンシュタインがまず語られます。ウィトゲンシュタインの哲学は前期と後期で分かれているらしいんですけど、前期の方は「論理哲学論考」という書物にまとめられているようです。


ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で導いた結論は、哲学的な問題など存在しない、ということです。ウィトゲンシュタイン自身の言葉で説明すれば、「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」となります。あらゆる哲学的な問題は、言葉の意味が不明瞭であることから生じる擬似問題に過ぎないのだと看破します。


一方で後期ウィトゲンシュタインは、言語ゲームなる概念を生み出します。これは、言語というのは社会集団における生活形式によってルール付けられているのであって、すべての言語に共通する本質的なものなど存在しないと言います。言語は文化によって規定されるので、言語によって行われる思考や言語によって無意識の内に身につく慣習も自ずと文化によって違いが生じる、という話です。


思考が言語に依存するという「サピア・ウォーフ仮説」や、理論に基づかない観測は存在しないという「ハンソンの観測の理論負荷性」など、様々な話を取り上げ、言語の限界を探っていきます。


「予測の限界」では主に、科学的手法についての議論が進みます。過去に起きた具体的な事例から本質を抽出する「帰納法」には根本的な問題があることを明らかにし、「反証主義」という新たな原理を打ち立てたのがポパーです。ポパーは、理論は決して経験的に実証されることはないが、仮説を経験的に反証することなら出来るという立場に立って、反証される危険性のある理論こそが科学的な仮説であるとの考えを提示します。これは、占い師を例に取ると分かりやすいです。例えば占い師が、「今日のあなたはラッキーです」と「仮説」を提示したとしましょう。その日あなたは、車に轢かれて大怪我にあったとしましょう。でも占い師は、「死ななかったからラッキーだ」というかもしれません。こういうのが、反証不可能な仮説です。こういう、反証できる可能性があるかどうか、という視点で見るのが反証主義です。


また、未来予測は可能かという話や、複雑系の話など、多様な話が出てきます。


「思考の限界」では、まず「人間原理」というものについて書かれています。「人間原理」というのは、宇宙は人類が発生するように「微調整」されて出来たものだ、というような考え方です。実際、宇宙を支配する6つの定数のウチ、ほんのわずかでも数値が違っていたら人類は生まれなかっただろう、と考えられています。ある数値は、現在0.007であることが知られているんですけど、それが仮に0.006でも0.008でも人類は生まれなかっただろう、と考えられています。また僕らが生きている空間は3次元ですが、これも、安定した惑星軌道があって生命が進化できるような空間は三次元空間のみだということが示されているんだそうです。こういう微調整が神によって行われたのだろうか、というところから、神の存在証明の話になったりします。


また、ファイヤアーベントという哲学者も出てきます。この哲学者は方法論的アナーキズムという立場を取っていたようですけど、これは、いかなる制限もない自由な発想によって科学が進歩する、というような考え方のようです。帰納法やら反証主義など関係なく、科学はどんな風に考えてもいい、と。ファイヤアーベントの話も結構といろいろと出てきます。


まあもちろん僕が書いた以外にも扱われている内容は多岐に渡りますが、大体こんな感じです。


「理性の限界」も面白かったけど、本書も面白かったです。ただ、どちらかというと「理性の限界」の方が面白かったです。


その理由は僕の中では明白です。「理性の限界」では、「アロウの不可能性定理」「ハイゼンベルクの不確定性定理」「ゲーデルの不完全性定理」という、三つの明確な主軸がありました。この主軸を中心にして様々な分野へ広がりを持たせた議論になっていて、凄く分かりやすかったんですね。


でも本書の場合、主軸となるのが「言語」「予測」「思考」という、明確とは言えないものになっています。たぶんその点が、僕の中で本書よりも「理性の限界」の方が面白く感じられた理由だろうと思います。


とは言え、やはり知的な議論は面白かったです。個人的には、哲学者たちの個人的な話(結婚・離婚を繰り返していたとかそういう話)はそこまで興味がないんだけど、やっぱり知的な部分に関わるところはべらぼうに面白かったです。


相変わらずですけど、様々な立場の人を登場させ、彼らがシンポジウムで議論をしているという体裁で書かれているのは本当に素晴らしい手法だなと思います。専門家だけでなく、会社員や運動選手なんかの一般人も多数話に参加するし、また司会者の采配が見事なので、難しい話をすんなりと理解できる気になれます。


あとはいくつか、これは面白いなぁと思った話を書いて終わろうと思います。


まず、「予測の限界」に出てきた「確証原理」の話。ここではカラスの例が扱われています。


たとえば「すべてのカラスは黒い」という仮説を立てます。この時、黒いカラスが発見されればされるほど仮説の確証度が増す、というのが「確証原理」の考え方。


当たり前だと思うかもしれませんが、この議論はなかなか面白い。まず、「すべてのカラスは黒い」という仮説の対偶命題は「すべての黒くないものはカラスではない」であり、この両者は同値です。つまり、「すべての黒くないものはカラスではない」が正しければ「すべてのカラスは黒い」も正しい。


さて、「すべての黒くないものは…」は、例えば黄色のバナナや青色のペンなんかも該当するので、これらの例がたくさん見つかれば見つかるほどこの仮説の確証度は増加します。となると、黄色いバナナなどの例は、「すべての黒くないものは…」の確証度を高め、さらにそれは「すべてのカラスは黒い」の確証度を高めることにもなるのです。


確証度のパラドックスはここから始まります。黄色いバナナは、黒くないばかりでなく白くもない。つまり黄色いバナナは、「すべての黒くないものは…」だけではなく「すべての白くないものは…」という仮説の確証度も増加させることになります。つまり、一本の黄色いバナナが、「すべてのカラスは黒い」と「すべてのカラスは白い」という根本的に異質な仮説の確証度を共に増加させてしまうことになるのです。この発想は凄く面白いと思いました。


次は未来予測についてのパラドックスです。ある宇宙人が地球にやってきたとしましょう。彼らは「脳検索装置」という技術を持っていて、地球人の脳を一瞬でスキャンし、その情報によってその人間の次の行動を予測できるとします。


さてあなたがその宇宙人を一週間地球案内に連れだすとしましょう。その一週間ずっと、宇宙人の脳検索装置はあなたの行動を完璧に予測したとします。


さて宇宙人は去り際に、プレゼントを用意します。箱Aは透明の箱で、中には100万円がある。箱Bは不透明で中身がわからない。そこで宇宙人はこんな風にいいます。


『あなたは、①箱Bのみを取るか②箱AとBを両方取るという二つの選択肢の内の一つを選べます。ただ、私があなたの脳をスキャンしてあなたの行動を予測していることに注意してください。もし脳検索装置が、①あたなは箱Bのみを取ると予測した場合、私は箱Bに1億円入れておくが、もし②あなたが箱Aと箱Bの療法を取ると予測した場合箱Bは空にしておく』


さてあなたはどうしますか?このパラドックスも、考えれば考えるほどよく分からなくなっていく、不思議な話です。


さて最後に、「全能の神は存在する」という証明を書いて終わろうと思います。
神の存在を認めなくても、「神は全能である」という命題を受け入れたとすれば、それは神の存在を受け入れなくてはならない、という話です。何故なら、神は全能なのだから、とにかく何でも出来る。何でも出来る神にとって、「存在する」という簡単なことが出来ないはずがない。だから「全能の神は存在する」というわけです。これも面白い発想だなと思いました。


というわけで、相変わらず面白い限界シリーズ。哲学とか物理学とか経済学とかあらゆるジャンルについて書かれていて、なんとなくそういうの難しそうだなと思っている人には是非読んで欲しい作品です。どっちから読んでもいいと思いますけど、個人的には「理性の限界」から読むのがいいかなと思います。


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