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タイムマシーンがあったら18歳の私に「社会がそんな時代に向かっているよ」と伝えたい【2021/3/28放送_フリーアナウンサー 町 亞聖さん】

Fm yokohama(84.7MHz)から毎週日曜日深夜24:30~25:00にお送りするラジオ番組『文化百貨店』。今週は、フリーアナウンサーの町亞聖さんをお迎えして、日本テレビ時代の事や著書『十年介護』にも記されている自身の介護の経験について、たっぷりお話をお伺いしました。

【パーソナリティ】
セイタロウデザイン代表・アートディレクター 山崎晴太郎(@seiy

【今週のゲスト】
フリーアナウンサー 町 亞聖さん

小学生の頃からアナウンサーに憧れ1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社。その後、報道局に異動し、報道キャスター、厚生労働省担当記者としてがん医療、医療事故、難病などの医療・介護問題などを取材。また北京パラリンピックでは水泳メダリストの成田真由美選手を密着取材。“生涯現役アナウンサー”でいるために2011年にフリーに転身。脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々をまとめた著書「十年介護」を小学館文庫から出版。医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。
公式ブログ

【今週のダイジェスト】

▶︎アナウンサー、記者、キャスターの役割

【山崎】以前、Street Medical Schoolという所のイベントで一緒に登壇させていただいたご縁から、来ていただきました。

【町】よろしくお願いします。

【山崎】日本テレビに入社後、アナウンサーを経て記者、キャスターとして報道の最前線で活動されていましたけど、それぞれの役割はどう違うんですか?

【町】アナウンサーは、スタッフが積み重ねてきた準備を最後にバトンをもらって伝える“アンカー”ですね。でも、原稿は書かない。記者は、原稿をアナウンサーに届けるまでの全てをやります。だから、事件が起きたら現場に行くし、撮ってきたテープのキャプションを書き起こすし、ありとあらゆる裏方の仕事をします。一般の人が疑問に思うのは「キャスターとは何者なんだろう?」という事でしょうけど、これは各局で違うんですよ。報道番組の担当というだけで、キャスターと呼ぶ局もありますが、全部を経験した私としては、現場で取材を重ねてきた人をキャスターと呼ぶべきかなと思いますね。

【山崎】なるほど。ある意味、記号的なものなんですね。記者時代には、厚生労働省の担当をされていたそうですが、どういう時代でしたか?

【町】2000年の初めから記者クラブに4年半程いて、所属していない間も10年ぐらいは担当していたので、色んなことがありました。2000年には介護保険制度が始まり、消えた年金記録という事件があったり、医療事故が結構多発したり……。あとは、前の新型の肺炎でSARSとか、新型インフルエンザとかも担当をしていたので、年間に何本の原稿を書いただろう?手が腱鞘炎になるくらい。

【山崎】結構大変だったんじゃないですか?

【町】包み隠しませんが、大変でした(笑) 新聞は何人かのチームなんですけど、実はテレビは1人か2人しかいなくて、今話したような問題を1人でやるんですよ。

▶︎報道は、問題を考えるきっかけをつくるもの

【山崎】厚生労働省の担当となると、センシティブな部分や、勉強しないといけないところもありますよね?

【町】医療事故だと、「同じ思いを他の人にさせたくない」ということで被害者側が声を挙げるんですけど、裁判で本当の事を聞けなかったり、周りから「お金目当てなんじゃないか」と言われたりと、何度も傷つけられたというケースもあります。薬害肝炎だと、当時は病気に対する世間の無知や偏見があって、名前を公表して国に「解決して欲しい」と訴えるのはすごく勇気が必要な事なんです。その人たちにマイクを向けるというのは、本当に生半可な気持では向き合ってはいけないと思います。命と暮らしに直結しているから、一字一句おろそかにできないと思って取材や原稿を書いていたりしていました。

【山崎】センセーショナルな時は、メディアも追いかけていきますけど、被害にあった方々は、もっと長いわけですもんね。

【町】そうですね。下手したら一生の問題ですよね。

【山崎】マスメディアは教授みたいに“難しいことを難しく話す”わけではなく、不特定の視聴者に対して、分かりやすくする事が求められている面もあると思うのですが、どういうことに気を付けていますか?

【町】テレビってインパクトは強いんですけど、ニュース番組の中の10分ほどの企画とかで伝わることって、そんなにたくさん無いんですよ。新聞だと読み返したり、気になる所に線を引いたりできるんですけど、テレビって戻れないんですよね。そして、人間って自分で無意識に取捨選択をしているので、“何を一番伝えたいのか?”という所を強調するということは意識をしていました。

【山崎】なるほどね

【町】あと私が扱っていたテーマは、多くの人が知らない真実が多いんですよ。一度見ただけでは、すべてを理解することが難しいことをやっていたんですけど、分かるように整理はするけど、あまり嚙み砕かないようにしていました。正しいとか悪いを裁くことが仕事ではないので、結論付けるのではなく「こういう問題がある」というのをきちんと伝えて、考えてもらうきっかけを作るというか。そういうスタイルが、報道としてあるべきなのかなと私は思います。

【山崎】物事を伝えるというか、報道と言ったものが町さんの1番強い思いなんですね。

【町】そうですね。決して、楽ではないし、正解もない仕事です。自分で原稿を書く側になって、自分が目にしていない、聞いていない情報を伝えることの怖さも感じていますね。人を励ますこともあれば、傷つけることもあるので。だから、Facebookとかの発信でも、実際に私が見聞きしたことしか載せないです。それは、記者を経験した者のポリシーとして。

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▶︎ヤングケアラーとして介護をしていた時に感じたこと

【山崎】2013年に出版された著書『十年介護』にも書かれていますが、18歳の時から10年に渡って、今で言う“ヤングケアラー”という形で、ご家族の介護をされていたんですよね。

【町】母がまだ40歳だったんですけど、くも膜下出血で右半身麻痺と言語障害と、今でいう高次機能障害というのが残ったんですね。

【山崎】学生時代から日本テレビ時代にあたると思うんですけど、当時は今ほど周囲の理解が無かったと想像するんですが……。

【町】今は、“バリアフリー”という言葉を知らない人はいないと思うんですけど、当時はその言葉を知っている人が、どれだけいたか……。皆にとって”介護”は身近では無かったので、お手本が無いから失敗は仕方ないし、分からない事だらけだし、その日その日を過ごすのに必死でした。中学生の弟と小学生の妹がもいたので、自分のことを考える時間が無かった感じなんですね。実際に大変だったのは、母が家に帰ってきてから。第三者の手が無いので、私がやるしかなかった。

【山崎】そうですよね。在宅介護はね……。

【町】誰かに聞こうにも教えてくれる人もいないし、相談できる人がいなかったので、孤独だったというか……。1番泣いていたのは、私だったんですよ。今、思うと現実が厳しいことが分かっていたんですよね。

【山崎】周りには、オープンにされていたんですか?

【町】隠すことでもないですしオープンにはしていました。近所のスーパーに週に一回買い物に行くとか、遠出をしたりもしていました。まだ40歳だった母をやっぱり家に閉じ込めていたら……

【山崎】再来年の俺!?

【町】そういう事ですね。子供もまだこれから手がかかるという感じで。母が倒れたのが、高校3年生の3学期の始業式の日だったんですよ。数日間だけ登校したら卒業式というタイミングだったので、同級生には詳しい状況を言えないまま卒業したので、正確には友達に話していたかと言うと……。でも、当時「気持ちが分かる」って言われるのは嫌だったかもしれない。

【山崎】それは、分からないですよね。

【町】同世代というか、経験していない人には分かってもらえないかなという孤独ですよね。伝わらないもどかしさというか……。でも、『十年介護』を出した時に高校の同級生が読んで「そんな事が、あったんだね」って言ってくれて、身が染みる年齢になって、理解してもらえたって感じましたね。

▶︎介護を取り巻く環境の変化と課題

【山崎】介護を始められた30年ほど前と比べて、環境や認識、理解といった部分で最も変わったと思うのはどの辺りですか?

【町】介護を語れるようになったのが一番大きな変化かな?介護保険が出来たり、うまく使えば素晴らしい介護サービスというのもあるし、バリアフリーも進んだし。あとは、映画やドラマで“認知症”というテーマをストレートに扱うようになったりもしていますよね。30年前は、お母さんがお子さんをケアしているようなケースで、なかなか外に話が出来なかったりしていましたね。

【山崎】あまり外に言うような話では無かったという事ですかね?

【町】これはパラリンピックにも関わると思うんですけど、障害者スポーツのインターネット中継をやっている方が、約20年前に最初に中継をした時に、会場に見に来ていた人から「晒し者にするな」と言われたそうなんです。

【山崎】そんな事があったんですね。

【町】それと比べると語れるようにはなったんですけど、意識が伴っていない部分がありますよね。”心のバリアフリー”と言われる点ですかね。ハード面は進んでいるけど、人は控えめで町で困っている人にすんなり声がかけられないという。その意識が変ると、より変わるかな?という感じがしますね。でも、もしタイムマシーンがあったら、18歳の時の私とお母さんの所に行って「社会がそんな時代に向かっているよ、悪くはないから、このまま頑張れ」という風に言いますよね。

【山崎】なるほど。皆が考えなきゃいけないけど、なかなか言葉にしないようなお話をありがとうございました。今週のゲストは、フリーアナウンサーの町亞聖さんでした。

【町】ありがとうございました。


【今週のプレイリスト】

▶︎町 亞聖さんのリクエスト
『This Is Me』キアラ・セトル

といった所で、今週の文化百貨店は閉店となります。

次回も引き続き、町亞聖さんをお迎えして、現在活動されている取り組みについて伺います。

【次回4/4(日)24:30-25:00ゲスト】
フリーアナウンサー 町 亞聖さん

また日曜深夜にお会いしましょう!


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