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なんか書いてみた

 気づいてみれば、もう二年以上も経った。
 何がかというと羽生結弦選手に”オールバック落ち”してからだ。2016年10月のスケカナあたりだっただろうか。何かその辺、という曖昧な記憶しかないが、とにかく私はオールバックで落ちた。
 オールバック。甘美な響き。どうしておでこが露出しただけでこんなにもときめいてしまったのか。羽生結弦のおでこには何があるのか。私が3✕年探し続けた理想のおでこがあの清らかな富士額だったのか。いや、違う、おでこだけではない、そこにはらりと落ちる一筋だか二筋だかの前髪が素敵なのだ。あと意外に男らしい眉だとか鼻筋にかけての骨格だとか。白オールバックも紫オールバックも美味しい。オールバックなら何でもいい。オールバックのゲシュタルト崩壊。オールバックに埋もれて眠りたい。
 と語ると長くなるので割愛するが、とにかく飽きっぽい性分の私がもう二年。そして未だ追い続けている。
 この調子じゃ三年、四年とあっという間なのではという気もする。先々のことは誰にもわからないけれども。

 というわけで、記憶の色褪せない内に落ちた辺りの経緯とか落ちた後のカルチャーショックとかそんなものを書いてみようかしらとnoteを登録してみた。完全にチラシの裏なので公開非公開も気分である。

 とりあえず最初に言っておくと、私はスケオタではない。
 テレビでフィギュアがやっていれば見る程度のファンとも言えない層で、大多数の国民と同じく真央ちゃんが好きだった。とにかく可愛く美しい女子が綺麗な衣装を着てクルクルしているのを見るのが好きだ。華やかなものは見ていて楽しいし心が弾む。
 男子はというと正直ほとんど見ていない。高橋選手がバンクーバーで銅をとって「ようやく日本男子も表彰台に乗れる人が出てきたんだなあ」というくらい。なので本当に申し訳ないくらい記憶にない。
 男子の衣装は大体キラキラしてないしジャンプはダイナミックだけど体が固くて何となくつまらない。日本で突出した選手がいなかったのも理由のひとつだろう。あと、西欧の選手と並ぶとどうしてもスタイルで見劣りすると感じる。やっぱり女子の方がいい、となってしまう。何と言っても真央ちゃんがいたので、そちらの盛り上がりに比べると男子はあまり見る気がしなかった。

 羽生選手のことはもちろん落ちる前から知っていた。
 男子に関心がなくてもフィギュアは見ていたので、何かすごい子がいるらしい程度の認識だ。いつから名前を知ったのかは覚えていない。ソチで金をとって「こんな子いたっけ?」とはならなかったのでその前からだと思うのだけれど定かでない。
 あと、今はファンになってしまったのでこれを書くのは気が引けるのだけれども、競技の結果は率直にすごいと思うものの、オフアイスのときの彼が正直苦手だった。
 めっちゃ歌ってるのが恥ずかしい。おじさんのようなギャグがつらい。喋り方がモロにオタク。笑顔が時々えなり。
 これらの「あっ、つらい、恥ずかしい」という印象は、私自身がオタクであり、恐らくそういう部分を見せつけられているようで「やめて〜!」となるのだろう。ウォーミングアップが映ると耐え切れずチャンネルを変えたりしてしまっていた。
 最初に何となく『人間失格』の主人公のある描写を思い浮かべたのを覚えている。誰かに見られていることを意識してわざとらしく振る舞う。そういう部分は自分にもある。彼はそういう人なのだろうと思っていた。


 そう、今では考えられないことだけれど、以前私はアンチと呼ばれる人種に近いところにいたのかもしれない。陰謀だ忖度だは頭がおかしいとしか思わないけれど、彼を苦手だという人がいるのは理解できる。自分がそうだったので。
 ただ、彼にさほど関心のない時期は、ファンの存在もアンチの存在も知らなかった。ツイッターで検索もしていなかったし、するとしたらソチの盛り上がっている時期で、ネットにはコラがあふれ、彼の二次元的スタイルが賛美され、そういうものらは当時普通に何らかの二次オタとしてツイッターに生息していた私のTLにも流れてきて、「羽生くん萌える」くらいは思っていたと思う。
 つまり、「すごい才能あるしスタイルもめちゃくちゃいい、綺麗な子だし萌える、けどちょっと痛い子」という認識だった。長い間。

 そんな私を変えたものはオールバック。
 と言いたいところだけれど、少しずつ変化は起きていた。思い出すのは紅白歌合戦の羽織袴の羽生くん。
 美しかった。まさにお人形さんだった。動く雛人形。錚々たる顔ぶれの芸能人たちと並んで立っていても、彼だけがまるで別の世界の存在のようだった。
 白くて小さな顔。端整な目鼻立ち。黒い艷やかな髪。長い首となで肩に和装が異常なほど似合っていて、正直見惚れた。紅白は毎年適当に見ていたけれど、時折抜かれる羽生くんのためにその年は真剣に凝視していた。
 彼をこんなにも綺麗だと思ったのはこのときが初めてかもしれない。ソチのパリ散は男の子が背伸びしているようであまりカッコイイとは思わなかったし、フリーはフェミニンな衣装と体の細さに萌えこそすれ、それ以上ではなかった。
 綺麗で可愛い。スタイルもすごい。スケートの天才。
 そこに「カッコイイ」を加えたのがオールバックだった。オールバックを見た瞬間、「羽生くん男だったんか」という意味不明な衝撃に打たれた。当たり前である。性別はオス。知っていたけれど知らなかった。
 私は多分彼を男でも女でもない生命体として見ていたのだろう。それが今では、男でもあり女でもあるような両性の美を兼ね備えたはにゅうゆづるという性別と認識している。わけがわからない? そうでしょう、それが落ちるということなのよ。
 そのシーズンあたりから、明らかに体つきも変わってきた。成人男性の気配を感じ始めた。けれど、彼は女性的優美さあふれる白鳥にもなったし、可憐な少女のようなピンク衣装だってあつらえたように似合う。その体どうなっとるんじゃと何度も思った。まさしく性別はにゅうゆづる。新たに「カッコよさ」を加え、更なる多面性を見せつけてきた彼に私はドボンと落ちた。

 そして、ファンになった人間の例に漏れず、手始めに検索の鬼となった。
 色々なものを見た。地獄を散歩した。知恵袋のあのカテゴリは絶対見ない場所になったし5ちゃんも魑魅魍魎の棲家だった。
 これほど強烈なアンチが彼にいることを初めて知った。毎日毎日彼の悪口ばかり書き込むアカウントは明らかに異常。ヤバイ。目がイっちゃってる。他のジャンル(二次)でこんなのは見たことがない。せいぜい別カプや逆カプ、同カプでも解釈違いの戦争くらいしかない。戦争する以前に原作ではBLしてませんので。アホで不毛で平和だった。
 しかしこちらは現実世界の話である。実在する人物への中傷、捏造なので実害がある。しかもまだ十代二十代の若者に、恐らくかなりお歳を召した方々が罵詈雑言をぶつけている。ホラーの世界だ。
 そういう悪意のほとばしる界隈は初めからお触り禁止だと判断して「汚いもの触っちゃった」くらいにしか思わなかった。あれに「えっ羽生くんってそんな人だったの! ショック><」と騙される人がいるとすれば、それは最初からそういう情報を探していたアンチ予備軍か、ありがたい幸せの壷を買わされてしまう系の頭の気の毒な人だろう。壷を抱いて眠れ。
 もうあの地獄ではコミュニティが築かれているので、自分たちでも正常とは、一般とは、というものがわからなくなっているんだと思う。悪意で繋がったコミュニティの末路は悲惨だ。もう彼の悪口を言うことでしか満たされない脳の構造になっている。攻撃材料が何もなければ作ればいい。それが事実でなかろうが関係ない。
 そのサイクルはよく知っている。小学生の頃、いじめのターゲットが順番に回ってくる世紀末な学校だった。何の落ち度もない子をいじめるときにはそういうやり方がなされていた。幼稚で純粋な悪意。それだけに質が悪い。早く成仏して欲しいが物理的にそうならない限り無理だろう。それが生きがいなのだから。アイコンを見て、彼を憎んでいるのが誰と誰のファンなのかを知った。フィギュアファン界の闇を理解した。


 検索することで地獄を知った一方、初めて彼が自著の印税をすべて寄付していること、これまで歩んできた道、プログラムに込められた想いなどを知った。「え、人生何回目……?」と思うほど高潔な人間だったことに目を開かれたような思いがした。印税? 全部貯金ですわなどと私のような俗物と同じことは考えない。しかも、まだ十代の内から。全額。目眩がした。
 同時に、私はかつて苦手だった彼の要素がまったく間違っていたことに気づいた。彼は『人間失格』の主人公ではない。あの人物は自分が周りにどう見えるかを常に気にしてわざとらしく振る舞っていたが、彼はそうではない。
 逆だ。周りにどう見られても構わないのだ。彼は自分自身であることにしか関心がない。どう見られているか気にしないのでめちゃくちゃ歌っている。それだけ集中している。そして、彼の氷上での振る舞いは常に『ファンのため』だ。彼は会場に詰めかけた大多数の観客が、誰を観に来たのか知っている。そして、少しの恐れもなく、リンクの上からファンに感謝の言葉を述べる。ファン以外の人が見たらどう思うか、ナルシストと思われるんじゃないか、変に思われるんじゃないか、などという発想がない。いい意味で恥じらいがない。見栄がない。怖いぐらい真っ直ぐだ。
 現に、彼をあまり好きでない友人に「羽生くんのあれ、何? 平昌のショート終わった後ただいまとか言ってたよね」と引き気味に聞かれたことがある。恥ずかしいと思ったのだろう、かつての私のように。それはファンのためだよ、と答えた。私は彼の「ただいま」にテレビの前で「おがえり!!!」とクソデカ声で叫んだのだから。彼女は「ファンのため」という私の返事に納得していた。そう、ファン以外から見れば率直に「あれ何?」である。ファンでなければわからない。怪我をずっと我がことのように心配し、彼の一挙手一投足を胸を締めつけられる思いで見つめ続けたファンでなければ。
 そして彼はそれをよくわかってくれていた。自分の怪我で精一杯だろうに、何て人なのだろう。
 先のロステレでの松葉杖も同様に苦手な人々にナルシストと言われていることだろう。あれもファンのためだ。彼を待つ会場を埋め尽くすファンのために彼は出てきた。怪我をし、エキシビションにも出られず、悲しむファンのためにできた精一杯のこと。それがどう見られようと構わない。彼はいつでもファンの方を真っ直ぐに向いている。
 自分自身を貫ける強さというものは、稀有なことだと思う。誰しも多少恥じらいやプライドがあって躊躇することを、彼は普通にできる。喜び、悲しみ、楽しさ、闘志、そんなものをすべて彼は純粋に子どものようにあらわにする。
 かといって無軌道なばかりの子どもの振る舞いとは違う。彼は自分の置かれている立場、特に公の場でのTPOを二十代の若者とは思えないくらい、恐ろしいほど怜悧に理解している。かつ、やはり自分を貫いている。何者だ。
 私は彼の本質を何もわかっていなかったと悟った。これまで苦手だと感じていたものがひっくり返った。マイナスからプラスへの急上昇。強烈にかかるG。強面の不良が捨て猫に傘を差してやっていたギャップどころの騒ぎではない。
 一度目は外見に、二度目は内面に『落ちた』。完落ちである。

 羽生結弦、尊い。スーパーヒューマン。いや、天使、妖精、天女。
 こんなにも美しく、強く、賢い人を今まで放置していたとは何事か。完璧過ぎる。
 寒いギャグ? そんなものはチャームポイントのひとつです。

 もっと色々書きたいけど、今回はとりあえずこの辺で。