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誕生日

昨日、私は誕生日。

おとといの日お彼岸なので両親と一緒にお墓参りに行った。

帰ってきて、台所で両親と3人で話をしていると父がおもむろに昔話を始めた。
「(私が)1歳の頃、駅前の家具屋で初めて自転車を買ってもらった時、駄々をこねて家までひいて帰ると言った。あれからもう50年も経つのか。」
とと笑いながら言った。

私はまだ40代前半。50年って…四捨五入でもない。一桁を完全切り上げだ。

「50年って、そんなにまだ時間経ってないよ。いくらなんでも酷すぎだよ。」
と、私も笑いながら反論した。

そこに母が加勢して

「いつまでも20代だとおもっているんじゃないよ!」

と言ってきた。(笑)

13年前、30歳で乳がんの告知を受けた時。10年どころかあともう5年も生きられないかもしれないと思っていた。いつも頭と心の片隅には常に「死」があり、次の瞬間自分はもうこの世に存在しないかもしれないと思っていた。

いつ何をしていても、外で人と会って話をしていても、どんなに顔では笑顔を作っていても、常に頭との片隅に「死」が離れることはなかった。

それが、左胸全摘手術を含む2回の手術、1か月半にわたる30回の放射線治療、5年間に渡る注射と投薬によるホルモン剤治療、その後の5年間に渡る経過観察。そして術後10年経っての乳がん完治の診断。

乳がん完治の診断が下りたと言っても、もう私に100%はない。乳がんは他の部位のがんと違い進行が遅いため完治が降りた後、何十年も経ってから再発転移が見つかることもある。
そして、完治が降りた今も手術の傷は痛み、病気になる前の以前のような体力はもうない。疲れやすく、1度疲れてしまうとなかなか回復してくれない。

それでも私は今日も生きている

昨日と同じように朝になれば目が覚めて
枕元のマイボトルの水筒に入った水を飲むことができ
お腹が空けば口から口から食事を食べることができる
疲れて夜になったらぐっすりよく眠れる
そして翌日の朝になれば、また昨日と同じように目が覚めてまた1日が始まる

これから先の予定も立てて、入れることが出来る。


私は今日も生きている

1度病気になって諦めかけた夢も
心身ともにズタズタになって、谷底に突き落とされて、
絶望の淵に立たされても、手術や治療を受けて病気を治したことでもう一度形を変えて夢を実現できるようになった。
私は自由だ。どんなに身体が不自由でも。

「インドネシアと日本の間で教育関係の仕事で人の役に立ちたい」
ずっと子供の頃からの夢だ。

乳がん患者として、乳がんサバイバーとして生きる今も、私は毎日少しずつ夢をカタチにするために実現するために生きている。

前回のnote記事を いつも大変お世話になっているインドネシア関係のメンターの方に見せたところ、
「誕生日おめでとうございます。壮絶な闘病スタートを途中まで読みました。なんと、誕生日に読んで驚きました。男でも取り乱しそうです。」
と書かれたメールの返信が届いた。

そう私は不死鳥(フェニックス)。だからどんなに絶望の淵に突き落とされても、絶対に這い上がらなくてはいけない。

そう振り返りつつ、今日まで私が生きてくるために支えてくれた多くの人に心から感謝します。

追伸:写真はいつもインドネシア関係で大変お世話になっているインドネシア語の先生から誕生日に送られたお花です。
こうした心の通えるやり取りが今できることに本当に心から感謝です。

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