書き出し自選・TOKUNAGAの5作品(TOKUNAGA)
ヌー創刊おめでとうございます。書き出し小説界の老害 TOKUNAGAと申します。
今回こういった形で創刊ヌーに参加できることを光栄に思っております。
普段なかなか、皆さんと話す事のできない地方住まいの私にとりまして、書き出し以外の表現の場は貴重でありますし、他の企画への参加等も含めまして、また何か新しい発見や交流のきっかけになればと思っております。
とはいえ、もともと人様の前で書き出しより長い文章など殆ど書いた例もなく、何を書けばいいものか悩んでおったのですが、ヌー自体書き出し小説から生まれた企画でありますし、正直私もネタがありませんので、僭越ながら「書き出し自薦」ということで、自分なりに思い出深い作品をいくつかチョイスしたいと思います…
「ミネソタから怪童がやって来る」2学期が始まると学校はその話題でもちきりだった。
デイリーポータルZで本格的な企画になる以前、「書き出し小説」は天久先生がツイッターでやられていたネタ企画の「お題」のひとつでした。これはその時の作品で、発表が丁度8月31日だった為、新学期ネタでいろいろ考えていたのを覚えています。ちなみに「ミネソタ」というフレーズは当時ハマっていたビバリーヒルズ高校白書からひっぱってきました。内容自体は今見るとアレなんですが、「書き出し小説」としての初入選作品であり、個人的には思い出の作品です。
その村では卑猥な形の野菜しか実らないという。
デイリーポータルZで始まった書き出し小説大賞/第1回目の秀作発表を読んで一番驚いたのは、「ネタだけじゃない!」という事です。当時、自分の中に「天久先生の投稿企画には”絶対”笑いの要素が必要!」という固定観念のようなものがあり、書き出しもその例外ではなかったのですが、冒頭、スエヒロ氏の「朝顔は咲かなかったし、君は来なかった」という作品読んで、その考えは見事に打ち砕かれました。実はこれが結構なショックで、第2回からは何を書いて良いか分からなくなり、散々悩んだ挙句、フッと浮かんだのが、卑猥な形をした野菜でした。この作品の入選により自身の書き出しの方向性が見えた気がします。
「兄者!風呂だぞ!」「うん」
書き出し小説には第10回から規定部門が設けられました。これはその記念すべき第一回目のお題「妹」の作品です。初めての規定部門ということでいろいろと試行錯誤していたのですが、文中になるべく「妹」と入れないように意識していました。ワイルド系女性家族ネタは、これ以前にも投稿していたのですが、なかなか上手くいかなかったので、この作品が入選したときは嬉しかったです。この流れで、「錆び付いた風見鶏が激しく回り出した。姉が来る。」(第22回)等の作品も生まれました。原哲夫先生の絵で想像していただければ幸いです。
万引きした文房具たちが浴衣のたもとを揺らしている。
第52回、規定「文房具」の作品。犯罪モノです。
以前、冗談半分に「長編小説で連続殺人なら、書き出し小説では万引き」とツイートした事があるのですが、私の作品には万引きをモチーフとしたものが多くあります。犯罪には人間の様々な感情、業が集約されておりますが、万引きには、とりわけ哀愁、間抜けさ、の際立ちを感じます。シリアスな犯罪の裏腹にある哀愁帯びた間抜けさは笑いを誘いますし、そういった意味で万引きは、非常に書き出し小説向きのモチーフなのではないかと。
…余談ですが、他にも、一瞬で裸を連想させる「風呂場」「脱衣所」等も書き出しには欠かせないシチュエーションだと思っております。
※ 私は万引きを肯定する者ではありません。昔いた雑貨屋で、万引きには業を煮やしておりました。万引きは犯罪です。(窃盗罪・刑法235条)
落下と柿泥棒は同時だった。
すみませんこれも犯罪モノになってしまいました。
第71回の自由部門作品で比較的最近のものですが、アイデア自体は古いものです。ボツ作品を訂正して再投稿しました。なぜボツになっていたのか、理由は簡単で「柿泥棒と落下は同時だった」と書いていた為です。これでは全く面白くありません。柿泥棒を先にもってくると、天久先生の作品コメントにある「犯罪か?ミラクルか?」の書き出し的な余白部分が無くなってしまいます。シンプルな作品なだけに気づいた時には目から鱗で、日本語、書き出し小説の奥深さ、面白さ、を改めて実感させられました。
以上、自分なりに思い出深い作品をいくつか挙げさせていただきました。
今回この原稿を書くにあたって、常にデスクトップの隅にある書き出し専用のテキストを改めて読み直しました。自分の場合、書き出し小説は第1回から毎回、この専用テキストに書いて保存しているのですが、書き出しだけとはいえ、3年間も書き溜め続けると結構壮観で、繋げるとちょっとした小説一本分になるのでは、という位の量がたまっております。(見た目も怖い)無論、そのほとんどがボツ作品や、ボツにもならないような未完成のメモばかりで凄く恥ずかしくなるのですが、今では、このテキストでないと書き出せない様な気がしています。自身の書き出しの歴史そのものである、うず高く積まれた3年分のボツ作品に背中を押されるように、秀作を目指し、新たな作品を書き出す日々は未だ続いています。
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