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【映画感想(ネタバレ含)】ミッドサマーという出家物語

 ずっと観たかったミッドサマー観て参りました!
 ディレクターズカットじゃない普通の方です。短い方。
 公式サイトなどの宣伝を見て、閉鎖的な村の因習とかのアレでしょ? そういうの大好き! カップルで行ったら別れるかもとかすごく面白そう! 日本のジメッとした因習ものじゃなくて北欧の明るいイメージなのがどういう話か予想つかなくて興奮する! などと期待を膨らませ、コロナのせいで延ばし延ばしにしていたんですが、周りが観まくっているのでとうとう我慢できず映画館へ突入しました。
 同監督のへレディタリーは話題になっていたのはホラーファンとしてもちろん知っていましたがまだ観ておらず、何か精神的な攻撃を加えてくるらしいことしかわからず。
 ただ絶対好みだろうという謎の確信があって、結果的にそれは当たっていたわけですが、ホラー映画としての好みというよりも、カルト宗教を細かに描いた面白い映画だったなという感想です。
 色々細かい小ネタが仕込んであるのは感じ取れたんですが、やっぱり1回だけじゃ気づかない……ダニーが鏡に妹の幻影を見るシーンも、私最初おじさんに見えて(動体視力の死)あのおじさん誰? と思っていて、後でレビューを見てそうだったのかと気づく体たらく。あのガスマスクみたいなのがヒゲに見えたんですよ……。
 見落としが散々あることは確実ですが、ルーン文字とか壁画とか色々と詳しく解説してくれているレビューは山ほどありますので、私は自分が初見で感じた率直な感想をここに残しておこうと思います。

 前置きが長いな!
 まず主人公ダニーと彼氏クリスチャンの関係ですが、この二人のアレコレが原因でカップルで観ると別れるという触れ込みになるんでしょうか。
 正直、序盤に私が共感したのは彼氏クリスチャンの方でした(断っておきますが私の価値観も一般的とは言えないと思います)。
 メンヘラ彼女面倒くさい……家庭環境が大変なのは仕方ないけど、彼氏にだいぶ寄りかかっていて、ダニーは自分でもそれを自覚しつつ恋人への依存をやめられません。
 恋人は相手を支えるのが当然ですが、多分この関係だとクリスチャンがダニーを支えっぱなしですよね。与えてばかりで与えられていない気がします。そんなの疲れるに決まってます。一方的に何かしてあげるばかりの関係なんて、無尽蔵の愛でもない限り続くはずがありません。
 友達との旅行の予定を自分が知らなかったというだけでキレられるのも心底面倒くさいです。なぜすべてのスケジュールを教えなければいけないんだ……こいつは絶対恋人のスマホを見るタイプ……。人生でいちばん優先にするべきなのが恋人という価値観が個人的に息苦しいです。仕事(学業)、友達、趣味、恋人、どれを優先にするかは人それぞれと思っているので、ダニーのようなタイプを見ていると心が辛くなります。少し会えないと情緒不安定になり夜中に電話をかけてきて「今自分がどこにいるかわからない」などと謎の迷子宣言をかまし、別れを切り出したら死ぬとお決まりの脅迫をキメてきた昔のメンヘラ彼氏がフラッシュバックします。
 でもダニーとダラダラ関係を続けていたクリスチャンも悪い。面倒くさい、愛せない、この関係は自分にとって有益でないと思ったら、相手のためにも即別れるべき。現状は明らかにダニーへの優しさではなく自己愛です。
 クリスチャンの優柔不断さにもイライラしながら、結局どの登場人物にも思い入れはないまま物語は進みます。いや、ペレは優しいなあ癒やし系だなあと思ってましたけどね! 最初はね!

 しかしこの映画、随所に不安にさせる仕掛けを混入してきてすごくいい。
 冒頭の見るからに不吉な絵も、不吉な歌声も、一家心中の不穏な画面づくりも、道路が逆さまになる演出もとてもいい。これからヤバい展開が起きることをビシビシと予感させてくれます。
 そして村に近づいた野っぱらで早々に草をキメる人々。すごくナチュラル! そんなんでいいの!? ここでR指定の波動を感じる私。
 情緒不安定なダニーは早速バッドトリップします。
 この後もうキマってない場面がないんじゃないかと思うくらい村もドラッグ天国なので、無生物がザワザワ蠢く演出は続きます。
 こういうドラッグで神秘体験を起こすカルトはよくありますよね。すべての感情を共有する村人たち、様々な残酷な儀式、笑顔でそれを遂行する人々、最高です。
 普通、こういった村の薄暗い因習の演出って、村人たちは皆陰気な顔をしているものじゃないですか。ところがホルガ村の人々は明るい。常に笑顔です。そして誰かが泣いているときには泣き、苦しんでいるときには一緒に苦しむ。何という共感力の高さ。
 そして人間大なり小なり共感力はあるもので、観客も笑顔の村人たちを見ていると笑顔になってしまう……には少々内容が狂いすぎているのでそうはなりませんが、個人的にはとてもサラリとした味わいがありました。「なるほど、そういう村の風習なのね」という具合に。村人たちはそれが正しいことだと信じて遂行しているので、陰気な顔になる理由もないんです。それが伝わってきて、見ているこちらとしてもそういう場所なんだなあと理解できてしまうのです。
 それと、人体が破壊されるシーンは多々ありますが、どれもほとんどその過程がないのもホラーと感じない理由のひとつかもしれません。
 人が肉体的な苦痛の声をリアルタイムで上げるシーンは、飛び降りて死に損ねたおじいちゃんと、最後火に巻かれる村人くらいじゃないでしょうか。他は共感力が鬼高い村人たちが泣き叫ぶ場面くらいで、死体さえも色とりどりのお花に囲まれ、映像は常に明るく陽気な色彩にあふれていました。

 そしてクリスチャンと赤毛の子のセックスシーン。笑いをこらえきれませんでした。もう傑作です。間違いなくミッドサマー名場面のひとつです。
 ホラー映画では常識ですが、カップルがおっ始めるとそれはほぼ100パーセントの確率で殺戮の合図です。男女どちらも無残に死にます。「もうたくさんだ! こんなところにはいられねえ!」とグループを抜けて1人で出て行った人物が必ず殺されるのと同じくらいのレベルで殺られます。
 しかしハートフルホルガ村ではそんなことにはなりません。女達は声を上げて二人を励まし、女の子の手を握って歌を歌い、手練ババアは背後から男の腰を押してピストンを助けます。
 クリスチャンがやり遂げた直後、女の子が「赤ちゃんを感じる!」と歓喜の声を上げるんですが早いよ! まだ胚にもなってないでしょ!
 まさしく種馬そのものの役割だったクリスチャンは我に返って白いお尻を振りながら逃げ出すのですが、その後は一応生き残る可能性もあったわけですよね。
 ホラー映画でのセックスシーン=死という公式も当てはまらなかったところも、ミッドサマーをホラー映画と思えない要素でした。こんなにエロスを感じない濡れ場も初めて。グロも霞む勢いで面白かった。

 それにしても、村の外に出て何年も暮らしながらカルトな価値観を持ち続けられるペレはすごい。外との価値観の違いに困惑したりはしなかったんでしょうか。
 ダニーに「僕も両親を亡くしたから気持ちはわかる」と同情を寄せますが、村の価値観でいえば命を捧げた両親は次に生まれてくる命となるはずで、それは幸福なことのはずなんです。でも、ペレは外界との価値観の違いを理解し、その価値観に則ってダニーを慰めている。完全に使い分けています。強い。こいつ完成してやがる。
 このことから村では外の考え方もきちんと教えているんでしょうね。何か俗っぽい映画も見てたし。そうでなければカルチャーショックを受けてカルトから足抜けしてしまいます。外の血を取り入れるために常々若い村人を外へ送り出し、友人を作らせ村に連れて来させているはずですから、彼らはしっかり教育され、使命を自覚して外で暮らしていたんでしょう。中にはそのまま村に戻って来なくなった人々もいるとは思いますが。
 友達をアッサリと生贄にできてしまうペレ、最後まで穏やかな笑みを絶やさず、本当いいキャラしてますね。表情も声も天使のようでした。今作でいちばん気に入ったのはペレかもしれません。友達は選ばんとあかんな。
 しかし本当に誰にも感情移入できない映画です。皆色々とダメです。
 登場人物全員悪人で、誰が死んでもまったく悲しくないどころか爽快感すらある馳星周作品を思い起こさせます。

 一緒に映画を観たアメリカ人(ノルウェー系)によると、この映画は西欧の人間にとっては日本人が感じるよりもっと恐ろしく思えるそうです。
 日本はどこもかしこも狭くて、島の中央に山脈が連なっている土地ですから、自然もコンパクトです。ミッドサマーの舞台のような広い平野での開かれた自然というのは神秘的で美しいと感じます。
 彼のようなアメリカ人にとっては、ああいう場所はある意味身近で、何の制約もない開かれた自由な場所であって、壁もなく、閉じ込められるような場所ではない。それにもかかわらず、登場人物たちは誰一人逃げることができなかった。それがとても怖いと感じたらしいんです。とても自由な場所のはずなのに捕らわれていたのを妙に不安に思ったと。
 確かに育った環境によってあの背景から受ける印象は違うのかもしれません。西欧の人たちってキャンプとかピクニックとか本当に好きですよね。時々うちに招いていた海外のお客さんたちも、隙あらば庭に出たがってそこでお茶を飲んでいました。とにかく外に出て太陽を浴びるのが好きなイメージです。
 そんな開放感を楽しむ場所でああいう殺戮が繰り広げられたことが、すごく不気味に感じたんでしょうね。ミッドサマーの監督もアメリカ人ですから、それも狙いだったのでしょうか。
 聖なる木があったり輪廻転生を思わせる価値観だったり、アニミズムや仏教の視点的に日本人にはホルガの宗教観はそこそこ理解できるものでもあります。クリスチャンという名前もキリスト教と異教との対比だったのかなあ。

 主人公ダニーは始終動揺し、苦悩し、泣き叫びますが、最後には晴れやかな笑顔になります。恋人を焼く炎を眺めながら。
 ホルガに来たその日に誕生日を迎えたダニー。
 家族を失い、恋人にも失望し、すべてをなくしていたダニーが生まれ変わった日。
 俗世への最後の執着だった恋人も消え、今までのすべてのしがらみから解き放たれ、ホルガで新しい家族も得て、彼女は新しいダニーとしての生を受けたのでしょう。
 この映画は私にとって、どうやって人はカルト宗教にハマるのか、という過程を描いた物語に見えました。
 辛く悲しいことがあり、喪失があり、自分の柱を見失い、それを埋めてくれるものを見つけた瞬間。
 自分を認めてくれて、受け入れてくれて、そして共に笑い、共に嘆いてくれる場所を見つけた瞬間。
 ダニー、よかったねえ。もう一人じゃないよ。居場所を見つけたんだね。

 【結論】ミッドサマーは彼氏をお焚き上げして邪念を祓ったダニーの出家物語でした。(副題:ペレの生贄連れて来れるかな?)

 いやあ、いい映画でした。ディレクターズカット版も見たいなあ。