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文果組インターン生による北先生インタビュー第4弾

文果組インターン生で「本多静六 若者よ、人生に投資せよ」(実業之日本社)の著者、「永遠の森」脚本の北康利先生にインタビューをさせていただきました。

Q. そんな本多博士がなぜ公園作りに携わったのか?というところを聞かせていただけますか?

私の作家としての師匠である評論家の谷沢永一先生が『人間通』というベストセラーの中で書かれた印象的な言葉が「幸福は人間の形をしてやってくる」というものです。人間との出会いこそが人生を豊かにしてくれるんですよ。本多静六博士も学校でもすぐれた友人を作り、ドイツ留学中は後藤新平や北里柴三郎などの当代一流の人々と親交を結びます。そのことが彼に幸運をもたらしていくのです。その一人が日銀本館や東京駅の駅舎設計で知られる建築界の泰斗辰野金吾でした。たまたま水源林の仕事で当時有楽町にあった東京府庁舎(市庁舎も中にあった)に出入りしていた折、ふらっと旧知の辰野さんの部屋に遊びに行ったのが全ての始まりな訳です。そこで辰野博士が「今、日比谷公園の設計を頼まれてるんだが、僕はこの方面は素人なんで苦労してるんだよ」と話をしたところ、自分も素人のはずの本多博士が欧米で収拾した知識を元に洋風公園のなんたるかを話して聞かせるわけです。「そんなに知っているのなら、君を紹介するよ!」というのがすべてのはじまり。この出会いがなければ本多博士は〝日本の公園の父〟などにはなっていません。そもそも彼の旺盛な好奇心と「二本木が並んでいると林になる。という意味では、二本以上木の生えているものはすべて林学者の出番と考えていい」なんて考えて知識を集めたことが、彼を林学者の枠を越えたマルチプレイヤーにしていくわけです。これもまさに「乃公出でずんば」の精神と言っていいでしょう。

あと彼の特長は実現する力にあります。今はやりの「社会実装」と言い換えてもいいでしょう。どれだけ知識があろうが、それを実現できなかったら意味がないのです。彼が日比谷公園の設計を成功させた過程は心憎いばかりです。これまでに何度も挑戦してボツになっていった、そのボツの理由を詳細に分析し、欠点をなくし、洋風公園と言いながらも大名庭園が恋しい人たちのために和風のテイストも取り入れている。それを元からあった日比谷見附の石垣などを巧みに利用して実現している。しかも東京市のえらいさんたちはしょうもないこと言ってくるわけです。「塀がなくてもいいのか?」「池を作ったら身投げしないか?」「花を植えても盗られるのでは?」そんな声にも一つ一つ丁寧に対応していきました。僕はこの本多静六の「社会実装」する力にも是非注目していただきたいです。それが本多静六をして、日本中から依頼が来る公園の父にしていったというわけです。

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