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考えるあゆみ(第三回)

しばしばルートから外れてしまうけど なかむら あゆみ

 一時間目の授業が始まり静まりかえった校舎に入った。しばらく学校を休んでいる息子に学年末テストを別室で受けさせるためだった。上靴に履き替えた息子と事務室にいくと校長先生が待っていた。別室とは校長室なのだろうか? 緊張するだろな。心配したが「教室に比べればどこでも天国」と言っていた息子の言葉を思い出し、うすい笑顔でお辞儀した。見送った後、校舎を出ると運動場では体育の授業。帽子の色で息子と同じ学年だとわかった。数日前まではあの中に息子もいたのに、今は彼らとは違う場所で平日を生きていると思うと不思議な気持ちになった。「体操着を忘れました」先生に嘘をついてまで息子が嫌がった体育の授業。参加した日はいつもちぐはぐな制服姿で帰ってきて、息子が焦って着がえないといけない何かが起こっていると私に知らせてくれた体育の授業。生徒の誰とも目を合わさず、何でもないようにそばを通った。ものすごく遠くて、眩しくて、少し怖かった。集団から外れて見る景色ってそういうものだったよなと昔を思い出した。
 35年前、父のバイクの後ろに乗って学校に到着したおさげ髪の私。すでに授業は始まっていて校舎はひっそりしていた。「だいぶ遅刻や。はよ、行け」父に言われバイクを下りた。校舎を見上げると2階の教室で授業を受ける生徒と目が合った。「やっぱり今日は行けん。休む」再びバイクに乗ろうとする私に父は「何を☆〇●じゃ。父さんも仕事に遅刻する。さっさと××〇〇▲!」と、すごい形相で怒鳴った。淡い期待が打ち砕かれ涙がこぼれたけれど仕方がなかった。以前通っていた学校で不登校になった私を、何とかしようと転校させたのに、新しい中学でも通い始めて三日で「教室に行けん」と言いだして、父はさぞ落胆し腹も立てていただろう。「とにかく今日は行け」「いやじゃ」「あゆみ!」「いやじゃ」「行かんか、こらあ!」バイクから降ろされ、父に引きずられて校門をくぐるおさげ髪をハラハラしながら見守ってくれた生徒もいたかもしれない。靴箱の前で父は「教室へは自分で行けよ」と言い残し、職場へと向かった。残された私は校内をふらふらとあてもなく歩き回り、教室から聴こえる先生の声やざわめき、生徒たちの笑い声に耳を澄ませた。ものすごく遠くて、眩しくて、怖かった。自分がこの中に入ることが想像できず、ここでもまた外れてしまったと背中を丸め職員室の前で座り込んだ。しばらくして、思いがけず同じ学校のひまわり学級(特別支援学級)に居場所ができた。私のことを「君(きみ)くん」と呼ぶ担任の先生と毎朝握手を交わすことだけは嫌だったけれど、そこで出会った同級生たちとのかかわりは自分の意識を変え、その後の生き方に大きな影響を与えるきっかけとなった。普通学級(当時はそんなふうに呼んでた)に通っていないことではっきりと差別を受けたり嫌な目にもあったけれど、それも含めて学んだことは多かった。以後しばしばルートから外れたり逃げたりしては、行きがかり上見つけた矢印に従い知らない道を進んだり、そしらぬ顔でまた元の道に戻ったりしている。そんなふうに生きていると、「礼儀知らず」「子どものほうがまだまし」「社会人として恥ずかしくないのか?」いろんな角度から言葉のボールが飛んできて傷つくことが多いのでオススメはしないけれど、嫌なことばかりではなく、案外得したことも多かったかもしれないと今になって思うこともある。息子の歩く道はこれから。しばらくは私が舗装したり、矢印の看板を立てたりする。自分の親も懸命にそうしてくれたのだから。

寝起きの息子は時々へんな動きをする。そっちに行くのか?

冬の雑記 

1月1日 京都から大学生の娘が帰省し、家族4人で迎えた元旦。お雑煮だけ作って、母手製の黒豆と栗きんとんをちまちま食べた。卒業単位が足りず、今年大学5年生になる娘が就職についてふわふわと可愛らしく言うので、つい泥臭く働いてきた苦労話を偉そうに話してしまい、自分にうんざりした。昨年夫が鬱で休職したこともあって、この数か月は働くことについて随分考えてきたけれど、肯定的な気持ちもマイナスな感情もあって、就職のことも正直どんなふうに娘にアドバイスしたらいいかわからない。梅酒が回ってきたこともあり「……働くって、何なんやろ。な」唐突に問うてみた。娘もさぞ困惑しただろう。
 仕事での経験や習得した技術、人とのかかわりがあったから今の自分がいるわけで、働くことで得られること――休日前夜の高揚感や解放感、外周りで心身がくたびれ果てている時「これどうぞ」とお客さんがくれたオロナミンC、現金で渡される給料袋の感触(昭和生まれ限定)、稼いだお金で買い物する喜び、個人的には接点を持てないような人(出来事)と関わる経験、社会的な居場所――は結構ある。けれど、今の日本の労働環境に存在する「当たり前」の中で経験するしんどさ――無駄に長い勤務時間、休みが少ない、一日休暇取るだけでいろんな人に頭を下げないといけない、直属の上司が仕事大好きで帰らない(=帰宅しづらい)、その上司の給料明細(=10年後の自分の給料)を偶然見た時の絶望感、気圧で機嫌が左右される同僚がいる、理由なく機嫌が悪い同僚がいる、社長の態度から透けて見える「雇ってやっている感」、男女共同の和式便器に社長が毎朝付けるうんこの掃除、「業績の良い会社はトイレも綺麗」と終礼で圧をかける社長、帰社直前に掛かってくる電話(大体トラブルかクレーム)、仕事が忙しい時に限って「コーヒー淹れて」と暇な上司が言ってくる、その暇な上司が「子ども産んでるからいいよね」と意味不明の前置きの後、コーヒー飲みながら下ネタを話し始める――はやっぱり止まらないほどあって、働くことはしんどいのに喜びはちょっぴりで、頑張ったことに対して褒められることが少なすぎると思う。私も過酷な労働を経て40歳で2人目の子どもを出産後、労働意欲が全く湧かなくなり、程なく心身を病んでしまった。以来体調重視で無理のない程度にちょっぴりしか仕事を請負わないわがままなフリーランス生活を送っている。仕事で得られる充実感は何物にも代えがたく、今の形態で働けるのも長年の経験が役に立っているからで人生の選択肢を増やすことは間違いない。しかし、ワークライフバランスを保つのは本当に難しい。どうにかならないものか……。

気力が無くなり布団の上で毎日ゴロゴロしている8年前の私

1月2日 「初夢に怖い同級生が出てきた」潜りこんだ布団の中で息子が言う。年が明け、学校のことを考え始めているのかもしれない。初夢くらい良い夢を見させてあげてほしい。休職していた夫も職場に戻る日を会社と相談しているようで落ち着かない。数か月ぶりの出社は気が重いだろう。会社のことは訊かない約束なので、廊下や洗面所で座り込んでいる夫に遭遇しても何でもない顔で素通りする。私は短編小説の締め切りが迫り、追い詰められていた。気持ちが落ち着かずなかなか集中できない。夜は誰かが作った冷凍おせち豪華三段重を解凍して家族で食べた。

1月11日 昨年から書いていた短編小説の原稿をようやく入稿した。心配が多い時期と重なったせいか、いつも以上に考えがまとまらず思考停止の連続で、相当苦しく時間も掛かった。「依頼されて『やります』と引き受けたのだから」という意地と、「阿波しらさぎ文学賞受賞後の作品だ」という気負いがなければ途中で放りだしていたかもしれない。力みすぎで執筆中は微熱が続き、後半は耳周辺の湿疹が酷くなったため眼鏡が掛けられず、書く時以外は裸眼で過ごした。ぼんやりとした視界の中で「向いてない」と呟いては毎日同じ服のボサボサ頭でパソコンに向かった。あらすじを考えないで書き始めるので、最後の一行まで「筆が止まったらどうしよう」という不安と対峙し続けた。「三面鏡に映る自分はどうしてこんなによそよそしいのだろう?」子どもの頃からの疑問をスタートラインにして書き始めた物語は面白く皆さんに読んでもらえるだろうか? とにかく自作を発表できるチャンスを貰えたことは本当に有り難かった。

「今までが見えすぎていたのかも」意外と新鮮な裸眼世界(画像はイメージ)

1月14日 また爪を切り過ぎた。長年の仕事=ヒール生活を続けた結果、巻き爪になり爪切りには長年難儀している。深爪が原因で爪の脇から膿が出ることも少なくないのだが、裸眼生活を始めてからは手の爪まで切り過ぎて、化膿させては膿を出している。爪の周りが赤く膨れ上がってじんじんする所をギュッと押すと膿がにゅっと出る。それを家族に見せて「見て、これ」と言っては構ってもらう。

2月5日 小説の執筆が終わった途端、湿疹が治って眼鏡もかけられるようになった。今度書く時までに免疫力を上げよう。まずは筋力アップだ。息子が毎日している縄跳びを私も一緒に始めることにする。私の場合、後ろ跳びをすると腰が抜けていき、3回目でヤンキー座りになることがわかった。

 2月16日 友人と始めたLINEでの交換日記が面白い。交換と言っても友人が送ってくる日々のことを一方的に楽しんでばかりいる。「私の大事ならっきょを、机から持ち去って液体を犬が全部舐めた」。「私の 大事な らっきょ」でもう面白くて想像力をかきたてられる。一度目の結婚の時、当時の義母が毎年のようにくれたラッキョウを思い出した。茶色くてトウガラシがやけに入っていて小粒だった。相性が悪く最後まで理解できなかった人。きっと向こうだって同じ気持ちだっただろう。

 2月19日 夕方まどろんでいたら、昔の恋の記憶が蘇った。あの時、私が焦りすぎなければ付きあえたかもしれない。だってあの木の下で寄り添って話した時は気持ちが通じ合っていたから。惜しいことしたな……。しばらく考えていると、その思い出が端から消えていく感覚。今の思い出って、妄想? 頭に浮かんだ都合のいいイメージを本当の記憶のように思い出していたとは……怖い。けど、気持ちよかったな。30年楽しんできた妄想の最先端を見た気がした。

 2月22日 冷凍コロッケが野菜室で柔らかくなっていた。ショック。他にもおかしなことをしていないか冷蔵室を点検したら奥で正月にちまちま食べていた黒豆がカビで緑豆になっていた。残ったご飯を冷凍しようとタッパーを出したら、数日前に冷凍しようとタッパーに入れたご飯がすでにそこに入っていた。

 3月5日 『文学+Web』の原稿(つまりこの原稿)が一向にまとまらない。パソコンの前で「どうしたらいいのかわからない」とうなだれる私を見かねた夫が「執筆のヒントを送った」と言う。メールを開くと『御神木』という渋いタイトル。「人類よりはるか以前から――」で始まる文章は、ヒントというより壮大なSF小説のプロットのようだった。彼がどうしてこれを送ってきたのかは私にはわからなかったけれど、知性を吸収した木が100年かけて動けるようになり人間社会に入りこむ物語は悪くないどころか小説に仕上げたものを読んでみたいと思った。そう夫に伝えると、今度は息子が自分にもアイデアがあると語りだす。現在の自分が世界の問題を解決するために過去の自分とそのまた過去の自分と共に試行錯誤するというこれもまたスケールの大きなものだった。しかしこのエッセイをすっきりと終わらせることはできなさそうだ。夫よ息子よ、ありがとう。そもそも、ここまで書いてきた話には中心となるテーマさえなく、思うままにだらだらと書いておきながら最後に少しでも意味のあるエッセイにしたいなどと欲を出した私に問題がある。とりあえず、入稿をしてからどうしてこんなことになってしまったのかを考える。

 お知らせ

 名古屋で展示会を開きます。メンバーはTwitterで繋がった東京、三重、徳島で暮らす3人(ボンジュールさん @bonjourmegane、ida ayaさん @idaayada、なかむらあゆみ)。私はこの展示のためにショートストーリーを書きました。どうぞよろしくお願いします。 

▶なかむらあゆみ 徳島県徳島市在住。第4回阿波しらさぎ文学賞受賞『空気』。第3回阿波しらさぎ文学賞 徳島新聞賞受賞『檻』。 掌編小説3作が米Web雑誌掲載(Toshiya Kamei翻訳)。SFオンライン誌Kaguya Planet『玉田ニュータウンの奇跡』。吟醸掌篇vol.4『お水とり』。文芸同人誌『巣』編集・発行人。

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