2020.03.20

朝、花を活ける。

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ひな祭り以来活けてる桃の木の枝には、若葉が生えてきました。

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最近、新しい一輪挿しを買いました。たくさん活けたり、一輪の花を愛でたりいろんな花の姿を見ているのが好きです。たとえ朝の身支度でバタバタしていても、一瞬でも花と目を合わせる時間があると、心が温かくなる。路傍の草花に対してもそれは変わりません。

中学生の時、雑貨屋で赤い一輪挿しに一目惚れして買い、その足で花屋に行きオレンジ色のバラを一輪買って活けてみました。毎日水を替えて花がだんだん咲き開くと、バラから言葉にならない何かを教えてもらえたような気がしたのを覚えています。

素敵な動画を見た。

小川のキラキラを豊かにあらわす女の子の春のダンスにほっこり。

小さい頃、動画のような、今日のような陽気の日に道端の春を探しにひとりで散歩に出かけていました。風が変わったと思った日に、母におにぎり作ってもらい、水筒やゴザも持参ですから本格的です。

出かけるといっても場所は家の目の前の田んぼ。そのあぜ道には、枯れ草の間から若い芽や草花が伸びだしでいます。つくしも生えています。しろつめくさ(クローバー)やレンゲ草をたくさん摘んで花のかんむりを作ったけど、編み方まだ覚えているかな?

小川の土手には、のびる、よもぎが生えていて、よもぎは草もちになり、のびるは生味噌をつけて大人が食べていました。田んぼの真ん中に立つと空がとても青く広く、彼方には連山が見えます。

暖かくなったと言っても、私の背丈を上の方には冬の風が通り過ぎます。この風は山の彼方のどこまで吹いていくんでしょう?そんなことも小さい私はチラッと考えてみたりしました。

幼い頃の春の散歩と、山の彼方にその風が吹いていくさまを、この曲を初めて聴いたとき、その風景が脳裏に浮かんで来ました。

昼過ぎ、近所を散歩しました。毎年とある場所にしか生えないあの子(つくし)に会いに行くのです。今年もお会いできてうれしいです。

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机を片付けいたら、だいぶ前の細野さんのライブのパンフレットが出てきた。2012年の鎌倉のライブか。これは、見に行けず妹に買って来てもらったんだっけ。

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このパンフレット、後半は無地のノートになっています。この余白、どう使おうかわからなかったのですが、私は細野さんの語録を書きうつすことを思いつきました。細野さんの言葉には飄々とした軽さと呼吸が深くなる、ほどよい重みがある。

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まるで写経だね。最後のページにいつか細野さんにサインもらえたらうれしいな。

ところで。今日は人類滅亡の日?だったようですが。こんな穏やかな春の日に滅亡してもまぁいいかな?と一応身構えていましたけど。とりあえず無事に一日終わったっぽいですね。

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