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変わることも変わらないことも同様に尊い

りんご姐さんが

この世にあって欲しい物を作るよ 
小さくて慎ましくて無くなる瞬間
こんな時代じゃあ手間暇かけようが掛けなかろうが
終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます 
そう信じて丁寧にこさえていましょう

と歌いながら、

この世にあって欲しい物をがあるよ 
大きくて勇ましてくて動かない永遠
こんな時代じゃあそやあ新しかろう良かろうだろうが
古い物は尊い
ずっと自然に年を取りたいです 
そう貴方のように居たいです富士山

とも言ってくれたのが、すごくうれしかった。

どちらも真実だと思う。


どうしても、「変わるもの」はわかりやすく、なんだか楽しそうで、そっち側がいつも脚光を浴びる(その「なんだか楽しそう」という感覚はとても大事。)

けれど、「変わるもの」と同じように、「変わらないもの」だってすごく尊いんだと声を大にして言いたい。だって私にとっては、えいや!と始めることよりも、続けることの方がずっと難しい。

覚悟を伴う一大決心は、これから想定外の楽しいことも苦しいこともあるだろうと予想して、みんなが「おめでとう、がんばって」と祝福してくれる。

それがさみしいとき、たしかな励みになるから。すきな人からのあったかい言葉は、一番のお守りになる。


でも、大きな変化がなくたって、私たちは確実に日々小さな変化を遂げているし、”想定外の楽しいことや苦しいこと”につねに晒されている。

生きてる以上、日々、必死でがんばっている。

大きな変化がないということは、その場所がその人には合ってるということだ。そんな幸せなことはあるか?


「彼氏できたのおめでとう!」があるように、「フリー3年目突入おめでとう!」があってもいいし(地味にその機会逃したチッ)、

「転職おめでとう!」があるように、「勤続5年おめでとう!」があっていい(10年はあるか)。

置かれた場所で咲くのも、風に吹かれて飛んでいくのも、どっちも自然なことで、尊い。


その小さな変化が肌に合わないと感じ、楽しめなくなったときに、人は場所を変えるのかもしれない。その違和感には敏感でありたい。

身の回りをその時々すきなものでいっぱいにしたくて、そんな感覚で、住む場所や一緒にいる人、今日見るもの、食べるものを選んでいて、それでも生きてればすぐに問題は出てくる。それをちょこちょこ微調整していく地味な作業がとても楽しいと感じる。


メシ食ってフロ入って寝るだけ。それを繰り返す。その上で、愛し愛される人がいたりすれば、人間として十分すぎるはずだ。

飽きっぽくて、全部に満足しきらない。そんなままならなさこそ人間らしくて、愛おしかったりする。

朝から友人にオススメしてもらった曲がぐっときて、昨日から沸点を迎えそうだったエモーショナルがついに爆発したので備忘録をつけておく。

言いたいのは、人間大好ちぃ~~~~~~ということです。


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