見出し画像

ロシアンティ



御殿場に『バラライカ』と言うロシア料理のレストランがあった。東名高速の御殿場インターを降りて、数分で着く。インター近くは、ラブホテルのメッカだ。武内学が、初めて行ったのは、大学時代に付き合っていた恋人に連れられた時だった。

学は、バラライカのボルシチとピロシキなどのロシア料理もさることながら、ジャム入りのロシアンティが気に入った。ソ連時代に、ロシアに行ったが、ジャム入りの紅茶を飲んだ事は無かった。しかも、パンは硬く、酸味のある黒パンだった。ライ麦パンだ。バラライカのロシアンティだけを飲みに行った事もあった。

「面白い所に、連れてってあげる」と学は山崎真子に言った。初めてのデートは、日曜日だった。
「どこなの」
行く先を教えないで、東名高速を延々と走る。中井松田を超え、足柄サービスエリアでトイレ休憩を挟んで、一気に御殿場の出口に向かう。夕暮れ時、途中のラブホテルのネオンが光り輝いていた。
「とこにいくの」
もちろん、辺な所に連れて行くわけでもないので、ホテル街と反対方向に向かう。

眞子は、驚きと安心をいっぺんに味わった。ネオンに縦書きでバラライカと言う看板が見えた。
「ここなの。バラライカってなんか聞いたことがある。たしかロシアのギターのような」
「そうらしいね。ロシア料理の店なんだ。でも、今日は、君にロシアンティを飲んでもらいたくて」
素直に、自分のやりたいことを伝えた。先程は、サプライズで、厚木の『ラオシャン』と言う店で、タンメンを食べさせたばかりだった。
「ここのタンメンは、好きか、嫌いかのどっちかだと思う」
お酢味で、麺の玉ねぎしか入っていない究極の麺だ。事前にお酢のはなしは、していたので真子は、意外にアッサリと食べ始めたので安心した。
「タンメン二つと、餃子二つ」
女将さんは、ちょっと小太りで、口紅が赤過ぎるが、男勝りの江戸っ子堅気で、二人の子どもを育てて来た。二人とも、成人して、嫁に行った娘も手伝っている。同じ餃子なのに、同じタンメンなのに、息子のより、数倍お女将さんの作る方が美味い。その日は、女将さんだったので、嬉しかった事を覚えている。

「好きかもしれない」と真子は、微笑んだ。
会社の部下で、一緒に働いている。生命会社の営業マンで、真子は、事務員だった。

真子は、初恋の山崎晴美に似ていた。晴美は、小学校6年の同級生だ。大人しく、頭が良く、美人顔だった。学級委員の選挙で、名前を書いた。それほど好きだった。たった一票しか入らなかったが、子供なりに愛を伝えたかった。

ところが、突然死んでしまった。今もって謎の一つだ。謎のままにしていたい気持ちでいっぱいだ。その年は、担任の先生が脳溢血で死に、祖母が亡くなってしまった。葬式に三回も出ると、どんな呑気で馬鹿な男でも考えてしまう。

死んで先には、本当に地獄がまつているのだろうか、30歳になったら何をしているのか、60歳になったら、死んだらと、学は妄想ばかりしていた。死の恐怖がマックスたった時期だった。

そんな恋焦がれた女の子が生まれ変わって来たと信じてしまった。それほど、似ていた。イメージは、どんどん拡がり、恋人にするまで発展したいと、本気モードになった。

学には、妻がいる。学生結婚や同棲が、持て囃されていた時代だから、はやく結婚した。このまま続くと、不倫になる。その決断が、難しい。

学は、人生の岐路は一か八かのように思った。それでも、山崎同士でしかも、晴美の生まれ変わりのような眞子と結婚すると決めた。まだ、言った訳じゃないが、必ず離婚し、眞子と結婚すると。

後悔よりも、夢を取った。
一年後、学は眞子と結婚をした。
一か八かの勝負を初めてやった。晴美の亡霊は、完全に消え、実像の眞子と三十年も一緒にいる。

夢から醒めるのが本当は怖かったと学は、振り返ってみた。それでも、真子がいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?