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カラス沼へようこそ。やみつきになるカラス観察の魅力

Author:高野丈(編集部)

かしこくて、ときに困った問題を起こす鳥といえば?……そう、カラス。
水道の栓を回して水を飲む天才的なカラスから、線路のレールに置き石をする「置き石ガラス」、火のついたろうそくを落ち葉の下に埋める「ろうそくガラス」など、ときおり問題を起こして世間を騒がせる「ニュースなカラス」たち。そんなカラスの興味深い行動と事件の数々を紹介した『ニュースなカラス、観察奮闘記』(文一総合出版)著:樋口広芳(東大名誉教授、慶大訪問教授、鳥類学者)。その第1部「水道ガラス」の舞台となった横浜市内の公園を訪ね、樋口さんにカラス観察の魅力についてお話を伺った。

参照:奇妙な事件で世間を騒がす「ニュースなカラス」と向き合ってきた鳥類学者の、観察の物語

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樋口広芳さん

「ここで水道の栓を回して水を飲むカラスを観察していたのですが、日々起こるできごとがとても興味深かったのです。それを日記風に記録していくなかで、科学論文として発表するだけではなく、一般の人たちにも広く読んでもらえるものを書きたいと考えました」

樋口さんは、出版を考えた理由をそう語った。そして最新の観察である「水道ガラス」だけでなく、過去に観察してきたさまざまな「ニュースなカラス」を取り上げ、事件の経緯と真相を解き明かすまでを物語風の文体で紹介したのが『ニュースなカラス、観察奮闘記』だ。

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当時を振り返って、「水道ガラス」の説明をする樋口さん

最初のカラス研究は鉄道の車窓から

島の鳥の生態や托卵の不思議、渡りの謎の解明など、数々の研究実績と成果のある樋口さん。カラスの研究はおよそ50年になるという。最初はカラスのどんなことを研究したのだろうか。

「私が生まれ育った横浜は丘陵地帯で、谷戸が多い地域。あるとき野鳥を観察していて、谷戸の谷にあたる田んぼにハシボソガラス、田んぼをはさむ斜面林にハシブトガラスが多いことに気づきました。これはおもしろいと思い、横須賀の丘陵地帯で本格的に調べ始めたのです」

調査の結果、ハシボソガラスは開けた2次元的環境、ハシブトガラスは高さのある3次元的環境を好む傾向があることがわかったという。樋口さんはさらにユニークな調査に取り組む。東北本線と中央本線に乗って、車窓からハシボソガラスとハシブトガラスがどれくらいいるかを数えたのだ。

「東北本線は平野を走る路線で多くがハシボソガラスでした。一方、中央本線は山間の森林沿いを走る路線でハシブトガラスが多かったのです。この異なる環境を走る鉄道路線を使った調査と、横須賀の谷戸での調査を合わせて論文にしたのが最初のカラス研究です」

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ハシブトガラス。くちばしが太く、下向きに湾曲。鳴き声は「カァ、カァ」と澄んだ声
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ハシボソガラス。くちばしが細め。鳴き声は「ガァ、ガァ」とにごる

ハシブトガラスは森林環境を好み、都会や山にすむカラスで、おもに樹上で行動する。ハシボソガラスは開けた環境を好み、郊外や農耕地・河川敷などにすむカラスで、地上行動が多い。それは今でこそバーダーの常識的な知識だが、50年前に樋口さんが気づき、調べて突き止めたことだったのだ。その論文は、後進の多くの研究者が引用しているという。

置き石ガラスの衝撃

それでは、長いカラス研究のなかで最初の「ニュースなカラス」はどんなカラスだったのだろうか。

「線路のレールに置き石をする『置き石ガラス』だったと思います。『水道ガラス』と同じ横浜で起きた事件でしたが、メディアでの取り上げられ方が尋常ではなかったですね」

カラスの話題がメディアで取り上げられた回数を年ごとに調べてみると、置き石事件の年が突出しているという。それだけ衝撃的で興味深い事件だったわけだが、樋口さんたちの調査は難航を極めた。

「線路にかかる跨線橋(こせんきょう)から眼下の線路にカラスがやってくるのを待ち構えるのですが、なかなか来ないのです。早朝から日没まで12時間以上待つ日も続きました。集まったマスコミの取材陣も疲労困憊。椅子に座って待っているところに暖かい日差しが注ぐと、うとうとしてしまうことも。そういうときに限って、カラスがひょっこり現れるんですよね」と樋口さんは当時を振り返る。

集まるマスコミ
跨線橋で置き石ガラスを待ち構える取材陣 写真提供:樋口広芳

置き石は線路の決まった場所で行なわれるわけではないので、一日中線路のあちこちを確認し続けなければならない。累計100時間粘って2回しか観察できなかったというのだから、じつに根気と体力の必要な調査だ。

「観察例が少なくて苦労しました。もっとも線路への置き石など、人の生命に関わる重大事故につながりかねない危険な行為ですから、ひんぱんに起こらないほうがいいのですが」
樋口さんは当時の苦労を振り返りながら苦笑いした。

カラスはなぜ置き石などするのか。得体の知れない不気味な事件は、救世主の出現によって急展開する。この「置き石ガラス」事件が解決するまでの顛末については、『ニュースなカラス、観察奮闘記』でくわしく紹介している。

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新たな発見は地道な観察から

『ニュースなカラス、観察奮闘記』では、さまざまなお騒がせカラスを紹介しているが、樋口さんにとって、とくに興味深かったニュースなカラスはどのカラスなのだろう。また今、注目しているニュースなカラスはいるのだろうか。

「この公園で観察した『水道ガラス』がとにかくいちばんです。そして今お話しした『置き石ガラス』。あと、くるみを車にひかせて割る『車利用ガラス』や『石けんガラス』『ろうそくガラス』が、とくに興味深いニュースなカラスですね。
今注目しているのは、よく観察している緑地にいるハシボソガラスです。大きなニュースではないのですが、木の実のような何かをいくつもくわえて水に浸すようすを見かけます。何を浸しているのかまだわかっていません。それから、出没する時期。カラスは一年中いるようですが、真夏の暑い時期、7月から10月くらいまでは換羽の時期だからか、あまり見られなくなります。今はそれくらいですが、日常的な行動を見るだけでも、毎日のように新しい発見があるんです」

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夏のカラス。換羽中で羽が抜けていて、頭部が小さくなったように見える

マスメディアを騒がすような奇妙な、あるいは衝撃的な行動はそうそう見られないかもしれない。でも身近なフィールドでカラスが何をしているのか、気にして観察を続けることが、思いがけない気づきや発見につながる可能性がある。樋口さんの言葉から、地道に観察することの大切さが伝わってきた。

「とにかくカラスは予想もつかないような、おもしろいことをいろいろします。困ったこともいろいろしますので、目が離せないですね。それに身近にいつもいるので、観察しやすいことが大きい。鳥の研究は、対象の鳥を観察しやすいフィールドを探すまでがたいへんなのですが、カラスの場合は苦労しません。
これからやってみたいのは、地域のカラスの集団を個体識別して、誰がいつどこで誰と何をしているのか調査すること。これは絶対におもしろいですよ! カラスの社会についていろいろ研究したいですね」

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そのくるみ、どうするのかな?

Author Profile:高野丈(編集部)
文一総合出版編集部所属。自然科学分野を中心に、図鑑・一般書・児童書の編集に携わる。その傍ら、2005年から続けている井の頭公園での毎日の観察と撮影をベースに、自然写真家として活動中。井の頭公園を中心に都内各地で自然観察会を開催。得意分野は野鳥と変形菌(粘菌)。



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