シュレディンガーのエゴ(坂上田村麻呂の従兄弟)

「見つからない犯罪は犯罪じゃない」
先輩はそう呟いた。

もう夜の12時を回ろうとしているのに、先輩とぼくは2人で暴力団の事務所に侵入し、宝石を探している。

「先輩、絶対やばいですって」
「そう言いながら、お前だって金の欲しさに付いてきている」
「これ犯罪ですよ」
「何度も言うが、見つからない犯罪は犯罪じゃない」
「いや犯罪です」
「じゃあ聞くが、徳川埋蔵金はあると思うか?」
「えっ、埋蔵金ですか。昔よく番組で徳川埋蔵金を発掘するだの、やってましたね。あんなの伝説だとは思いますが、もしあったとしても分からないですね」
「なぜ分からない」
「だって今のところ見つかってないんですから」
「それなんだよ。見つかって初めて埋蔵金があるということが分かるんだ」
「はい」
「つまり、埋蔵金が埋蔵金としての存在を得る瞬間が、観測者が生まれた瞬間と同じとしても異論はないだろう?」
「少々強引ですが」
「見つからない埋蔵金は埋蔵金じゃない」
「うーん」
「故に、見つからない犯罪も犯罪じゃない。これぞ羅生門の精神だな」
「羅生門って、そんな内容でしたっけ…」

先輩とぼくは、ありとあらゆる箇所を手分けして探している。

「ところで、お前はシュレディンガーの猫って知ってるか?」
「いや先輩、ぼく物理学科出身ですよ。しかも量子力学専攻です」
「なら話は早い。箱の中の猫ってのは、箱の中を見ない限り、生きてるか死んでるか分からないわけだ。つまりな、最初から象が入っている可能性だってあるわけだろう?」
「はあ」
「見つからない猫は猫じゃない」
「いや、シュレディンガーの猫って、そういう話じゃないんですが」
「例え話だから良いだろ、例え話なんだから。理系はすぐ細かいことに拘るな」
「理系嫌いなんですね。先輩は文系なんですか」
「俺も理系だ」

ここは暴力団の事務所とは思えない程、静かだった。誰もいない上にセキュリティシステムもないようだ。それでもぼくは、いつ誰かに見られやしないかと気が気ではなかった。一方の先輩はというと、大胆にロッカーやら引き出しやらをひっくり返して、近所迷惑レベルの音を構わず立てている。

「先輩の理論で行くと、見つからない迷子は迷子じゃないってことになりますね」
「そうだ」
「つまり迷子になった子供がいても、それは見つかるまで迷子じゃないから、探さないで良いってことになります」
「まあ、迷子になるってのは、迷子になる子供自身が悪いんだから、仕方ないだろ」
「その言い草、先輩は子供も嫌いなんですか」
「そう聞こえるか?」
「そう聞こえました」
「まあ、俺にも5歳の息子がいるし、子供が嫌いってわけではないんだが」
「先輩、子供いるんですか!?というか、奥さんがいること自体、初めて知りました」
「お前と違って俺はモテモテなんだよ」
「なんか腹立ちますね」
「良い年して、お前は恋人のひとりもいないんだろ?可哀想なやつだ」
「たしかに、今は恋人はいませんが、いつかきっと最高のパートナーを見つけますよ」
「最高のパートナーだと?」
「はい」
「見つからない恋人は恋人じゃない。お前のは、ただの理想にすぎない」
「先輩、ひどいですね」
「大体、“最高”のパートナーなんて、どうやって決めるんだよ。地球上に、ごまんと女はいるんだぜ」
「はあ」
「俺だって今の嫁さんは好きだが、“最高”だとは断言できない。他にもっと相応しい女がいるかもしれないだろ?」
「え?先輩、不倫でもしてるんですか?」
「だとしたら、どうなる」
「いや、不倫は犯罪ですよ。もしそうだとしたら、奥さんが可哀想すぎます」
「…」
「え…ビンゴですか」
「見つからない不倫は不倫じゃない」

部屋の隅々まで調べきったはずなのに、宝石を隠してそうな金庫すら、一向に見つからない。大体、この暴力団の事務所に宝石があるってのを先輩はどうやって知り得たのだろう。

「本当に宝石ってあるんですか」
「あのなあ。探してみないことには分からないだろう。お前は仕事もそうだが、すぐに諦める癖がある」
「だって、ほとんど探せるところは探しましたよ」
「俺があるって言ってるんだから、宝石はあるんだよ」
「先輩、ひとついいですか」
「なんだ」
「見つからない宝石は…?」
「宝石だ」

もう何時間探しただろうか。どこまでも呑気な先輩と話していると、ここが暴力団の事務所であるということを忘れそうになる。宝石がないなら、早く撤退しなければ。誰かに見つかってしまう。

そう思ってる矢先、
「おい…誰だ?」
と背後に、いかにもヤクザだと言わんばかりの恰幅の良い男が立っている。
「そのまま手を挙げて膝をつけ」
男は怒鳴りながら命令をしてくる。先輩とぼくはそれに従う。

男は、すぐにでも殺さんばかりの眼光を放っていたが、少し離れて誰かに電話をかけ始めた。
男が電話をかけている今だけが、ぼくと先輩に残されたチャンスかもしれない。どうにかしないと。

ふと横を見ると、この状況になっても、先輩に怯えた様子はなく、うっすら笑っているかのようにすら見えた。
「やばいあんちゃんが現れたな」
「先輩、あ…あれ、まじもんのヤクザですよ」
「まあ落ち着きたまえ」
「だっ…だって、殺されるかもですよ」
「そんな簡単には殺せないよ。俺たちはこの部屋を隅々まで探しただろ?どこにも拳銃などの武器は見当たらなかった」
「服の中に持ってるかもしれないじゃないですか」
「だから落ち着けって」
「落ち着けないです」
「見つからない拳銃は拳銃じゃない」

男が電話を切って、再びこちらに向かってくる。

「お前ら、もしかして何か盗もうとしたのか」
「まさか」先輩がとぼけたフリをする。ぼくは恐怖で声が出ない。

「じゃあ、なぜここに入った」
「ここに宝石があると聞いてね」
「それで」
「宝石があると聞いたから立ち寄った。ただ、盗もうとはしてないんだ」
「そんな屁理屈が俺に通じるとでも?馬鹿にするのもええ加減にせえよ」
「まあ落ち着いてくれよ。あんちゃん、決めつけはよくないぜ?」
「決めつけもくそもねえよ」
「仮に宝石を盗もうとしていてだな、どこに証拠があるってのさ。たしかに俺たちは事務所の中にいるが、それは盗もうとしているという証拠ではない」
「何が言いたい」
「見つからない証拠は証拠じゃない」

終始ふざけているようにしか見えない先輩を止めるエネルギーすら、ぼくには残っていなかった。もう終わりだ、助かる方法はない。死にたくない。

男の電話が鳴る。
数秒で電話を切ると、男は
「お前たちを処分することになったけえ」
と言った。
流石の先輩も状況を理解したのか、何も言わずに下を向いている。

死にたくない。
その一心で、ぼくは声を振り絞る。
「あ…あの…」
「なんだ?
「ぼくたちを殺したら、警察に捕まるんじゃないですか?」
「残念じゃが…こちとらプロなんで、殺しが見つからないような方法など数多あるんじゃ」

そして、男はこう続けた。

「見つからない遺体は遺体じゃない」

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