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わたしも伯父さん

東京新聞で連載されている、「私の東京物語」。今はキョンキョンが書いていて毎日楽しみにしている。先日は、六本木WAVEの思い出が綴られてて、とても懐かしく思った。

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田舎から欲しいCDのメモを片手に遊びに来ていたし、WAVEの近くで働き始めて仕事帰りに急いで走ってWAVEの地下にあるシネ・ヴィヴァンのレイトショーを毎日のように観に行ったり。今思うと夢みたいな日々だったなぁ。

昨日は、ジャック・タチの誕生日だったんだ。私がタチの存在を知ったのも、細野さんで「ぼくの伯父さん」がフェイバリットと聞いて興味を持った。高校生の頃、深夜TVで「ぼくの伯父さんの休暇」が放送されて、録画したものを観たときに、サイレント映画のようにセリフがほとんど無くて、呑気で面白かった。六本木WAVEですぐ「ぼくの伯父さん」のビデオを買ったら、ライナーに細野さんのコメントが載ってて、いわゆるオシャレな映画という感想よりも、まるで映画の中のユロさんが細野さんの分身みたいで嬉しくなった。ん?細野さんがユロさんの分身なんだろうな。

雑誌オリーヴで連載していた「のんちゃんジャーナル」でもタチは登場してました。

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いやー、私はユロさんが旦那さんだとちょっと困るかもなー。やっぱり伯父さんくらいの距離感で一緒に友だちみたいに遊んで欲しいもんだ、と当時から思っている。ユロさんは十代の頃から友だちみたいに思っている。できればユロさんみたいに生きていければいいな、とわりと本気で思った。さすがにユロさんみたいに働かないわけにいかないから、とりあえずは生活のためには働くけど、風来坊のようにのらりくらりといられたらいいな、と今日までやってきてしまった。いつのまにか私も「伯父さん」になっちゃったみたいだな。私の周りにいる映画や音楽の好きな人たちも「伯父さん」みたいな人ばかりだ。

人生に勝ちも負けもない世界にいる「伯父さん」は勝ってる世界の人からみたら、やっぱり負けているかもしれないんだけど、そういうものさしを先天的に持ち合わせていないから、何を言われているのか?わからないでいられる。そうは言っても、ちょっとぐらいはわかっているさ。向かい風が厳しいなーと思うことはたまにある。だれもいない平野にひとりでいることも多い。そんな日々も楽しく暮らすすべを持っているのが「伯父さん」で、その姿はシルエットすらも絵になるのだ。そんな大人になれたらいいなと、いつまでもユロさんの後をついていくのです。

「もちろんユロ氏の中に少しの私はいる。でも同じように、少しのあなたたち全員がいるんだ」 ジャック・タチ





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