受験生はみんな問題児ですよ(puzzzle)

 あいつが楽しく過ごせればいいと思っていたんです。
「撤収、じゃなくてティシュー取って」
 自分で取れよと思いつつ、俺の方が若干箱ティシューに近いから渋々席を立つ。「はいよ」と、二枚手渡す。妻はブンと鼻をかむ。で、俺は何を考えていたんだっけ。そうそう。あいつの将来のことだよ。何がしたいわけでもない小僧がついに受験生だよ。俺だってあいつくらいの時には何がしたいわけでもなかった。
「マリーヌ・ル・ペン、じゃなくてボールペン取って」
 自分で取れよと思いつつ、俺の方が若干お道具箱に近いから渋々席を立つ。「はいよ」と手渡す。妻はなにやらノートにカリカリ書き付ける。で、俺は小僧の受験について考えているんだよ。何がしたいわけでもないなら、進学しておけって言うじゃない。学力社会なんてくだらねえとイキっても、とりあえずレールに乗っかっておくのが無難じゃない。俺だってあいつくらいの時には何がしたいわけでもなかった。今だってあやしい。
「カベオリマン、じゃなくてカフェオレ飲む?」
 俺は腕を組んで難しい顔のまま頷く。くだらねえものにしがみついて、守られた気になって生きてきました。小僧にもそうして歩いていけとしか言えないのか俺は。ところでカフェオレはどうした?妻はノートに目を落としたままカリカリカリカリ書き込んでいる。俺は鼻からため息を噴射して立ち上がる。ミルクパンに火をかけた。
「砂糖、じゃなくてアスパルテームね。アスパルテームは常温では安定である。しかし、100℃を越える高温下で長時間加熱すると、分解してジケトピペラジンを生ずる。だから、気をつけて」
 ゴールドブレンドを溶かして掻き回す。小僧は相変わらず毎日ほっつき歩き、何処で何をしているのか分からない。受験まで残された期間がわずかであるというのに、危機感がまるでない。「近頃、成績は、上がってるんかい」なんて、問いかけを続けなければならないか。
「δ、じゃなくてできた」
 こっちだって火を止めてパルスイートをぶち込めば終わりだよ。妻はノートを掲げて満足そうだ。俺は湯気を立てるマグカップを両手に背後からノートを覗き込む。
「オープンバック5弦バンジョー、じゃなくて停戦合意文書」
 目をしばたたかせる。そいつが何語であるかすら俺には分からない。マグカップを一つテーブルに置いた。
「あのさ、そろそろさ、あいつのさ、塾通いなんてさ、考えないといけないかな、とかさ、思っとるんだけど」
 向かいに腰をおろせば、妻はノートをテーブルに戻して目を落とす。思い切りよくページは破かれ、再び勢いよくボールペンが走る。小僧のどこか達観した様子は母親譲りなのだと思う。俺はマグカップに口を付け、猛烈な妻を眺めることしかできない。アスパルテームの分解を阻止すべく強く口を窄める。
 不意に立ち上がる妻。
「クラッシュ・バンディクー、じゃなくてちょっと行ってくる」
 どこ?
「クレムリン」
 妻の指さした玄関の扉が開けば、太陽を背負った小僧のシルエットが浮かぶ。
 、じゃなくて?

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