xissaさん作品集「千代で 八千代で」に寄せて(天久聖一)

夢の話ほどつまらないものはない、とよく言うけれど僕はまったくそう思わない。

自分とは違う誰かの、眠っている頭の中で自動生成される神秘的な物語、そんな「神話」がつまらないわけがない。
もっとも全然知らない赤の他人から、突然何時間も支離滅裂な夢の話を聞かされるのは、それこそ悪夢以外の何ものでもないだろうけど。
でもちょっと気になる人が、周りを憚るようなトーンで語る、飴玉ひとつぶんの夢なら、僕は多少のお金を払ってでも耳を傾けたいと思う──。

そこで今回ご紹介するのが、xissaさん初の作品集『千代で 八千代で』です!

──と、まるで青汁CMのような展開で、早速本作を語らせて頂きたいと思います。

この文芸ヌーをお読みの方なら、だいたいの方がご存じだと思いますが、まずは念のため作者さんと作品の経緯をお伝えします。

xissaさんは文芸ヌーの母体となるDPZの連載「書き出し小説」で、ずっと看板作家のような投稿をされていた方です。
そして実はこの文芸ヌー自体も、xissaさんのような投稿作家さんが書く、書き出し以外の文章が読みたいという、僕の願望をかたちにしてもらったもので、xissaさんは中心メンバーとして創立からヌーを引っ張ってくれました。
なので書き出しと並んでこのヌーに関しても、xissaさんは(本人は嫌がるかもしれないけど)ホント母のような存在なのです。

そんなxissaさんがヌー創刊から、ポツリポツリと書き始めた掌編をはじめて読んだときの、それこそ良質の夢に付き添ったような感動は忘れられません。
さらにはその筆力。言葉選びや抑制の効いた書き込みに、最初から熟練の作家さんのような匂いを感じて、本当にこういう言い方は自分のバカを晒すだけで、xissaさんにも失礼なんですが、告白させてもらいます。

まるでプロじゃん!──それが嘘偽りない僕のファーストインプレッションでした。

たとえば川上弘美や倉橋由美子がさらっと書く不思議な掌編のような、稲垣足穂や内田百閒の夢をそのまま冷凍保存したような作品群、海外の翻訳ものでいつか読んだアフォリズムや奇妙な逸話……xissaさんの掌編にはそういう全体は霧がかっているのに、目の前の事物だけは妙に冴えた、生々しい夢のリアリティがある。

他人の夢と波長が合ったとき、それは怖いくらい自分の記憶と重なってしまう。
行ったことがない場所なのに、なぜか来たことがあるとしか思えない感覚をデジャブと呼ぶけれど、xissaさんが書く風景も同じで、はじめて読んだはずなのに前から知ってる気がするのだ。
もしかしたら人が夢の話を毛嫌いする理由は、他人の記憶に自分が乗っ取られる恐怖を無意識に感じているからかもしれない。

101編の掌編には旅行先の話や、かつて暮らしが場所に戻ってくる話が多い。もちろんそれらはフィクションだけれども、元になった記憶はたしかにあるはずだ。記憶と妄想が入り交じったその人だけの世界、時空間。
読書とは詰まるところ、そうした作者が創り出した世界へ招かれ、いっとき戯れて、戻ってくることじゃないだろうか。そして一度回路が出来てしまえば、あとは自由に往来できる。

夢で会いましょう──古い歌のタイトルが思い出される。

ヌーの契機になった書き出し小説をはじめた動機は、ぜんぜん知らない他者の頭の中にも、自分と同じ世界が、豊かな物語があることを確認したかったからだ。
その小さな種が実を結び、こんなに素敵な本になった。xissaさん本人が自費出版を決めて、四苦八苦しながら入稿データを納め、同じ書き出し仲間の大伴くんにデザインを依頼し、帯文には僕を指名してくれた。
xissaさんが自分で値段も決めて、この本のためだけのネットショップを開設した。その折々で報告を受けながら、結局大した手助けをできなかった自分が本当に情けない。

いまはSNSもあるし、同人活動に便利なサービスも充実している。だから昔のように「世に出てない作品にもこんな素晴らしいものがあるんだ!」なんて叫ばなくても、本当にそれを欲している人は探して見つけるし、作り手側も昔に比べて、大衆より届けたい人を優先して創作しているように感じる。

誰もがお得な情報や、多くの人が共感できる物語ばかりを欲しているわけじゃない。本当は、人はもっと夢の話を聞きたいんじゃないだろうか。
夢の回路を通じて、xissaさんの素敵な本が、少しでも多くの方に広まることを祈っています。

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