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選挙あれこれ



2015年11月の市議会議員選挙に立候補した。義理父が亡くなって、遺産が転がり込んできた。正式には、妻の金を借りた。選挙までたった一ヶ月しかなく、選挙活動は、チラシ配りと親戚の強力な個別訪問しかなかったが、僅差で次点になった。友達や恩師なども加わって、自転車で回ればいいと思っていた選挙活動が、日に日に本格化した。勝つ目的でなく、自分の潮目を変えたかったのが、本音なので、まさか、そんなことは言えない。

第一、金を出してくれた妻にも申し訳がない。選挙は、総力戦だ。足繁く通ってくれた近所の人達や親戚などが、中盤から徐々にいなくなった頃、ヒーローが現れた。叔父の親友の新聞配達の男だ。バイクに乗った月光仮面のように、毎日、楽しくて仕方ないと言って、チラシ配りなどをやってくれた。潮目が変わった。勝てるかもしれないと思った瞬間だ。勢いが付く。私も、朝の街頭演説や支援者の対応などで、疲れ切っていたが、彼の勢いで、皆が元気になる。

選挙事務所も、兄の土地を借り、選挙終盤になると選挙カーが使える。知り合いの県会議員が極秘で尋ねて来てくれた。「選挙カーなんかより、戸別に電話する方が効果がある」とアドバイスを受けた。選挙事務所を持たなければ、勝てないとも教えてくれた議員だ。


「事務所があれば、支持者だろうがなかろうが、人が集まる。集まれば、皆んながやる気になる」と言われた。もっともな話だ。

選挙には、アドバイザーのような訳の分からない人が付く。結構な高額を支払うが、どうも胡散臭い。ウグイス嬢を仕切るテキ屋のような存在だ。ウグイス嬢は、二人とも、国政選挙で活躍する有能な女性だ。この二人も活躍した。票にはならなくとも、私が元気が出る。笑顔で、い続けるられたのも、彼女たちのお陰だ。

駅前で、大勢の対立候補者と挨拶を繰り返す。残念ながら、私一人で立っていても、全く、誰も寄ってこない。それでも、何人か握手をしてくれる。滅多にないが、仕事帰りの女性が駆け寄って来てくれる。

この選挙を通して、人の温かみや友達の温かさを感じたことは無かった。それだけでも、十分な成果だった。ひとは、絶対勝たなければ意味が無いと言う。

私は、支援されただけで、この先、生きていけると思った。そして選挙を通して、人の輪が出来た事が、宝物だ。金や名誉では、測れない、大きな体験をしたと思った。もう五年も前のことだが、記憶に新しい。

選挙の度に、落ちた立候補者を探す。当選した人も次はないかもしれない厳しい世界だ。市議会が、機能しているか、単に数合わせだけの議会かは分からない。市民のために、命をかける議員はゼロだ。

田中角栄は、破天荒な政治家だったが、国民のためという大義で動いていた。いまは、そんな国会議員は皆無だ。

一九六二年(昭和三十七年)、自民党政調会長だった角栄は、沖縄復帰について「憲法を改正して、核つき返還を考えざるをえまい」とオフレコ発言。ところが新聞記事になってしまい、国会の審議がストップする大問題に、発展した。このスクープを報じたのは、「東京タイムズ」の早坂茂三記者。早坂が「自分が書いた」と名乗り出ると、角栄は、「おれが記者だったら、やはり書くよ。あれは書くべきことだ。それにしても君は優秀だな」と答えたというから凄い。結局、早坂を秘書にした話は有名だ。

いまは、全員が器が小さ過ぎて、批判しようものなら、すぐ記事や新聞社も排除する。そんな男はいなくなったと田中語録を読んで、いつも思う。

真の政治家は、いなくなった。単なる金儲けのための守銭奴だけが残ってしまった。世界中言えることだから仕方ない。楽しそうに政治をやっている人がいない。全員辞めた方か良いのではとさえ思う。

落ちた腹いせのように聞こえるか?

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