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タンメン・餃子屋の親子3代の話

「ラオシャン」で、謙也はタンメンと餃子をいつもたのむ。女将のおばちゃんも80歳だと言う。最初にいった頃は、おじさんもいた。店内外装は、変わらないが、いつからか小太りの息子が店でデビューしていた。可愛い小さな女の子は、結構な年だが、店の手伝いをしている娘だ。

「お持ち帰りが増えて、大変なのか何なのか分からないよ」と車で来たテイクアウトの客の対応を終わって女将は、嬉しそうに言った。「1万2000円です」と餃子やタンメンがコロナの影響で売れるそうだ。とは言え、タンメンと餃子とライスしかない。トッピングにワカメと月見がある。メニューでは大盛りが書いてあるだけ。究極の専門店だ。朝9時オープンが功を奏して、夜10時閉店が8時に変わっても大した影響がないのは、あまり飲む客がいないこともあるのだろう。

「みんないい人ばかりだから、60年近くやって来れたのよ」と女将が言うように、いつ行っても、和やかで落ち着いている店である。込んでも、満席になることは、一度もなかった。それも、いくと誰かがいる店だ。

「お兄ちゃんが後を継ぎ、その息子が料理店で修行している」とその小さくて可愛い女性が謙也にこっそり教えてくれた。タンメンと言っても、刻んだタマネギと、麺と酸っぱいスープだけの簡単なもの。見た目はシンプルだが、食べ始めると美味しさが広がる。

ネットでの評価を見た謙也は、「豚骨を弱火で短時間煮て取ったスープはかなりアッサリしており、ほのかに豚骨出汁を感じる。それに塩ダレと酢の味付けが入り、塩加減と酸味のバランスが絶妙である。」と評価されていたのに納得した。

にんにくの葉がいっぱいの餃子も、もちもちで食べやすい。もう一皿、注文したくなる。女将が朝から仕込む餃子は、見事な味だ。「何しろ、味が独特なので、初心者は驚くだけかもしれない。こればかりは食べてみないと分からない」と謙也は思っている。「でも、両方とも好きよ」と妻の優子は、言う。「特に、餃子が大好き」と好評価だ。

厚木の東口を真っ直ぐ相模川に向かって歩いていくと、結構な距離だが、県道601号線にぶつかる。その手前に真っ赤な「厚木 ラオシャン」の暖簾とタンメン・餃子の店の看板がある。店の大半を看板と暖簾で埋まっているので誰でもわかる。最近、テレビで平塚のラオシャンが取り上げられたが、「厚木店とは、全く関係ないわね」と女将が言い放った。どうやら、大昔は関係があったが、もう誰も知り合いもいないらしく、お互いに独自の料理法で経営しているためだろう。

平塚には、「老郷」と「ラオシャン」の2店舗がある。正しくは、「老郷本店」、「花水ラオシャン本店」。どちらも本店と名のるが、全く違う系列店で、麺の製造元も味も異なるそうだ。老郷本店は1957年に創業を開始した。派生するように花水ラオシャン本店は60年前に創業を始めた。

厚木も「老郷本店」から派生しているようだ。詳しいことは分からないが、暖簾わけをしたわけでなく、各々が独自の味を追求した結果、全く違う味に進化を遂げたようだ。暖簾分けは、日本の文化で、中華料理にはなかったのかも知れないと謙也は思った。「平塚も行った事あるわよ。会社帰りに行ったのよ」と優子は言うが、謙也はすっかり忘れている。

誰もが、元祖や本店なに拘るが、客は何も気にしない。おいしけば、それでいい。そんなことを考えてしまう。厚木ラオシャンの味は、親子3代にわたって続きそうだ。謙也も子供、孫につなげていける味があることに誇りを思う。「なんか、結婚しそうな予感がする」と妻の優子が言った。「きっとそうだよ」と謙也も思う。何もない普通の家でも親子3代が難しい。味をつなげることは、奇跡に近いとように思う。「今日来てよかった。タンメン屋さんで、家を継ぐ話になるなんて」と本厚木から電車に乗った。


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