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小説冒頭試し読み

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文學界noteに掲載されている、小説の冒頭試し読み記事をまとめました。
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#小説

【創作 短期集中連載】小林エリカ「風船爆弾フォリーズ」

うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 一 この街は、あの震災から十二年目の年を迎える。 春が来る。 靖国神社に、千鳥ヶ淵に、英国大使館前に、桜の花が満開だった。 わたしは、小学校一年生になる。 お祝いつづきの春だった。 桜の花が咲いて散る。 バラ模様のレースショールと揃いのパラソルに絹の手袋。淡いコバルトにクリーム色を重ねた春の野の裾まわしの着物。 この街は、春の装いに身を包んで浮足立つ人たちで賑わっていた。 ウェーブをつけた髪にダイヤがちりばめられた

【創作】九段理江「しをかくうま」

 誰かいるのか?  ヒは問う。返事はない。ヒの問いがヒの体の中でこだまする。誰かいるのか? 誰かいるのか? 誰かいるのか?  声はたしかに聞こえる。どこから聞こえてくるのかわからない。聞こえ始めたころはとくに気にしていなかった声だった。だが次第に音が大きくなるにつれ、自分の頭がつくりだした声なのか、それとも頭の外からの声なのか、出所を知らなくてはならなくなった。それを突き止めないことには、どれほど頭の中に言葉を増やそうと、いくら急いで歩みを進めようと、どこへも行けないのだとふ

【創作】乗代雄介「それは誠」

 修学旅行から帰った翌日のしかも土曜日に学校があるのはどうかと思うけど、僕だって特別な事情がなければ風邪で寝込んでるなんて言い訳せず、ちゃんと登校したはずだ。でも今日だけじゃないんだな。僕は明日も明後日も寝込んでて、あと何十日か、事情次第じゃ何百日でもおかしくない。事情っていうのは、今始まったこれ――高校二年の東京修学旅行の思い出――をいつ書き終えるのかということだ。  例の居心地悪い自然な導入ってやつになる前に、僕の作業環境を書いておく必要がある。築五十年弱、リフォーム済み

【創作】小佐野彈 「サブロク」 

 YouTubeの画面のなかでは、ダボダボの黒いパーカーに、ダボダボのスノーパンツ姿の若い男が、「やべえ!」「これはえぐい」と言いながら、楽しげに友人とじゃれている。 「いやー、死にたくないっすよー。生きて帰りてえ!」  ステッカーだらけの黒いヘルメットをかぶった男の声は若々しくて、少年らしさを感じさせる。 「だいじょうぶ! 死なねーって! 最悪、しくっても半身不随だから!」  撮影者は、半身不随、などと穏やかならぬことを口にしているというのに、口調はどこまでも明るく

「ICO」 上田岳弘

発売中の「文學界」7月号より上田岳弘さんの短編「ICO」の冒頭をお届けします。  ICOは孤独である。  と同時に孤独ではない。  なぜなら――  *  ICOはiPhone13の前で踊っている。  なぜなら――、  なぜなら彼女はTikTokerだから。いや正確に言えば、彼女はTikTokerでもある、というべきか。あくまでそれは彼女を説明するための一つの要素に過ぎないのだから。  しかし取り急ぎ今彼女について説明するのなら、TikTokerであるとするのが

『雨滴は続く』 西村賢太 4

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 四  年が改まって二〇〇五年となっても、貫多はまだ『群青』誌に提出する三十枚ものに手を付ける気にはなれなかった。  一つには、すでにシノプシスは出来上がっているのだから、あとはそれに沿っていつだって書けるなぞ云う、ヘンに余裕をこいている部分もあっ

『雨滴は続く』 西村賢太 3

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 三  しかしながら、とあれ千載一遇と云うべき好機―それはあくまでも藤澤淸造の〝歿後弟子〟たる資格を得るに当たっての好機であるが―を掴んだかたちの貫多は、まずは件の短篇のネタ繰りに没入した。  誰であったか昔の作家で、自らの人生の歩みを題材とすれば

『雨滴は続く』 西村賢太 2

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 二  だから購談社の、『群青』編輯者との約束の当日を迎えたとき、貫多の得意な気分は弥が上にも絶頂の昂ぶりをみせていた。  午後二時過ぎになって宿を出た、その足の運びはいつになく軽ろやかであり、姿勢も平生の俯向き加減のものとは大きく異なる、まるで意