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2022年6・7月の記事

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①【評論】中動態にとって「怒り」とは何か?――近藤恒夫氏の自伝『薬物依存』から―― 小峰ひず二み ②【連載】フィクションの感触を求めて(第三回) 勝田悠紀 ③【文芸時評7月】干さ…
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2022年7月の記事一覧

干さオレ~二子玉死闘篇~(第二回)

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批評の話でもしましょうか

文芸批評時評・7月 中沢忠之 瀬戸夏子の「我々は既にエミリー・ディキンソンではない」(『群像』7月号)を読みながら、私は批評にネガティブな感情をもったことがないなと思った。たぶん鈍感なんだろう。私事で恐縮だが、おそらく批評らしきものを意識しだした20代全般の記憶が私にはあまりない。大学時代からダークサイドに落ち、なんとか卒業できたものの、就職活動はせずに2年間誰とも会わず実家にひきこもっていた。さすがに何かしなければと思ったのだろう、柄谷行人という名前をたまたま目にした大阪の

地方文学賞の賞金で文芸同人誌をつくる(最終回)

『巣』が連れていってくれたところ  なかむら あゆみ 5月中旬、年賀状が届きました。いや、「書き損じの年賀ハガキ」と言った方がいいかもしれません。差出人は糖尿病の治療を受けながら施設で暮らす義母。年賀状は出さない人だから「誰にこのハガキ貰ったんやろ?」と思いながら裏返すと、(誰かが書いた)「あけましておめでとうございます」の上にためらうことなく引かれた三重線。その横に丸い先の鉛筆で書いた義母の字がありました。「りんご、乳ぼーろ、ぎゅうにゅう、うぐいすボール、みっくちゅじゅーち