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乳がん告知~どうして乳がんだとわかったのか~①

13年前、2008年4月1日 私は30歳で乳がんの告知を受けた。

前の年2007年12月くらいからなぜか体調があまりよくなかった。
鏡を見ると、なんとなくどこか顔が引きつっていた。
そして、左胸の乳首からは出血があり、いつか治るだろうと思っていたがどんどんその出血の量は増えていった。

ちょうどその頃、日本政府のある財団の方から

「インドネシアで働かないか?」

と誘いを受けていた。その仕事の内容は まさに私が子供の頃から目指していた仕事だった。
「やっとたどり着けた。」
そう思えていた時期だった。
後は応募書類を作成して、書類を送るだけだ。あともう少しで夢を実現させて手に入れられるはずだった。

それが先ほども話したように日に日に体調は悪くなり 、その日は来てしまった 。
その日、その当時勤めていた職場全体の送別会だった。私は幹事として、皆より先に会場に入り、席を決めるくじ引きをみんなに配る係りだった。
朝、いつも通り目が覚めると、身体が全く動かなかった。まぶたしか動かない。まるで透明な箱に入れられたようだった。何度 身体に力を入れても、全く動かない。一体自分に何が起きてるのか全く分からなかった。
「何か夢を見てるんじゃないか?」
そう思ってもみたが、やはり夢ではなかった。
何と力を入れても、最後まで身体を起こすことが出来ず、とうとう最後床を這って、2階の自分の部屋から一階の廊下にある家の電話までたどり着き、職場に電話した。
「すいません。今日私は体調が悪いので休みます。今日の送別会も参加できません。本当に申し訳ありません。」

翌日、職場に行くと、皆が不思議そうな顔をしていた。
「昨日どうしたの?大丈夫なの?」
「はい。よくわからないんですけれど、具合が悪かったんです。すいません。」

それだけでは終わらなかった。

数日後、今度は部署内での送別会が行われることになった。

あるお店に集まり、皆で席に着くと、先輩から「飲み物係ね。」 とメニューを渡された。ドリンクを追加で頼む時に、メニューを見せるのだ。
ところが、 会が始まるとひどい動悸が起きて、なぜか左腕が冷たくなり、上がらなくなった。 必死で笑顔を作り、場の雰囲気を崩さないようにしたが、動悸が治らない。
「何かがおかしい。風邪じゃない。」

一次会が終わると、皆が2次会へ向かおうとする中、
「ごめん私帰るね。」
と言い残し、 一人帰宅した。

そして数日後、病院に行った。
病院に着き、受付を済ませようと思っても、診察科目がわからない。
「よくわからないんですけれど、少し具合が悪くて、左胸の乳首からの出血があるんです。あとしこりもあるみたいなんです。」
とりあえず受付の方からは外科での診察を勧められた。

診察室の先生や看護師さん前で、自分の最近の体調について説明をした。あまり暗い話になってはいけないと思い、時々冗談を交えながら。
でも私が話をする度に表情が凍りついた。なぜなら私が言った冗談が全て乳がんの症状だったから。

検査を勧められて、検査室に行ってもやはり反応は一緒だった 。
私が話をするたびに、冗談を言うたびに、検査室の技師さん達の表情が凍りついた。検査を終えた後も誰も「大丈夫。」とは声をかけてくれない。

外科の外来に戻り、診察室前の廊下で待っている間、おもむろに乳がんの冊子 を手に取り、ちらっと目を通すと、自分の症状が全て当てはまっていた。

待ってる間、「絶対私は乳がんじゃない。」そう信じ続けた。いや、信じたかった。

診察室に入り、椅子に座ると先生の話が始まった。
「乳がんです。」
そう病名を聞かされた瞬間から、先生の声が遠くなり話が聞こえなくなった。

診察が終わり診察室を出ると、出た瞬間から気がついたら叫んで暴れていた 。
「インドネシアに行けないからこのまま殺してくれ~!」

気が付いたら暴れて叫んでいた。3,4人の女性の看護師さんが私の腕を鷲掴みにした。
「早まらないで!」

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