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チキンラーメンの呪い(笑)

ガキの頃、同い歳ながらすでに食通だった従兄弟は「ケンちゃん、チキンラーメンはこうやって食べるのが一番美味いんだゼ~」と言ってチキンラーメンを割って、そのまま亀田の「柿の種」のようにポリポリ食べていた。

年若くしてすでに頭の堅い石部金吉だったわたしは断固として従兄弟の提案を退け、意固地にお湯をかけて食べていた(笑)

アッと言うまに60年の歳月が流れた。

相も変わらず食通の従兄弟はもはやチキンラーメンなどには眼もくれず、毎朝、自家製パンにハマっている。

わたしはと言えば、ようやく “そのまんまチキンラーメン” に開眼して、袋の底の残り滓を貯めておいて、気が向けば丸美屋の「のりたま」代わりにしてご飯にかけて食している。

生涯、チキンラーメンを食べつづけてきたわたしは間違いなく呪われているのであろう(笑)

追記

丸美屋の「のりたま」もガキの頃は愛してやまなかったはずなのであるが、すぐに飽きてしまった。
withnews(朝日新聞社)によると、丸美屋の「のりたま」にはこしあん(傍点)が入っているとのこと。近いうちに実食して検証してみたい。
ちなみにチキンラーメンとベビースターラーメンの発売日が超微妙なのには驚いた(笑)

以下、ウィキペディアより

チキンラーメン
1958年(昭和33年)8月25日 - 販売開始、85グラム入り35円(当時の物価参考:大卒者初任給13,467円、国鉄初乗り10円、入浴料16円)で販売された。価格が高かったために受け入れられなかったが、大阪市福島区のある問屋がこれはいいと8月25日に納入を決定。安藤は大層喜び、これを記念して8月25日は日本即席食品工業協会により「即席ラーメン記念日」とされている。ちなみに福島区にある日清の看板はそれを記念している。チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」にかわり、「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。

ベビースターラーメン
1955年 - おやつカンパニーの前身である松田産業有限会社がインスタントラーメン「味付中華めん」を発売したのがルーツとされている。 1959年 - 製造工程で発生する麺のかけらを従業員におやつとして配ったところ評判となり、商品化。初代作「ベビーラーメン」を発売。価格は10円。 1973年 - 子供向けスナック菓子で一番(スター)になりたいという想いを込め「ベビースターラーメン」に名称を変更。1971年とする資料もある。 1973年 - 価格を20円に変更。

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