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デザイン経営から生まれた”女子高生が働ける工場”【2021/4/11放送_株式会社JMC代表取締役社長兼CEO 渡邊 大知さん】

Fm yokohama(84.7MHz)から毎週日曜日深夜24:30~25:00にお送りするラジオ番組『文化百貨店』。今週のゲストは、山崎が取締役兼CDOを務める株式会社JMC代表取締役社長兼CEOの渡邊大知さん。経済産業省と特許庁が推進する“デザイン経営”のモデルケースの1つとして、デザイナーやデザインが経営にもたらす影響について、たっぷりお話をお伺いしました。

【パーソナリティ】
セイタロウデザイン代表・アートディレクター 山崎晴太郎(@seiy

【今週のゲスト】
株式会社JMC代表取締役社長兼CEO 渡邊 大知さん

高校卒業後、ファイティング原田ジムに入門しプロボクサーとしてデビュー。引退後の1999年、株式会社JMCで3Dプリンター出力事業を立ち上げ、日本における黎明期から3Dプリンター業界に携わる。2004年に代表取締役就任。2006年には鋳造会社を合併し、事業規模を大きく拡大。「MADE BY JMC」を企業理念に掲げ、旧来の栄光や方法論に縛られない、本質的で革新的なものづくりを実現するため、日夜挑戦を続ける。

【今週のダイジェスト】

▶︎経営者として、デザインが必要だと感じていた部分

【山崎】『「デザイン経営」宣言』というデザインをビジネスの力にしていこうという流れが、日本の経済の中で盛り上がっていまして、僕が取締役で関わっている株式会社JMCのケースを例に挙げてご紹介したいと思って、渡邊さんに来て頂きました。まずは、JMCの紹介からお願いできますか?

【渡邊】もともと保険屋さんだったのですが、私が入って製造業に変えていきました。製造業の中では、主に試作開発や少量のものづくり中心の開発をメインでやっている会社だと捉えていただければと思います。

【山崎】大きく、3つの事業がありますよね。

【渡邊】元々は3Dプリンターの事業を始めて、その後に砂型の鋳造事業ですね。そして、CT事業を始めました。この3つの事業の関わりが無いようであるというのが、ミソなんです。

【山崎】10年くらい前になると思うんですけど、JMCは僕のデザインとコミュニケーションのお客さんだったんですよね。

【渡邊】僕らが、新横浜駅前に移転する時に、オフィスのデザインを探していたんです。そこで、晴太郎さんに行きついたという流れだったと記憶しています。

【山崎】当時は、それほどデザインを信じていなかったですよね?

【渡邊】仕事柄、デザイナーの人と仕事をすることが多いんですけど、抽象的な物言いをする人には「なんでしょう?この人」という感じで、僕は、ものすごく苦手でした。

【山崎】デザインの力や効能とかコミュニケーションの力に、それほど期待をしてなかったということですか?

【渡邊】期待はしていなかったです。でも、なぜやり始めたかというと、外に伝える力に対して不足を感じていた時期でしたね。製造業をやっていると、 “いいものを造れば売れる”と気づかないうちに考えていることがあって、そこを直していきたいなと思っていたんですね。あと、表現をしていかないと、良い人も入ってこないし、外から見えてこないと思ったので、表現力を付けていきたいなと考えていました。

【山崎】当時は、オレンジ色のロゴでしたね。そして、コピーが『いくぞ、メイドインジャパン!』でしたね。

【渡邊】あの時も、ロゴを作る人とコンセプトを作る人を別の人に頼んでいたのね。それは、それで「別のものになるよな」という話ですよね。

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▶︎“広い範囲へ伝える”という意識の変化

【山崎】最初は、オオカミのロゴと“この国のものづくりを置き去りにする”という今でも気に入っているコピーへの変更を、社内のデザイナーにも入ってもらって作ったんですけど、あの時も僕はファジーな言葉を使っていたと思うんですけど、使っていなかったですか?

【渡邊】使っていた。だけど、一般的なデザイナーとは言葉遣いが違うよね。

【山崎】そうですか?自分と同じような立場の人と一緒に仕事をすることがないので、どこが違いなのかよく分からないんですけど……

【渡邊】例えば、最初は「もっとシャープに」みたいな抽象的な言い方をするかもしれないけど、疑問を示すと具体的に示してくれる。そういう部分が、違った気がするよね。普通は、また「もっとシャープにさ」という話になりがちなんですよ。それを具体的に分かるように説明してもらえたというのが、一番だったかな。

【山崎】その次の関わりが、社外取締役としてなんですけど、なぜ僕に声をかけてくれたんですか?

【渡邊】そこまで話をしてきた時に、外からもらえる話と、中で一緒に仕事をする時の話でいえば、変わってくるんだろうなと思いました。あと、どんな言葉や表現が出てくるのかなという期待感もありましたね。僕は製品で表現が出来ても、それを伝えることがいつまでも出来なかったので、会ってしっかり話が分かる人に入っていただくほうが一番だと思いました。

【山崎】逆に、懸念していたことってあります?

【渡邊】その時は、中に入ってもらうというのが一番だったよね。意見の違いはあっても、議論し尽くせば大抵は落ちつくところがあったので、違和感なくこのまま来ちゃったという感じですよね。

【山崎】領域は明確ですもんね。背中を預けてもらっているなという感じはしますね。

【渡邊】丸投げという表現がいいかは分からないけど、ある意味で丸投げだよね。

【山崎】JMCって僕の感覚から行くとファジーな段階からの言語化を全部任せていただいているので、そこのドライブの仕方が全然違うんですよね。僕が入って10年くらいの中で、個人的に変化はありましたか?

【渡邊】使う言葉もそうだし、社内に伝える意識だったり、“伝える”ということに対しての意識が全て変わりましたよ。今までだと、ものづくり的な話し方とか、自分的な伝え方になっちゃうのね。「良いものつくっていれば」という感じになっていたのが、製造業ではない人にも分かるような伝え方になったというか。業界の中で話すのは、楽で気持ちいいんですけど、逆に言うと広がらないんですよね。晴太郎さんと一緒に仕事をすることで、色んな業種と関わることが出来たので、言葉も変わってきたということです。ゆくゆく、社員も変わっていくと思っていますよ。

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▶︎当たり前を崩して、新しい価値観を生み出していく

【山崎】2019年に新たな経営理念として“MADE BY JMC”という言葉を掲げ、ロゴや従業員のワークウェアを一新しました。なぜ、リブランディングをしようとしたのか覚えていますか?

【渡邊】オオカミと“この国のものづくりを置き去りにする”というのは尖ったワードで経営者を表現したような、上場までを牽引するための攻撃的なブランディングだったと理解しています。勢いあまって、そのまま上場しちゃったじゃないですか?

【山崎】上場がちょっと早かったんですよね。

【渡邊】そうそう。上手く行き過ぎちゃったので、変えないまま行っちゃったんだよね。上場すると「攻撃的な表現でない部分が欲しいよね」とか「もうちょっと自分軸の捉え方をしたいよね」という話があって、こういう風に変えていきましたよね。

【山崎】“MADE BY JMC”というのは、農家に喩えると“宮崎県産”ではなく“宮崎の田中さんの畑”から野菜を買うように、ものづくりもどこが造っているのかという事に責任を持ちましょうという話なんです。これは、当たり前な購買行動なのに、その仕組みとか考え方自体が業界に浸透していないですよね?

【渡邊】同じものだったら、どこから買っても一緒みたいな話なんですよね。ただ、納期だったり、サービスだったり、本来なら色んな付加価値があるべきなんです。高度成長期に、なんとなく当たり前が出来てしまった。その当たり前を崩すと、新たなる価値が出来るというのが、僕らが少し体現できているところと、ブランドで表現できているところかなと思っています。

【山崎】今でも一番覚えているのが、工場を造る時に「女子高生が働けると思えるような工場を作ってくれ」と言われたんですけど、あれは結構しびれましたね。

【渡邊】僕らがやっている仕事自体が、3Kと言われている事に対して、うちの専務と話している中で「女子高生が入れるくらいの工場にしていかないと、ここから難しいよね」という話になりました。あと、業界が古いので変えていかないといけないというところかな。表現的に女子高生の話って、今そういうことを言うと難しいかもしれないけど、キャッチーじゃないですか。表現としては、十分尖った表現で、うちらしくていいのかなと思いましたね。

【山崎】あれから、工場をいくつも立ち上げてきましたけど、女子高生が働ける工場になったのかなと思いますけどね。

【渡邊】最近だと、従業員が「着て帰りたい」と言うくらいの作業着も出来てきているので、それはそれでとてもいい話ですよね。

【山崎】作業着も、最近では色んな企業がやっているように、業界全体に波及していくというのも、すごく意味のあることだと思いますよね。リブランディングの中で、渡邊さんが「ここに力を入れた」という部分はありますか?

【渡邊】前のコピーの「この国のものづくりを~」という相対的な表現ではなくて、軸を自分たちに戻したいという思いや、自分表現にしたいという思いはたくさん話していたので、そこは大きくこだわりましたよね。そうすると、主語が全部自社になってくるので、一番馴染んでいるところですよね。

【山崎】そうですよね。僕らの観点からすると“MADE BY JMC”というのは、タグラインの扱いにもなってくるですよ。日立の“Inspire the next”とかナイキの“Just do it”みたいに。その中に社名がもう一度入るのは、結構珍しいパターンなんですよ。

【渡邊】確かに、そうですよね。

【山崎】一瞬迷いましたが、それが成立するくらいのパワーワードになっていて、社内の価値観を体現しているからGoを出した感じだったんですよね。逆に言うと“MADE BY JMC”というタグラインだけで、社名が無かったとしてもコミュニケーションが取れるようになるんです。そういう新しい使い方も見えてくるので、僕としては面白いと思っていました。

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▶︎デザインの力を経営に取り込むためのポイント

【山崎】今日、冒頭にデザインのファジーな感じが好きではないと仰っていましたが、ファジーだからこそ遠くに飛べたりもするので、功罪があると思うんです。経営者の立場から、どうしたらデザインを自分の武器にできると思いますか?

【渡邊】まず、こだわりを持たないところが一番じゃないですかね。あとは、素直に新しくて良いものは受け入れるということ。自分の介入余地があると、馴れてくると多少のこだわりとかを言う人もいると思うんですよね。でも、私たちの場合は、初志貫徹して最後までデザインは山崎晴太郎に投げる。そこから返ってきたものを信頼して実行するという、究極の分業と言えば、分業かもしれない。

【山崎】それは、すごく理想だと思っていて、デザインの力を経営に入れる上では、その関係性を経営者とデザイナーが持つべきだなと思うんですけど、どうやったら構築できると思いますか?

【渡邊】僕らがブランディングをお願いした時も上場するタイミングだったり、晴太郎さんも色々な賞を獲っていたりするじゃないですか。お互いが成果を出し続けているという良い緊張感で、また良いものが出来ていくと、落ちていくわけがなくて、前に進むエンジンになっていくんですよね。

【山崎】確かに、相互の補完関係っていうのはありそうですね。例えば、デザインの力を経営に入れる時、若い経営者はどうしたらいいですかね?

【渡邊】若い経営者は器用なので、初めから自分で言葉づくりやロゴを作る人山ほどいるじゃないですか。色んな情報とか取れる情報があるので、やり始めるところが逆に器用貧乏にもなりかねないよね。やっぱり、専門家には敵わない。「まだやれる」とか「人に頼むがの嫌だ」とか「お金の話」では無いですよね。医者と同じで、初めから専門業には敵わないと思ったほうがいいですよね。

【山崎】それは、わかりやすいかもしれない。

【渡邊】歯が痛くなったら歯医者に行くわけじゃないですか。自分で治そうみたいな人いないよね?それくらいの切り分けがないと、こだわりとか想いが出ちゃうと手を離せなくなりますよね。

【山崎】経営という意味だと、僕は元々代理店にいて、お金を出してもらって独立をしたんですね。最初から、やりたくもないのに取締役会をやらされていた時代とJMCで経営の最前線に触れるという2枚が、僕の“経営”という言語を育てて来てくれたと思っていて。だからこそ、ブランディングを対経営者や上場企業に対してできるということもあると思うんです。こういった感覚を、どうしたら経営サイドからデザイナーに伝えていけると思いますか?

【渡邊】恐らくデザイナーの多くが、経営サイドが「堅苦しい」とか、「取締役会=意思決定が遅い」みたいなイメージをお持ちなのかなと思いますよね。それは、形の話ではなく、“企業体”の話なんですよね。うちみたいにベンチャーだと、上場していてもバンバン進んでいくんですよ。そこの先入観がデザイナー側にもあるから、「入って行きたくない」「聞き辛い」となって、触ってみるだけみたいな感じがあるんじゃないですかね。

【山崎】確かに、経営側もデザイン側も、最初にそれをどう越えるのかというのが全てかもしれないですね。

【渡邊】僕の「デザイナーさんが苦手だ」というのは、そこから入っていると思うんですよね。

【山崎】この間も経済産業省の人と「高度デザイン人材をどうやって増やしていけるだろう?」という話になったんですけど、自分がこうなったのも“ラッキーだった”みたいな感じにしかならなくて、どうやったら育つんだろうとは思いますよね。

【渡邊】デザイナーも経営者も山ほどいるんだし、うちみたいに「デザインを入れたからここまで伸びました」というのを、もっと提示できれば良いなと思いますね。

▶︎“やりたいこと”と“未来”を示すのが、デザインの力

【山崎】そして、経営側の話ですが、製品を造る場ではなく、企業の意思決定という方針を決めたり、何かしらを議する機会で、デザインやコミュニケーションの役割や重要性を今現在はどのように考えていらっしゃいますか?

【渡邊】製造業の役員は、製造に強いから役員をやっていると思うんですけど、ロジカルに積み上げ式に考えている所があるんですよね。ただ、そうなると理想とは違うんですよね。“できるところ”から考え始めるのか、“やりたいこと”を考えるのかという話だと、できる範囲の積み上げで考えてします。ただ、晴太郎さんみたいな人とデザインや思想の話をしていくと、やりたいことに話が移っていくので、思想が伸びていきますよね。

【山崎】なるほどね。個人的にはJMCのように可変し続ける会社でないと、デザイナーが経営陣に加わる意味はないと思っているんですね。ビジネスモデルが固着していたら、デザインによるジャンプはいらないんですよ。可変し続けると常に新しいことがあって、重心が変わっていくじゃないですか。その中で、新しい点や突破口を探していくのが、デザインが経営へ入り込む1つの理由だと思うんですよね。最後になりますけど、企業にとってデザインとは何を指すと思いますか?

【渡邊】一言で言うと〝未来″みたいなことですかね。経営者が描けないものをデザイナーと組んで、未来を描いて形にする、図示できる。そうすると、従業員にも見えるようになってくるという、可視化のような事かもしれないですね。

【山崎】なるほど。ありがとうございます。今週は“デザイン経営”についての第1回をお送りしました。あまり直接聞く機会が無いので、若干の恥ずかしさみたいなのもありつつ、ちょっと面白かったですね。あと、経営者の話をどう伝えていくかというのは、デザイン側でもっとコミットすべきだなと思いました。こういう形でブランや会社を作っている所は、他にもたくさんあるのに、経営者の本音が、なかなか伝わってこないという現状があったりするので、その辺は丁寧にやっていこうかなと思います。本日のゲストは、株式者JMC代表取締役社長兼CEOの渡邊大知さんでした。ありがとうございました。

【渡邊】ありがとうございました。


【今週のプレイリスト】

▶︎渡邊 大知さんのリクエスト
『ロッキーのテーマ』ビル・コンティ


といった所で、今週の文化百貨店は閉店となります。

次回は、コミュニケーションにおけるデザイン経営について株式会社JMC専務取締役COOの鈴木浩之さんにお話を伺います。

【次回4/18(日)24:30-25:00ゲスト】
株式会社JMC専務取締役兼COO 鈴木 浩之さん

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2002年に有限会社エス・ケー・イーを設立。家業でもあった鋳造に、3Dプリンターを始めとした最先端のデジタル技術を持ち込み昇華させる。2006年に株式会社JMCと合併し、専務取締役に就任。長野県飯田市にコンセプトセンターを立ち上げ、鋳造事業の急成長を牽引する。2017年には市場が未形成であった産業用CTの受託事業を立ち上げ、新たなビジネスモデルを創出する。

また日曜深夜にお会いしましょう!

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