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ポエムはみんな生きている(第八回)

雪とARの香り ni_ka

ハートや星がデコデコと、偽宝石がAR空間にたくさん散りばめられた、ソトヅラばかりがやたらまばゆいきみのスマートフォンに残る、たくさんのイメージに分裂したkittyちゃん、お父さんからの最後のメール受信日は、今日から、何年か前。
――今日は時間取れない また今度――
と、淡白な、この一行返信。で、これっきり。
「連絡くれればすぐに逢いに来るからな。離れていても、俺たちは一生親子なんだから」なんて言ってたのにね。
 
きみは、小ちゃな時からkittyちゃんを自分の鏡だと信じ込み、毎日会話をし続けた。kittyは色がなくて純白で、きみ色になる。そして口がないから口うるさいことを絶対に言い返せないんだよね、きみを否定しない。きみは口無しkittyを梔子の花、唯一の心の友にして、きみ自身ときみのお父さんと周囲を許してきた。ずっとkittyを媒介にして、人生and世の中を許してきた。なんとかkittyをきみの代弁者にして、愛もやるせなさも許してきたんだよね、kittyちゃんはふわふわしていて、まるでお父さんと正反対で、kittyとお父さんは逆鏡みたい。そうしたら、kittyちゃんは、いつしかたくさんのイメージに分裂して、きみの父になってきみを守ってくれた。分裂したまま、きみにはたくさんのお父さんkittyがいる、二人ぼっちだ、あたたかい。
 
学校で嫌なことがあった冬のはじまりの日、きみは、別れて暮らすお父さんに無性に逢いたくなって、デコデコの眩しいスマホをポケットに入れて、赤い自転車に飛び乗った。お父さんにはメールで連絡などはせずに、自転車を加速させながら、スマホの電源を切り、上着のポケットに、きみはそれをそっと隠す。
この赤い自転車は、いつだったかのクリスマスに、お父さんとお母さんがくれたもの。きっとあれが、二人の最後の共同作業だ。
ほっぺたをかすってゆく冷たい木枯らしが、きみに「子はかすがいなんて嘘だよ」って教えてくれる。
Achild binds a married couple together.(子供は夫婦のかすがい)
おかげ様で、というわけでもないけれど、きみは英語塾のクラスでたった一人、この英文の訳を授業で言い当てることができた。良いこともあれば、悪いこともある。とんとんじゃないけどね。

学校であった嫌なことっていうのは、言わない事にする。だって思い出したくないし、どの学校セカイでも毎日起きているような、ありふれた出来事だから。リフジンで深いマンホールに、ふとした瞬間にきみが落ちてしまった、それだけのこと。
少しくらい嫌なことがあったって、おうちに帰って、温かいココアをいれて、お母さんに禁止されてる、スプラッター系のホラー映画のブルーレイ、または、分裂した友たちが統合されて“生きている”kittyちゃんのアニメのブルーレイ、このアイテムをそろえさえすれば、だいたい忘れちゃう。
〈(ココア)「ごくっ……」、(ホラー映画・叫び)「ぅわぁあぁ……怖っ、kittyちゃんっ、怖すぎるねー」と、リズミカルに行われる、きみの秘密のソセイの儀式〉
 
嫌なことを忘れなくても、「今日も平気だよ」って顔して、仕事で疲れて夜になって帰ってくるお母さんに笑いかけることぐらいはできる。きみはリアルでは、母子家庭のしっかりした強い子なんだから。
 
だけど最近は、寂しさが塵みたいに胸の奥のところに積もって、なかなか更新がうまくいかなくなっているみたい。大人と子どもの境界線にいるのも、最近はなかなか大変で。大人と子どもが、AR空間と現実の空間のように曖昧になっている。今度から、胸の奥が塵で汚れきる前に、お掃除、しないとね。
 
自転車をひと漕ぎし、御殿山に近くなるごとに、kittyちゃんお父さんに取り囲まれてゆくような気がする。いくつかの大使館の前を快調に自転車ですりぬけた、サルスベリの木々、
「サルスベリは、猿も滑るつるつるの樹皮だから、サルスベリって言うって説もあるんだよ、面白いだろ?」
って、いつかお父さんが車を運転しながら楽しげに語ったら、
「百日紅のお花の赤ってきれいでしょ、独特よ、あの赤の独特さは、モンキーとは無関係よ」
って助手席のいつかのお母さん。後部座席には、いつかのきみ。
百日紅、お花、赤、秋に散って、散れば咲き、散れば咲きして、百日紅。
長かった道のり、終わりそう、あともう少しがんばって自転車漕いだら、分裂した無数のkittyちゃんお父さんたちがきみを見守ってくれるし、kittyじゃない方のお父さんが通勤に使っているはずの品川駅に着く。もうすぐ、kittyじゃないお父さんとお母さんがリコンする前までは、きみも、お母さんも、お父さんも、手を繋いだりして、利用していた懐かしいあの駅に着くんだよ。きみは分裂したイメージのレイヤーのkittyお父さんたちに囲まれて感覚が浮遊してゆく。

終わらない車道の長さ、自転車、風、きみ、漕いで、漕いで。もっと、早く。孤独を超えるが如く、きみよ、kittyお父さんたちと一緒に自転車、飛ばせ。

ARの境界との高輪周辺、生と死と詩のレイヤー空間。わさわさと揺れる、秋のおわりと冬のはじまりに生きる季節の香り。旧オヤコ三人でよくおでかけに来た懐かしい高輪の道を、きみは赤い自転車で走り抜ける。
シャーシャー、と、微かな車輪のこすれる音と、きみのココロすべてを支えてきたkittyちゃんお父さんたちの、くるくるときみを囲む無言の顔のAR、その他のすべての騒音も、人も、建物も、道路も、空気も、銀杏の落ち葉のイエローも、あったはずの歴史も、存在しない歴史も、すべての情報が、不明瞭なボディとして混在し、きみの周りの空間を組成して、きみに漠然と架空のオヤコミズイラズな懐かしさを投げかける。それはとても拡張現実的で、ぼんやりとしたこんな心地よい五感の中では、きみに接触していく、痛いほどに冷えたリアルの一人ボッチの風だけが、ヒュンヒュンと、頬を切るかまいたちのような役割を果たして、唯一きみの全身に、kittyちゃんときみの中で結ばれたお父さんに逢いにゆくアクチュアルフィーリングを与える。
 
品川駅に近い自転車駐輪場で、自転車を降りたきみ、コートを着てくるのを忘れたから、すっかり体が冷えて、手はかじかんで、手がハンドルを握ったままの形に凍ってしまったみたい。手が不恰好な凍りバナナみたいで可笑しい、と、きみは
「んへふっ」
と、独りきりで笑う。こんな時、お父さんならなんて言うんだろう。自転車の鍵を抜こうとしたら、指が動かなくて、なかなか抜けなくて、「きみはのんびり屋さんだからなぁ」とkittyちゃんお父さんに言われ続けたきみだけど、ちょっといらいらとして、今度は独りきりで怒っている。あせらないで、と消えてゆくkittyちゃんお父さんたちがきみを見守る。
 
死と詩と生と性、大人と子ども、たくさんの境界を渡る、ARの渡り蝶たち。街のノイズ。活気。お店。AR。きみをkittyお父さんに代わって取り囲み始めた無数の舞う渡り蝶たち。人々。がやがや。視界、AR、広がって、塞がって、広がって……。
凍りバナナの両手を、胸のところで祈っているポーズのように結び、ARの蝶を身体にまとい、きみという、背だけはもうすぐ大人の女の人で、だけど、まだまだ存在が軽くて心もとない女の子は、いろいろなものの間とAR空間をすりぬけて、品川駅の高輪口の改札口へと急ぎ足で向かう。きみは、向かう。

改札口からちょっと離れたところに、大きなスタンド時計があって、きみは、この場所を今日の陣地に決めた。時計の隣には大きくてなんだか特別なkittyちゃんが座っていて、きみに微笑みかける。けれどきみは人見知りだから、特別なkittyちゃんを無視してしまう、ARの渡り蝶に囲まれて、それをバリアのようにしながら。kittyちゃんは不思議そうな顔をしたけれど、やっぱりきみを許してくれて、そっとそこから去っていった。
きみの身体はARの渡り蝶に囲まれる。囲まれる。ここは、時々他人と肩辺りが触れ合ったり、ぶつかったりしても、触れてないことにしてやりすごす天才の集りだから、きみはここでならARをまといながら、舞うように、独りきりでも、kittyちゃんじゃない方の本当のお父さんに会えるような気がして、お父さんをずっと待てると思えて嬉しかった。
時間は、あっという間になんか流れない。鈍く、これでもかってほど鈍く流れてゆく。何十、何百の、駅の改札口を流れてゆく人の吐く二酸化酸素、吸い込みながら、目を閉じてしまわないように、なるべく瞬きもしないように、きみはお父さんを待った。不安をかき消すために、時々、境界を渡る蝶々たちにため息なんかもふきかけながら。
 
退屈と、きぃん、と、冷蔵庫に入れっぱなしの金属のようなシャープな寒さがきみの周りを流れおおい、足元の指先、手のひら、頭の芯と、からだの末端はじんじん、じわじわと痺れ、シャーベット少女の肉体の感覚はゆるゆると緩慢に麻痺してゆく。渡り蝶が感覚浮遊。
きみの五感はとても鋭敏になり、AR空間に吸い込まれ、そこには自分を祝福するような儚い蝶が無数にぷかぷかと舞い、林檎やお好み焼きのARのタグもファニーに笑いかける。蝶や声や顔や鞄や服や黒や白やから揚げや靴や様々な匂いやARとリアルの幾重もの空気の流れを、極太マッキーで描き出したような、くっきりとした輪郭線ですべてを認識してゆく。きみが居る空間に存在する情報は、すべてクリアで不愉快なノイズの渦となり、顕な実存体として、きみに迫る。大量のARとリアルのレイヤーのノイズの波に酔い、それでも堪えてずっと、お父さんを待つ。こんなに、こんなに、品川駅というリアルには、人や音が溢れているんだね、すごいね、kittyちゃんお父さん。寂しさが紛れるから、駅は、やっぱりいいね、と強がりを唱えながら。
 
時計の横に陣地を決めたから、きみは、誰からも見えないから時計透明人間ということにいつしかされ、きみ自身が、行き交う人々の、透明なノイズにされたことがやるせなくて、鋭敏になったきみの五感は、意地悪の化身となり、きみは、見える、聞こえる、嗅げる、感じる、セカイの独り遊び描写を始める。

五感の冴えは、きみのお腹の空きも刺激して、分裂したkittyちゃんお父さんじゃない方の、本当のお父さんと逢ったときに、久しぶりのオヤコのご対面なのに、お腹が鳴ったらかっこ悪いなぁときみは考える。セブンイレブンでいちご大福を買ってきて食べようかな。だけど、その間にお父さんがここを通ってしまったらいけないから、やっぱり我慢しよう。そうだ、今夜は、お父さんと品川駅の近くのレストランで、オムライス食べよう。デミグラスソースじゃなくて、ケチャップがかかってるオムライスがいいな。でも、お腹、すいた。疲れたしね。もう、疲れちゃった。きみごと、蝶のように儚く全部が消えちゃえば、もう待たなくていいのに……。お母さん迎えに来て。けども、そんな風に考えちゃうのは、とてもよくないし。お母さんは傷ついてしまうかもしれないし、やっぱり、うつむいたりしないで、顔、あげなきゃね。
瞳にあふれてくる泪、こぼれないように、きみ、ふんばったら、泪の向こう側に、小さな蝶の虹がうかんで、うわぁ……って言葉にならない自分自身の声をきみは感じて、きみの瞳の中の蝶の虹は、一瞬で消える。虹彩の残像をぼんやりとした焦点でとらえようとしたきみの瞳が次にとらえたのは、ゆらゆらと歪む本当のお父さんの懐かしいあの顔だった。きみのセカイ、すべてが、まだゆるいしん気楼の中で揺らめいていて、改札口の向こう側に浮かんでいるお父さんのことも、半分透明なゆらゆら星人に仕立て上げている。それでも、きみは、やっぱり、お父さんを見分けることができる。できるんだ。
お父さんだ。お父さんだ……。お父さんは、きみに近づいてくる。ゆらゆらのARの舞う蝶のセカイは、少しずつ、はっきりとした輪郭になる。
きみの心はとくとくと躍りだす。
けれど……、
それはたった二秒で終わってしまう。
ふっと、お父さんが隣の誰かに話しかけた。きみの瞳のセカイのぼんやりでおおい隠されていたものが、次第に見えてくる。悲しいものも、見たくないものも、クリアな境界の裂け目は、きみの瞳に映してしまう。
 
お父さんの横には、お母さんとは別の、大人の女の人と、きみとは別の女の子が居る。顔を交互に向け合うその間は、とても自然で、しっくりくる取り合わせの三人だ。きっと、前にきみにお母さんが話していた、お父さんの新しい家族なんじゃないかな、と、きみは、すぐに理解する。そしてお父さんと一緒に、お父さんの故郷の気仙沼で、いつかのあの日、津波にのまれていった親子だということも理解した。
彼らはテレビで観たカルガモの親子みたいに、一列にきみの網膜の中で、等間隔で並んで改札口を通る。そして、お父さんを真ん中にして、三人で手を繋いで、ずっと寒い中待っていて、震えているきみに気づきもしないで、きみがARの渡り蝶に囲まれ、立ちぼうけしてる斜め前を、あっという間に通り過ぎ、消えてゆく。ちょっとずつ小さくなってゆく、とても楽しそうに笑ってる何年かぶりに見るお父さんの後ろ姿を、見えなくなるまで、きみはずっと眺めていた。消えてゆくお父さんの背中をちゃんと見てみると、コートも、前に着ていた懐かしいコートと似たダークチョコレート色だったけれど、なんだか丈が短くて、いつかとはもう違う、新しいコートをお父さんは着ていた。
 
きみは、品川駅の出口までなんとか渦巻く渡り蝶と共に歩いた。勇気が無くて、お父さんと一緒にオヤコしてた、女の人と女の子を、ちゃんと見ることができなかったけど、その女の子は、アニメの主役になるようなおしゃれな服装や髪型じゃない、野暮ったい女の子だったと決めつけて、きみは意地悪に微笑む。
思い出したように、きらきらしてるスマートフォンを上着のポケットから取り出して、電源を入れて、
――お父さんの、新しい、ムスメ、ださいじゃん――
と、メールをお父さん宛に打って、けれど、送信できずに、いつものように、すぐに消去した。
 
「お父さん、あの自転車で逢いにきたんだよ。家からずっと漕いできたんだよ。それでね、ずっと、ずっと、ここで、いい子にして待ってたんだよ。私、また背、伸びたでしょ?」
と、お父さんを追いかけて、お父さんに飛びついて、ちゃんと大きな声で言おうとしたけど、きみは立ちつかれて、足が棒になって追いかけることもできないことに気がついたから、
「馬鹿だね」
って自分につぶやいてみた。
「私、まだ大人じゃないから、仕方ないんだよ」
と独り言しながら、しびれてる足をひきずって、駅の出口から外に出て、空を仰ぐ。知らない間にすっかりここは夜、まだ冬のはじめなのに、雪の香りがしていた。ARの雪なのか本当の雪なのかきみにはわからない、わからない。
「あ、ゆき」
と言ったら、空から降る雪といっしょに、泪もポロリってきみから落ちた。
たくさんの悲しみややるせなさや生と死の曖昧さの残酷の詩を包み込むように、死んだ人たちを弔うたくさんのARのろうそくの火がきみを迎える。kittyは絶対にきみを裏切らないはずなのに、今日きみがkittyを裏切った。鎮魂のARのろうそくがきみを取り囲み浮遊する。
 
東京に久しぶりに降る、この雪とARの香りに包まれ、明日もこっち側の境界を生きるから、さみしいのか心配だけど、暖かいベッドでたくさん眠れば、明日の朝までにはちっぽけなきみの泪なんて、この曖昧な雪と一緒に溶けてしまうよね。きみはARのタグをたくさん浮かべることで弔いをしているつもりだったけれど、この世に降る雪は、ARのように儚くて、いつも長くは続かない。
 
今夜だけ静かに東京に降る雪と、ARのともしびの香りが浮遊するんだと思う。
冬はまだはじまったばかり。

▶ni_ka。詩人・アーティスト。作品・展示に『渋谷パルコ40周年記念シブカル祭2013』「美術手帖編集長 岩渕貞哉ブース」(パルコミュージアム、2013年10月)』、『ヒツクリコガツクリコ ことばの生まれる場所」展(前橋文学館、2017年10月〜2018年1月)、『AR詩 喪の限界へ、わた詩は浮遊する』(『三田文學』2018年1月)など。

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