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推し、プロアスリートになる

 2022年7月19日17時。everyをつけ子どもの世話をしながら『決意表明』の会見を待っていた。
 飛ばし記事を見てしまったので何の会見かは知っていたし、ファンになったのが平昌の前シーズンと遅かったので、初めから引退を意識して追いかけてきた。だから、実際に本人からその報を聞かされてもショックは受けないだろうと思った。
 名前が呼ばれ本人が登場した。細身のスーツをまとった、相変わらずマネキンのような非現実的な肢体だ。
 彼にしては珍しく、少し緊張していたように思えた。
 そして、プロのアスリートになる、という言葉。試合にはもう出ないという。
 私は、やはり衝撃は受けなかった。本人にまったく悲壮感がなく、前向きに見えたせいもあるかもしれない。
 記者たちの質問に澱みなく答える様子は生き生きとしていて、ようやく次のステージに進めるというような、僅かな安堵感すら見えた気がした。

 そうか。ようやく予定していた未来に行けるんだ。そう思った。
 ソチ五輪前から宣言していた未来図。オリンピックを二連覇した後、プロスケーターになる。平昌後のこの4年間は、いわば予定外の競技生活だったはずだ。本人も北京五輪に行くとは思っていなかったと言っていた。4Aの夢を追いかけるための現役続行だったけれど、それよりもやはりファンのために戦い続けてくれた部分が大きかったのではなかったかと思った。
 これまでのスケーターに類を見ない人気の高さ。頭ひとつ抜けているどころか、比較にならないほどの巨大な世界的ファンダムになってしまったと思う。試合に出ればそれが国外でもファンたちは世界中から大移動し、凱旋パレードをすれば10万人以上が殺到する。イベントを開催すれば公式サイトがダウンするのはいつものことで、アイスショーのチケットも彼の出演が発表されれば途端に入手困難なものとなる。
 すべてを見通し有言実行の道を歩んできた彼でも、これほどの人気が出ることを予想していただろうか。二連覇を成し遂げた頃、想定外のファンの多さ、期待の高さが、予定通りに引退することが躊躇われるほどの環境を作り上げていたのではないか。
 『羽生結弦』であることの重さは、彼がファンの想いをすべて受け止め、その期待を裏切るまいとしてしまうがゆえのことだと思う。
 当初の予定にはなかった4年間。私が平昌の前シーズンにオールバック落ちしてから、実際試合に足を運び追い続けた4年間でもあった。
 現役を終えプロになるという表明で、しみじみと様々なことを思い出した。
 あっという間に時間は過ぎ去り、CMが入った。
 気がつけば、子どもに剥いてやった桃は色が変わっていた。

 とか何とか冷静に受け止めてる感じに書いたけれど、やがてやって来る現役引退イヤイヤ期。
 やだよお〜〜〜〜もっと試合見たいよお〜〜〜〜今シーズンはどんな曲滑るのかなとかどんな衣装なのかなとかYUZURU HANYUってコールされる瞬間の心臓バクバク感とか試合中の興奮絶頂とか終わった後の解き放たれて灰になる心地いい疲れとかまだまだ味わいたいよ〜〜〜〜!
 ってそれは全部自分のためであって推しのためではないのである。
 彼はもう取るもん全部取っちゃって男子史上初のスーパースラムまで成し遂げているし五輪二連覇も有言実行してるし4Aも彼のやり方で跳んで認定されるところまでいけてるし、現役でできることはすべて制覇してしまっている。
 それに今現役引退イヤイヤ期が来ているのは私が彼の現役しか知らず、当然誰もプロとしての彼をまだ知らないからだ。
 絶対に皆が狂喜乱舞するような新たな驚きと興奮をお届けしてくれるに違いないので、それを正座して待っているか、現役時代の思い出をねろねろと見返してイヤイヤ期をやり過ごすしかないのです。

 というわけで以下、2016~2017シーズンのクレイジーちゃんでスコンと落ちてから(落ちたときのnoteはこちら)突撃し始めたものの記録(それぞれレポにリンクあり)。

2017 FaOI幕張
2017 GPSロステレコム杯
2018 CwW
2018 FaOI金沢、新潟
2018 GPSヘルシンキ
2019 さいたま世界選手権
2019 FaOI仙台、富山
2019 GPSスケートカナダ
2019 NHK杯(女子、男子SP)
2019 全日本(女子SP)
2020 四大陸選手権
2021 全日本(男子SP)

※レポのモーメントはこちら(なぜか最新の四大陸がいちばん下にいっちゃってます)。

 2017年からの5年間、4つのアイスショーに行った。試合には8回足を運び、その内海外は4回。
 ちなみに平昌はなぜかスルーし、ミラノ世界選手権のチケを取っていたんだけれど、推しは出なかったのでキャンセル。なぜ平昌に行かずそっちに行こうと思ったのか今では謎である。確かチケット高いとかめっちゃ寒いとかミラノ行きたいとかそんな理由だった気がする。返す返すも愚かなり……。
 中でも私が折に触れて思い出すのは2019のスケカナ。
 それまでの海外観戦は同じく羽生ファンである母と行っていた。一年に一回は一緒に海外旅行をしていたので、フィギュア観戦も旅行の延長という感じで普段の旅行とそれほど変わった感覚がなかった。
 けれどペットの事情で、スケカナから私は友達と一緒に行くことになった。
 そのせいか、2019スケカナはとても特別に思えて、何もかも初めてのように感じて、本当に楽しかった。今に至るまで何度もしみじみ思い出しては「楽しかったなあ…」と思うのがこの遠征だ。
 もちろん母との旅も楽しかった。まず頭に浮かぶのはヘルシンキ。
 女子の試合の前に鹿肉のステーキと赤ワインをゆっくりと味わい、ほろ酔いで美しい女の子たちの舞を観に行ったのだ。
 あの美味しさ、ヘルシンキの町並みの美しさ、そして特にエキシビションの春ちゃんが綺麗で綺麗で……最高の体験のひとつだった。
 初めて試合を観戦した2017ロステレも特別だ。
 隣の席に座った羽生ファンロシア美女と色々語り合ったのも新鮮だったし、とにかく会場は羽生ファンばかりで、海外にこんなにファンがいるのかと驚いたものだった。
 そう、海外の試合で最も楽しいことのひとつは他国の羽生ファンと語り合えることだ。ロシアではロシアのファン、中国のファンと出会い、カナダではアメリカ人カップルのファンと出会い、フィンランドではスウェーデンのファンと出会った。スケカナで初めて優勝した推しのお祝いにレストランで乾杯していると、現地の人も「オメデトウ(日本語)」と声をかけてくれた。
 そして鼻血が出そうなほど興奮したのは2019世界選手権フリーだと思う。
 あの高揚は、多分人生で初めてのものだった。
 もちろん平昌五輪に行けていればそれ以上だったと思うけれど、やはり現地で経験した感覚はまるで違う。緊張、恐怖、興奮、脱力。それはもうジェットコースターさながらの疾走感で、演技後の爽快感が凄まじい。会場全体が彼の劇場になり多くの観客が同時に熱狂するイリュージョンだ。これを体験したら、もう病みつきになってしまう。ていうか冷静になると何で一人の人間がそんなことできるの? 人間? いいえ妖精天使神。
 そして2020年からは夏に子を授かったので動けなくなり、2021年の全日本は近所での開催だったのでちょこっと観に行けた程度で、この2年間お茶の間観戦がメインだった。そもそも、コロナで試合自体があまりなかったのだけれども。

 思い返すだけで本当に楽しい、ファンになってからの6年間だった。コロナで自由に身動きが取れず、また私生活の事情で時間が取れなくなって改めて思う。なんて素敵な、最高の日々だったんだろうと。
 特に海外遠征は現地の文化、料理、お酒、言語、周りのすべてを楽しみながらしかもキラキラの推しに会いに行けるという贅沢な時間で、何ものにも代えがたい宝物だ。
 今までにもオタク趣味でいろいろなものにハマって来たけれど、こんなに移動距離が長く、費やす時間(と費用)が多かったものはない。間違いなく、私の生活の中心に推しがいた。趣味というか生活だった。人生が羽生結弦に染まっていた。
 現役時代を応援させてもらえて、満身創痍でこんなにも長く続けてくれて、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 私は今自分の趣味のために使える時間が限られる時期に突入してしまったけれど、その前のすべての自由な時間を自分のために注ぎ込めるときにファンになれて本当によかったとしみじみ思う。
 きっといずれ世界中でアイスショーをするなんてことにもなるんだろうから、またその頃、現役時代に競技会を応援するためと旅行を兼ねて海外に飛んだように、遊びに行けたらいいな、なんて妄想している。そのときにはまたレポが描けたらいいな。
 プロアスリートとして、どんな羽生結弦になっているんだろうか。
 きっと何にでもなれるしどこへでも飛べる。
 だってねえ、ほら、もう生まれながらに黄金の羽根が生えてるじゃない?
 本当に楽しみで楽しみで仕方がない!