書き出し自選・タカタカコッタの5作品(タカタカコッタ)

 若葉。薫風。発情する猫。耳の穴が痒いのは花粉のせいですか?タカタカコッタです。
 

 皆さま、xissaさんの「千代で八千代で」は読まれましたでしょうか。とても素晴らしい作品でした。そんなxissaさんが携わっていらっしゃるのが、書き出し小説であり、文芸ヌーであって、改めて書き出し小説というコンテンツの持つ凄みに感じ入った次第であります。

 僕は第197回から参加させて頂いており、初採用から2年にも満たない新参者が自選など、全く恐縮しきりですが、しかし、こんなに光栄なことはないと思いを切り替え、感謝の気持ちで今回受けさせて頂きました。バトンをくださったオモロー寂寥さん、本当にありがとうございます。

 思えば投稿し始めた頃は、体調を崩していて一般的な社会生活に殆ど自信のない、ドン底暮らしをしていた時期でした。そんな僕を陽の見える場所までよっこらしょと引き上げてくれたのが、書き出し小説です。

 そして、新しい世界がパッと広がって、素敵にクレイジーな仲間や、敬愛してやまない先輩方とも、幸運なことに繋がりを持つことが出来ました。

 本当に感謝です。

 お刺身パックのタンポポのように地味な作風ですが、それでも僕なりに愛着のある5作品を選んでみました。ラーメンでも啜りながら読んで頂ければ幸いです。


 それでは、よろしくお願い致します。

完璧に堕落した猫を、貴婦人は賢いと言う。

(第203回 自由部門)

 書き出し小説の作家さんたちは本当に面白くて、センス抜群。奇天烈なくせにインテリジェンスまで持ち合わせていらっしゃる。そんな、面白い作品を自分も書きたい!と未だに思っているのですが、残念ながら僕にそのオモシロセンスは無い。ならばと始めた自分の作風探しの中で、はじめてハマった感じがした作品です。(何にハマった?)

 世間の感覚からズレまくっている貴婦人の屹立している背筋。上目遣いのバカ猫の丸まった背中。それに巻き込まれる周囲の人々。始めてのド頭採用で舞い上がりました。

先生は、メトロノームを小指で止めた。
(第213回 自由部門)

 書き出し小説は、小説の書き出しなので、小説自体が自由形態である以上、どんな書き出しでも作品として成立するのだと思います。ただ、自分の中での、小説の書き出しとしての耐性に於いては何となくラインがあり、同時にそこは、結構こだわるところでもあります。

 この作品は、ちょっとエロくて、ドキッとして自分でも先が気になります。ピアノを弾いている主体を描写せずに、淡々と拍を刻むメトロノームを、先生(だぶん凄くエロチックな)が不意に小指で止める描写だけにしたことが、作品に緊張感を醸し出すことにうまく繋がったと思っています。下書きの時点ではこの続きに「雨音が急に迫った」まで書いてありましたが、思い切って切りました。読み手にその先を委ねるのも書き出しの醍醐味ですね。

 天久先生から「官能表現はこれくらい繊細でありたい」とコメントを頂けて、さらに嬉しかった作品です。

夕方になって、番長が電柱から降りてきた。
(第221回 自由部門)

 好きなモチーフとして番長があります。だって番長ですもの。この作品は、半分実話です。中学の番長が、当時溜まり場だった駄菓子屋の脇の電柱に登っていて、その電柱の中腹にしがみつきながらうまい棒を食べていました。部活帰りに見たその光景は、番長の学ランを金の刺繡糸で縁取りするように照らしていた夕陽と相まって忘れることができません。その時番長は「部活、頑張れよ!」って言ってくれたんです。電柱にしがみつきながら。うまい棒のカスを口からこぼしながら。哀愁以外の言葉が見当たりません。


夕焼けを搔きむしる。青春が欠品している。

(第223回 自由部門)

 書き出しを考える時、情景が浮かんでそれを言葉にする場合と、言葉の断片コレクションの中から拾い上げた言葉をコラージュしてひとつの作品に仕上げる場合とがあります。この作品は後者で、夕焼け、掻きむしる、青春、欠品というそれぞれの言葉が、ひとつのイメージの連なりをもって表現出来たと思います。「青春を掻きむしる。夕焼けが欠品している」という本稿とは逆の草稿もありました。こういう言葉あそび的なところも、創作の楽しみのひとつです。


屋上はさみしい。夜空をエイの群れが泳ぐ。
(第225回 自由部門)

 もうひとつ、書き出しを考える時に常に頭にあるのが季節感です。採用された作品を読み返してみると、四季それぞれをモチーフにした作品がやっぱり多い。季節モノ、好きなんです。この作品は、11月に発表があった回で、作品の裏側にある愁訴を含めて、冬がすぐそこにまで迫っている秋の夜空がいちばんしっくりくると思っています。さみしいをひらがなにしたのもこだわりのひとつでした。

 書き出しという短いセンテンスのなかで、助詞の選択や言葉の取捨、ひらがな、カタカナ、漢字、それらの表記、配置、比喩、擬人、倒置などなど様々な修辞技法、レトリックを駆使してみなさんが編み出す「会心の一文」はどれも本当に素晴らしいです。そんな中で、地味な自分の作品にも、いいね!と言って下さる天久先生には感謝しかありません。本当にありがとうございます。


 概ね2週間毎にやって来る、日曜午前11時のドキドキ。いいおじさんになっても、日曜日の午前中にドキドキしている自分。冒頭の天久先生のコメントを読んでから携帯の画面をスクロールさせる時の緊張感。自分の名前を見つけた時の高揚。名前のない時の消沈。

 いずれにせよ、今は欠かすことのできない、僕の生活の一部になっている書き出し小説という、文芸。

 小説の書き出しだけという、極小のフォームに強者たちがガチで挑み、そして、天久先生が選者であるからこそ成り立つ唯一無二。その場に居ることが出来ることは、幸せなことです。

 それでは、書き出し小説を通じて繋がりを持てた全ての才能溢れる皆さまといつかお会い出来る日が来ることを切に願い、次の七世さんにバトンタッチ!

 七世さんは、書き出しの先輩であり、舞台作家さんでもあります。鮮やかなビジュアルを駆使したイメージの喚起は時に奇想天外ながらも、さすがの世界観!

 (勝手に)自分とスタンスが近いと思わせて頂いている作家さんです。

 では七世さん、宜しくお願い致します!

 ご清覧ありがとうございました。

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