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【本】宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃(加藤文元)(※「ABC予想」の解決を含む理論である「宇宙際タイヒミュラー理論」の一般向け解説書)感想・レビュー・解説

いやはや、メチャクチャ面白い本だった!
これは凄いなぁ。
こんなに“易しく”書かれた数学の本というのもなかなか珍しい気がする。
しかも、本職の数学者が、これほど一般向けに易しく数学の本が書けるのが凄い。

とはいえ本書は、簡単に読める本ではない。それは著者に責任があるわけではなくて、「IUT理論」というのがそもそも死ぬほど難しいからなのだ。というかそもそも「IUT理論」はまだ、数学界では受け入れられていない。専門誌にアクセプトされているわけでもないし、数学者たちから疑義も上がっている。

【欧米や日本も含めて、世界中の多くの数学者たちにとって、IUT理論の受け止められ方はさまざまですが、多くの場合、次のような印象をもたれている感があります。「IUT理論とは単に新奇な抽象概念が恐ろしく複雑に絡まり合っている理論装置で、その中身はあまりに複雑なので、それをチェックすることは人間業では到底困難である」。したがって、だれもその真偽をチェックできない以上、これ以上まともに請けあってもしょうがないと、多くの数学者たちは考えているようです】

数学者たちにこうも言わしめる理論を提示したのは、京都大学の望月新一教授。2012年8月30日に自身のHPに論文を公開し、瞬く間に世界中で大きな話題となりました。

その理由はいくつかありますが、最も重要な理由は、このIUT理論が正しければ、「ABC予想」という超絶難問が解決することになる、ということでした。それだけではありません。ABC予想が正しいと証明されれば、「シュピロ予想」や「フライ予想」など様々な難問が自動的に正しいことになるし、また「強いABC予想」というものが正しいということになれば、のフェルマーの最終定理が一瞬で証明できてしまう、ということにもなるわけです。それぐらい凄い「ABC予想」を、IUT理論は証明に成功したのだ、と喧伝され、大きな話題となりました。

しかし、その興奮もつかの間。やがて人々の反応は、本書の第一章のタイトルにように、「IUTショック」とでも言うべき状態になりました。なぜか。

基本的には、先程も書いたように、「IUT理論が死ぬほど難しい」ということに起因するんですが、それに付随する様々な事柄が、問題をややこしくすることになりました。

まず、望月教授がHP上に上げた論文は、なんと500ページ以上にもなります。しかもこの論文は、望月教授が過去に発表した論文を土台として書かれています。つまり、望月教授の仕事に触れたことがない人(数学の分野は多岐に渡るので、数学者はすべての分野に精通しているわけではない)は、過去の論文も含めて1000ページ以上も読まなければならないし、望月教授の過去の論文を読んだことがある人でさえ、500ページ以上読まなければなりません。

しかも「IUT理論」というのは、ただ難解なだけではありませんでした。それは、これまでの数学の常識を覆す、とんでもない主張をしているわけです。本書では、

【おそらく数学史上に匹敵するものを見出すことが難しいほどの、巨大な影響力をもつイノベーションを起こそうとしているのが、望月教授のIUT理論です】

と書かれているし、あるいは、エレンバーグという数学者は、【まるで未来からやってきた論文】と評しています。

だからこそ、この500ページを超える論文の中には、数学者が一度も使ったことがない用語・概念がたくさん出てくることになります。だから、ただ500ページの論文を読むのではなく、まるで宇宙語で書かれたような論文を500ページ以上も読まなければならないのです。

また、第一章では、望月教授やIUT理論がどう受け止められたのかが書かれていますが、望月教授の態度についても不満が出たそうです。それは、「望月教授は、IUT理論を話すように呼んでも全然来てくれない」という感じです。彼は自分の理論を説明したくないのだ、と受け取っている数学者は多いと著者は書きます。

しかし、望月教授と長年の友人であり、後にIUT理論として結実する考え方を深めるためのセミナーを共に行っていた著者は、IUT理論を説明することの難しさを理解しています。通常の、望月教授対大勢の数学者、というような講演会をしても、ほとんどの人が理解できないだろうと言います。だからこそ望月教授は、少人数でお互いにやり取りをしながら議論する、というスタイルを取ることにしました。しかし結果的にそれが、数学者たちからの不信を招く結果になってしまったわけです。

そんなわけで多くの数学者たちは、IUT理論を「諦める」感じになってしまっています。著者はそんな現状を憂えます。僕は本書でIUT理論の概要を理解した気になっているだけですが、それでも、著者の憂えは理解できる気がします。このIUT理論が正しいとするなら、本当に、とんでもないことを主張しています。これは数学を根本からひっくり返す可能性があるだろうし、本当にそうであるかどうかを確かめるために、多くの数学者がこのIUT理論を理解し、議論し、その真偽について深めていってほしいと思います。

次に、本書の成立過程について触れましょう。本書は、ドワンゴの川上量生が個人的にスポンサードしている数学イベントの目玉企画として、本書の著者にIUT理論の一般向けの解説をお願いしたことがきっかけで生まれました。一般向けの解説がこのイベントで行われたことは、数学界でも話題となり、映像を見たいという要望が寄せられましたが、何しろ日本語なので、なかなか難しい。それに、IUT理論は数学をひっくり返すかもしれない理論だし、そんな理論が日本から生まれたのだから、きちんと本にするべきではないか。そんな風に川上氏が考え、著者に執筆を依頼したそうです。

本書を読んだ僕の感想は冒頭で書きましたが、改めてここで書いておきましょう。とにかく、“易しい”本で驚きました。数学者が書いた本というのはどうしても、「一般の人が理解できない部分について理解できない」という印象をもたらす本が多いです。どうしても、数学者は「理解できてしまう人たち」なので、一般レベルに落として話を出来る人がそう多くない気がします。しかも本書の著者は、現役の数学者なわけです。そういう人が書いたとは思えないほど“易しい”本で、もちろん、IUT理論が死ぬほど難しいので、決してスイスイ読める本ではありませんが、数学を知りたい、数学に対する好奇心が強い、という人であれば、高度な数学の知識がなくても、基本的にはついて行けるレベルで書かれている本だと思います。

さて、本書はIUT理論についての本ですが、本書には、「IUT理論が発表された時、世の中はどう反応したか」や「数学者の仕事って何をするの?どうして数学って学問で新しい発見が出来るの?」とか「ABC予想って何?」みたいな、付随する様々な事柄も書かれます。それらの記述も非常に面白く、読み応えがあるんですけど、この感想ではそういう部分はすっ飛ばして、以下では「IUT理論とは何か?」という部分に絞って、僕なりの理解(間違っているかもしれません)を書いていきたいと思います。

まず先に、本書の著者がくり返し書いている大事なポイントについて触れておきましょう。それは、

本書では、ABC予想については深く触れない

ということです。どうしてこんなことを書くのでしょうか?

それは、先程もちらっと書きましたけど、ABC予想というものに対する注目が高いからです。IUT理論が登場した際、「ABC予想が解かれた!」という形で情報が拡散したために、「IUT理論についての本」=「ABC予想についても詳しく書かれている」というイメージを多くの人が持っているだろう、と著者は考えているのです。

しかし著者も望月教授も、ABC予想というのはIUT理論に比べたら些末な問題だ、と考えています。実際、望月教授がIUT理論に取り組むきっかけになったのはABC予想でしたし、望月教授自身もABC予想を解決したということになればそれは嬉しいでしょう。しかしそれよりも、IUT理論というものを考察し、深め、きちんとした理論として提示出来たことの方が圧倒的に価値があり、そのことを理解している著者は、本書の中では、IUT理論の輪郭をいかにして分かりやすく伝えるか、という部分に注力し、ABC予想については、その予想の内容を紹介するに留めています。つまり本書には、「IUT理論がどのようにABC予想を証明するのか」という記述はない、ということです。

もう一つ大事なことに触れておきましょう。

【それは、もしかしたら「巨大な遠回り」かもしれませんし、本当は不必要なことだったと、将来明らかになるかもしれません。しかし、従来の数学にはなかった新しい道筋を示す、ということだけでも、IUT理論の人類的な意義があるのだと思います。】

IUT理論は、本当に壮大な概念を展開します。それが「巨大な遠回り」である可能性は十分にあります。つまり、IUT理論なんてものを使わなくても、もっと簡単な理論で同じようなことが説明できるかもしれない、ということです。しかし、例えばABC予想にしても、その証明は誰も成功していないどころか、どんな風に攻略したらいいかもまったく分かっていない、本当に全然歯が立たないという難問なわけです。そういう難問に対して、もしかしたらあまりにも大げさすぎる理論なのかもしれないけど、しかし解決の糸口を提示出来るとするなら、結果的に遠回りだったとしても、IUT理論に価値があることには変わりないでしょう、ということです。

さて、この2つの話を書いた上で、IUT理論について僕なりの理解を書いていこうと思います。

まず、IUT理論の最も斬新な点は、「複数の数学世界」について考える、ということです。まずこの話が理解しにくいでしょうが、こんな例を出してみましょう(本書に登場するわけではないので、適切かどうか分かりませんが)。

数学の世界には、「真なのか偽なのか判断がつかない命題」というものが存在します。要するに、「正しいとも、正しくないとも言えない命題」ということです。そしてこれは、厳密に言えば、「僕らが採用している数学の体系の中では、正しいとも、正しくないとも言えない」ということです。

「僕らが採用している数学の体系」というのは、単純に言えば、「1+1=2」とか「直角は90度」みたいな、数学の根本を成すルールのことです。不正確な部分もありますけど、要するに「証明なしで正しいってことにしようぜ」ってことにしているルールと、そのルールから生み出された定理とで作られている体系、ということです。

僕らは、僕らの数学の体系しか知りませんが、宇宙の別の星では、僕らが採用しているのとは違う数学体系を持っている種族もいるかもしれません。で、先程「正しいとも、正しくないとも言えない命題」と書いた命題は、もしかしたら、その別の種族が採用している数学の体系では、「正しい」か「正しくない」かを決定できるかもしれません。

「複数の数学世界」というのは、大体そういうイメージです。まったく違うルールの数学世界がいくつかある、という感じで捉えておけばいいでしょう。まずこの点が、IUT理論が斬新で、かつ様々な数学者から拒絶されてしまうポイントです。なんで「複数の数学世界」なんてものについて考えるわけ?という疑問が出てくるからです。

その答えは、「足し算と掛け算を分離するため」ということになります。これもまた意味不明ですよね。

IUT理論は、「宇宙際タイヒミュラー理論」と呼ばれるものですが、元々「タイヒミュラー理論」というものが存在していました。望月教授は、この「タイヒミュラー理論」を「異なる2つの数学世界」の間に適応するものにしたわけです。これが「宇宙際タイヒミュラー理論」です。「宇宙際」というのは、「国際」というのと同じような使い方です。「国際」というのが、国同士の間のあれこれを指すのと同様、「宇宙際」というのは、宇宙同士のあれこれを指します。望月教授は、一つひとつの「数学世界」を「宇宙」に例えて、その間の関係性について考えたわけです。

では「タイヒミュラー理論」とは何なのか。「タイヒミュラー理論」を理解する上で重要なのが「タイヒミュラー変換」と呼ばれるもので、これは「正則構造を破壊するような変形」です。また「正則構造」なんていう訳のわからない単語が出てきましたね。

「正則構造」というのは、「2つの要素が一蓮托生となっているもの」です。で、「正則構造を破壊するような変形」というのは、「2つの要素が一蓮托生となっているものの一方を固定し、もう一方を変形させること」です。

具体的に説明しましょう。例えば、縦と横の長さが同じ「正方形」という図形について考えましょう。これは、「縦」と「横」という2つの要素が一蓮托生になっています。「正方形」であるためには、「縦」の長さが変化すれば「横」の長さも変化しなければならないし、逆もまた然りです。この関係性を「正則構造」と呼びます。そして「正則構造を破壊する」というのは、「縦」の長さは固定したまま「横」の長さを変化させることで、そうすることで「正方形」という構造は崩れてしまいます。

同じことを、「足し算」と「掛け算」について考えてみます。数学の世界においては、数学者が特別に意識したことがないくらい当たり前に「足し算」と「掛け算」は結びついています。それは「正則構造」の関係にあると言えるわけです。しかし、色んな理由から(その理由の一つが、「なんとかしてABC予想を証明したい!」というものなんですが)、望月教授は「足し算」と「掛け算」の「正則構造」を破壊したかった。その結びつきを崩したかったわけです。しかし、普通に考えたらそんなことは出来ません。望月教授は、本当にそれが出来ないのかについて、2年間真剣に考えたそうです。で、結論は、「今の数学の体系では不可能」というものでした。普通の数学者ならここで諦めるでしょう。しかし望月教授は違いました。「足し算」と「掛け算」の「正則構造」を破壊するために彼は、「複数の数学世界」を想定するというアクロバティックな発想にたどり着くわけです。

ここでようやく「複数の数学世界」の話が登場しましたね。望月教授が「複数の数学世界」なんてものを考えたのは、「足し算」と「掛け算」の「正則構造」を破壊するためだったわけです。

では、「複数の数学世界」の関係性というのはどんなものなのでしょう?本書でこれは、ドラマの中の女優さんを使って説明しています。

Aという女優は、Bという名前の教師としてドラマに登場しているとしましょう。するとこの人物は、同一人物でありながら、「現実の世界ではAという女優」「ドラマの中ではBという教師」となります。こう捉えることで、「同じ人物が違う人物でもある」という矛盾が成立することになります。

「足し算」と「掛け算」を分離する、というのも、現在の数学の常識からすればあり得ない話なわけで、要するに矛盾です。しかし、「複数の数学世界」ということを考えると、その矛盾が成立する可能性があるわけです。そこで望月教授は「複数の数学世界」という考えを採用することになります。

さて、もう少し比喩を使ってこの状況を説明しましょう。本書では、「複数の数学世界」は入れ子構造になっているとします。二枚の鏡を向かい合わせにすると永遠に奥行きがあるように映りますが、あんなイメージでいいかもしれません。で、今、「大きさの異なるジグソーパズルのピース」を合わせるという、普通だったら不可能な状況を考えたいとします。世界が一つしかなければ絶対に不可能ですが、複数の世界(合わせ鏡の内側の世界)の中では、ある世界にあるピースと、それよりももっと奥側の世界にあるピースがぴったりハマる、というようなことが起こりえます(絵を使わずにこの説明をするのは難しいんですが)。そんな感じで、複数の世界を想定することで矛盾を乗り越えられる可能性が広がるわけです。

では、次に考えなければならないのは、その「複数の数学世界」同士の「通信」についてです。いくら世界が複数あろうと、その間に一切のやり取りがなければ考える意味もありません。この宇宙に生命のある星が存在するとしても、それが500兆年(光の速度で500兆年かかる)離れた場所にあるとしたら、そんな星について考えてもあまり意味はないでしょう。一往復のやり取りをするのに1000兆年掛かるわけですから。数学でも同じように、異なる数学世界間で、何らかの形の「通信」が発生する、と考えたいわけです。

しかし、「正則構造を破壊する」という、単一の数学世界では不可能なことを、「複数の数学世界」を想定することで乗り越えようというのだから、その「通信」は簡単ではない、としなければなりません。通信が簡単であるということは、その世界同士に違いがあまりないということだし、つまりそれはほぼ単一の数学世界で実現できる、ということになるからです。単一の数学世界では出来ないけど、「複数の数学世界」では出来る、という状況を想定したいのだから、必然的に「通信」は困難なものでなければなりません。しかし当然、一切「通信」が出来ない、というもの困るわけです。

さてそれでは、「通信」の手段として何を想定すればいいでしょうか?例えば、「現実世界」と「ドラマの世界」を考えてみましょう。この2つの世界の間で、「物質」をやり取りすることは不可能でしょう。同じように、「複数の数学世界」間でも、「物質」のやり取りは不可能です。そこで望月教授が考えたのが、「対称性」というものです。これは「物質」ではなく、「物質の性質」です。例えば、「りんご」というのは「物質」ですが、「丸くて赤い果物」というのはその「物質の性質」です。同じように数学でも、「物質」に付随する「性質」が存在し、その一つが「対称性」です。「対称性」が何なのかという説明はここではしません。

要するにIUT理論で目指したいことは、

「Aという数学世界のaという対称性」を「Bという数学世界」に「通信」し、それによって「Bという数学世界」の内側で、「対称性」から情報を「復元する」

という状況です。

さてここで、「通信」についてもう少し考えてみます。「対称性」というのは「物質の性質」であり、IUT理論では「対称性」という情報から「物質」を「復元する」ということをしたい。しかし、「丸くて赤い果物」という情報から「物質」を復元しようとしても、「りんご」以外にも様々にあるでしょう。このように、「対称性」から情報を「復元する」場合、どうしても不正確さ(ひずみ)が生じてしまいます。IUT理論では、「対称性」という情報を「群」という形に変換して「通信」するわけですが、情報をより正確に「復元」できるかどうかは、「群」の複雑さに関係しています。「群」が複雑だ、ということは、「対称性」が豊かに存在しているということであり、「対称性」が豊かに存在していればしているほど、「復元」が正確に行われる可能性が高まります。

しかし、100%正確に復元されることはあり得ません。それは、IUT理論における「通信」というものが必然的に有してしまうものです。だからこそIUT理論ではこう考えます。その「通信」の「ひずみ」を定式化出来ないだろうか、と。

そして、その定式化が出来る、と主張するのがIUT理論なわけです。この定式が、とある不等式で提示されます。そしてこの不等式こそが、「ABC予想」の証明などに利用できる、ということなのです。

まとめましょう。IUT理論というのはまず、「足し算」と「掛け算」を分離することを目指して思考されました。しかし、「正則構造」という関係性にある両者は、普通のやり方ではどうやっても分離できません。だから、「複数の数学世界」というアクロバティックな状況を想定することで、その矛盾を乗り越えようとします。「複数の数学世界」について考えるのだから、その世界間の関係性についても知りたいところです。それらは、「正則構造を破壊する」という大きな目的のために想定される数学世界なわけですから、両者の違いは非常に大きいと想定する必要があります。しかしその違いが大きすぎて、両者にまったく関係がない、という状況も困ります。そしてその両者の世界を繋ぐものとして、「対称性」による「通信」を考えます。両者の世界は、「違いは大きいが、まったく違うわけではない」という状況であるので、両者の「通信」によって避けがたい「ひずみ」が生まれることになります。しかしIUT理論は、その「ひずみ」をある不等式で定式化出来る、と主張します。そしてその不等式こそが、「ABC予想」の証明などに抜群の力を発揮する。

という感じです。

僕の解釈が間違っていたり、使う単語を間違っていたりするかもしれませんが、概ねこのような感じだと思います。

本書では、「対称性」や「群」などが、非常に分かりやすく説明されますし、重要なことは何度もくり返し登場するので、頭に染み込ませるように読んでいくことが出来ます。IUT理論は、その技術的な詳細に立ち入ろうとすると非常に難しいのでしょうが(その難しさについては、僕には及びもつきませんが)、IUT理論の大枠という意味で言えば、本書に記述されていることであれば十分理解可能だし、それでいて、今までの数学とはまったく違うとんでもない主張をしている、ということも理解することが出来ます。一般向けの数学書で、このクオリティの作品は非常に珍しいなと感じます。数学が苦手だ、という人にはもちろんオススメしませんが、得意ではないが数学に関心はある、という人であれば、頑張れば十分読める作品だと思います。是非読んでみてください。


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