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考えるあゆみ(第一回)

「『わからない』が怖い」 なかむら あゆみ

 怖がりである。
 自然災害も人から嫌われることも驚かされることも人の輪に入るのも夫の運転以外の車に乗るのも丑三つ時に鏡を見るのも、考え始めると他のことが手につかなくなるほど恐ろしい。ゴーストバスターズの巨大なマシュマロマンは未だ夢に出てくるし、「もし呼吸を忘れたら」という呪縛は40年間私の寝つきを悪くしている。小学5年の時、霊感少女と一緒に鉄塔の先端に立つドラキュラを見たせいで、今も尖塔が恐ろしい。
 そして私は「わからない」が怖い。きっかけは子どもの頃、父の質問に答えられないと決まって長い溜息が返ってきたこと。「わからんから教えて」と言うと今度は長い沈黙に耐えなくてはならず、そんなことが夕食のたびに儀式のように繰り返された。時は流れ、父は何でも教えてくれる温厚な年寄りになり、私は「わからない」が怖い大人になった。社会での「わからない人」への風当たりはきつく、何年かすると、成功率の高いごまかしのルールを構築した。戦国武将を時代順に言えなくとも、徳島藩主・蜂須賀家のことを博物館の学芸員にインタビューすることくらいはできるようになった。「なるほどー」「小六(ころく)がですか?」「やっぱり秀吉との縁ですかねえ」相手の顔色と声色を見逃さず、言ってることがさっぱりわからずとも事前に覚えたキーワードを駆使して瞬時に適当な相づちを返すことができた。もちろん上手くいく時ばかりではない。一度わからない迷路に入ると声は上ずり視線も定まらず、素っ頓狂な質問で話は脱線。現場で恥をかき、上司からもどやされた。このままではダメだと思った。
 そもそも、この「わからなさ」とは何なのだろう? 学校できちんと勉強しなかったことによる知識不足を補うため、働きながら通信制の学校に入り直した(相当な労力とお金が要った)けれど上手くいかなかった。知識を学ぶための教科書そのものが私には難しすぎて読解するのに膨大な時間が掛かる。おまけに提出したレポート課題で立て続けに0点を採った。理由は「問いに対して書かれていない」。質問さえ理解できない自分に唖然としながら、滅多に取れない0点を家族にどや顔で見せ回った私の情緒。あの時は頭をかち割って、脳を光の下にさらけ出し辱めてやりたいほど自分を呪った。「なんで私ってこんなにアホなんかな?」夫に訊ねると、「認知資源が乏しいだけ」。意味はわからなくとも、何となく知的な言葉で説明されて、そうか、と落ち着いた。
 どうやら自分は自然に身についた知識をとっかかりに、少しずつ「わかる」を増やしていくしかないようだ。おそらく一生掛かっても今とそれほど状況は変わらないだろう。そんな私が小説やエッセイを書いている……。
 庭に掘った穴に入り膝を抱えて座った。顔だけが外に出た状態で、ビニール傘で蓋をするとコックピットに居るようだ。自在に方向転換して庭を観察できるぞ。この前の台風のせいか、きな粉の匂いがする。隣の家からは肉を焼く匂い。バッタもコオロギも減った。季節は進む。ツタの葉が傘の上に落ちた。紅葉している。「そのままでよろしい」と言ってくれる人とこれからどのくらい出会えるだろうか。じわじわと感性や感受性を深めていくしか、今のところ「手」はない。

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