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【本】仰木日向「作詞少女 詞をなめてた私が知った8つの技術と勇気の話」感想・レビュー・解説

いやはや、ナメてました。すいません。
「何を」の答えは、二つある。
一つは、作詞という行為を、もう一つは本書を。

本書についてまず書こう。

本書は、どう見てもラノベだ。ラノベをそこまで低く見ているつもりはなかったけど(多少はそういう気持ちもあるけど)、やっぱりラノベだからなと思って油断してたんだろう。実に素晴らしい作品だった。

僕は、楽器が弾けるわけでも、よくカラオケに行くわけでもない。30歳を超えてから乃木坂46にハマり、その流れで欅坂46の曲も聞くが、子どもの頃から音楽はほとんど聞かなかった。ライブと呼べるものには、ほとんど行ったことがない。iPodも持ってないし、もちろん作曲も作詞も出来ない。する予定もない。

そんな人間が何で本書を手に取ったのか、うまく説明は出来ないが、なんとなく面白そうだなと思ったからだ。もう少し突き詰めると、「作詞」に「技術」がある、ということがどういうことなのか、という興味があったということだ(この発言自体、「作詞」をナメていることになるのだけど)。作詞をするつもりもない僕だけど、でも本書は実に面白かったし、作詞に限らず、何かを表現する人には汎用性のある話がたくさん盛り込まれていると感じた。確かに「作詞」に特化した技術や経験値の積み方などが多く書かれているのだけど、その合間合間に、「自分の内側から何か表現すべきものを出すこと」の本質的な部分に触れていると感じられる描写が多数あった。そういう意味で本書は、決して「作詞を志す人」だけに向いている本ではない。

そして「作詞」である。すいません、僕も思ってました。作詞ぐらい、自分にもきっと出来るだろう、ぐらいには。

『はーははは。いるんだよな、お前みたいなやつ。作詞くらい誰でもできるとか思ってるタイプのさ。笑っちゃうよな』

『…お前に限った話でもなくてな、作詞ってのは、なめられたんだよ。素人が趣味でやる分にはまだいいとして、プロの世界ですらな』


『だって作詞は、文字だもんな。文字なら扱えそうな気がするよな。センスでやれそうっていうかさ。メロディ作るよりはよっぽど簡単そうだ。そりゃそうだよな、だって日本人なら誰でも、読み書きくらいできるもんな。
正直に白状しろよ。別に責めてるわけじゃねぇんだ。みんなそうだよ。特に、素人のお前がその気持ちで入ってくるのはフツーのことだ』

『…今までいろんな作曲家と仕事してきたけどな、みんな愚痴るんだよ。クソみたいな作詞家をあてがわれたときの話をな。「こんな曲になるはずじゃなかった」って、そりゃあもう寂しそうに言うんだぜ。作曲家がとりあえずつけた仮歌詞の段階では良い曲になるって全員が思ってたのに、本チャンの歌詞がついたら急に台無し。よくある話なんだよ、これは』

いやー、ホントに、なんかゴメンナサイって感じでした。僕も、割とそんな風に思ってました。だって、メロディがあるんでしょ?で、そこに言葉を当てはめていけばいいんでしょ?あとは、センスとか語彙力の問題でしょ?…みたいに思ってました!すいません!

と土下座したくなるような本でした。

本書を読めば分かる。なるほど、作詞というのは確かに技術が必要なことなのだ、ということが。

著者自身、作曲も作詞も手がける人ですが、著者のあとがきに、こんな一文があります。

『音楽をやっている人はかなりの割合で「作詞は難しい」と言い、音楽をやっていない人はかなりの割合で「作詞くらいはできそう」と言う。』

作詞が簡単そうに見えるのは、作詞というのがどういう行為であり、何を目指しているのかが、全然分かっていないからなのです。音楽をきちんとやっている人には、作詞が難しく感じられる―正直、そんな風に考えたことは一瞬もないので、そのことを知れただけでも本書を読んだ価値がありました。

さてそれでは、「作詞」とは一体なんでしょうか?

『どいつもこいつもハッキリ言わねぇんだ。こんなに大事なことをさ。作詞ができるようになるには、作曲の意味がわからなきゃ話になんねぇんだよ。』

作詞とは、言葉だけの問題ではなく、作曲と関わりがあるようです。この一文を読んだ時には、まだ僕にはうまくイメージ出来ませんでした。でもその後、なるほどと納得させられる説明が登場します。

『作曲は「言いたいことや伝えたい情景を作る」“主体性そのもの”だ。編曲は「作曲の言いたいことをさらに盛り立てる」演出家。演奏家や歌手は、そうやって作り上げられた言いたいことや情景を「聴衆に語り伝える」語り部だ。さて、じゃあ作詞っていうのは、なんだ?』

そう問いかけた後、こんな答えを提示します。

『―「音楽語の日本語吹き替え」だ』

まさにこの点にこそ、作詞は作曲の意味が理解できなければ出来ないと断定される部分なわけです。

この表現は、僕には非常にしっくりきました。元々音楽というのは、クラシック音楽なんか典型的ですが、歌詞なんかなかったわけです。つまり、音楽というのは、歌詞のない状態で「音楽語」を伝えることが出来るわけです。で、それをより伝わりやすくしたり補完したりするのが作詞であり、つまり日本語吹き替えというわけです。そりゃあ、作曲の意味が理解できなかったら作詞なんか出来るわけありませんね。

この大前提を叩き込んだ上で、作詞というものに必要な技術や作業を伝える、という内容になっています。個々の技術や作業なんかはここでは触れないけど、非常に合理的で納得感のあるものでした。作詞について書かれた一般的な本の記述を知らないので分からないけど、恐らくそういう本には本書に書かれているようなことはさほど書かれていないのではないかという感じがします。というか、書いてあっても捉え方が違うかもしれません。本書は、物語という形で作詞技術を伝えようとしているからこそ伝わるものがあると感じられる作品で、そういう意味で、「作詞のやり方をラノベにしてみました」という単純な物語ではありません。

それがより理解できるようになるのが、後半です。

本書では、全体の2/3ぐらいの時点で、「お前にはもう教えることはない」と言って作詞講座が終了してしまいます。しかし、もちろんそこで終わりなはずがありません。というか、そこからが本当のスタートなんですけど、これがなかなかハードです。「私が知りたくなかった作詞の話」という章題があるんですが、まさにその通りで、作詞というのは技術だけではどうにもならない部分があるということが示されるわけです。

で、まさにこの部分こそ、作詞に限らず、自分の内側から何か表現すべきものを引っ張り出してくるすべての人に関わる箇所だと感じました。それは、文字に関わらなくても同じです。写真でも絵でも映像でもなんでも、とにかくそれが表現に関わっている以上、本書で書かれていることは役立つでしょう。もちろん、作詞の話をベースにしてはいるので、「文字を介して伝えること」に主眼は置かれますが、そうではない人にも有益だろうと思います。もちろん、賛否両論あるだろうけど、『アタシの言ってることなんて全部デマカセだと思っちまえ!』なんてセリフがある通り、受け入れるも受け入れないも自分次第でしょう。僕自身は、取り入れられそうな部分は積極的に取り入れていこうと思います。

さて、内容に入ろうと思います。作詞についてではなく、ラノベの物語の基本設定や展開などについてです。

高校二年生の江戸川悠は、クラスメイトで軽音部所属の友人から、学園祭で披露する曲の歌詞を考えてくれないか、と頼まれた。頭が良さそうに見えるのか、本を読んでいるイメージなのか、とにかく作詞の役回りが自分に回ってきた悠は、作詞くらいヨユー!と思って取り掛かるも、出来上がったものは友人にやんわり拒絶されてしまう。
落ち込んでいると、白髪に赤いメッシュの入った、制服をダラっと着てスカートの裾をかなり短く折った背の低い女が話しかけてきた。その女は、作詞くらい誰でも出来ると思っているテキトー作詞家を嫌悪しているようで、たまたま見られた悠の歌詞を見てボロクソに言ってきた。反論する悠だったが、しかし相手があのSiEだと知って驚愕する。月9ドラマの主題歌を始め、ヒット曲の歌詞を担当しているあのSiEだ。信じられない。しかもこの女、悠と同じ高校の三年生だという。伊佐坂詩文、それがこの女の名前だった。
結果的に悠は、詩文に作詞を習うことになる。しかし詩文はぶっ飛んでいる。何せ、転校してきたばかりの頃、クラスで行われていたイジメを目撃して、激ギレしながら消化器をぶっ放したという噂のある女だ。ヤバイ。ヤバすぎる。口も悪いし、行動が突飛でついていけない。しかし、詩文が語る作詞の話は実に魅力的で…。

というような話です。

繰り返すけど、凄く面白かった。作詞技術の話ももちろん面白かったんだけど、物語としても面白かった。ただ漫然と、作詞技術を悠に伝授する、というような話では全然ない。悠が抱える問題、そして詩文が抱える問題などが徐々に明らかになっていき、その展開と共に悠と詩文の関係性も揺れ動いていく。支離滅裂にしか思えない詩文の言動にはきちんと意味があって、しかしその意味を理解するまではまったく謎の行動でしかない。特に後半、「私が知りたくなかった作詞の話」の部分なんか、正直ここから物語はどうなるんだ!?と思っちゃうくらいだった。

そして、そんな二人のやり取りを読んでいく内に、瞬間的に涙腺が刺激されるような場面が出て来るんだよなぁ。これは、キャラクターの造詣が非常に見事だからだと思う。悠のキャラクター、そして詩文のキャラクターだからこそのやり取りが、読者の感情を揺さぶる。

特に、詩文の背景については、色々と考えさせられてしまった。もちろん、一般人が陥ることがないような特殊な状況だから、全然気にする必要はないんだけど、詩文のような人生って一体どんなだろう、と考えさせられてしまった。その圧倒的な孤独に、自らの意思で近づこうと決意する悠の決断も良い。

恐らく、作詞技術だけを解説するのであれば、ラノベにする必要はなかったでしょう。でも、本書の後半1/3の部分を描こうとしたら、物語として描く方がより効果的だろう、と感じました。これは、教本という形で描かれても、ちょっとうまくイメージ出来ないだろうなと思いました。物語という形で、伊佐坂詩文というぶっ飛んだ少女が繰り出すからこそ伝わる何かが、確実にこの物語の中にはある、と感じました。

あと、これはamazonのレビューを見て知ったけど、本書で紹介される「母音検索法」は、恐らく本書オリジナルの方法なんだそうです。読んで、なるほど作詞家ってのはこうやって歌い心地の良い詞を書く準備をするのか、と感心したので、これが本書のオリジナルだというのはちょっと驚きでした。

最後にまた繰り返すけど、決して作詞に限らず、何かを表現しようとする人は読んでおいて損はないでしょう。自分の内側から何かをひねり出すことの意味や心構えみたいなものって、なかなか言語化することが難しいけど、本書はそれを物語という形でうまく提示出来ていると思いました。オススメです。



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