「舞い落ちる花びら」について感じた事のメモ

 本日公開されたセブチの新曲「舞い落ちる花びら」。ティーザーを見て色々と感じた事を書き留めようと思う。

 まず、KPOPアイドルの日本語オリジナル楽曲で、このクオリティを見れるとは思わなかった。曲は良くてもMVが少し残念だったり、曲自体があんまり刺さらない事の方が多いイメージだったから。

 KPOPアイドルの高品質作品を作る金銭的地盤は明らかに日本なんだけど、「日本だけのオリジナルで、すごく良いものを見せて利益をあげたい」という意志を感じた「舞い落ちる花びら」。このクオリティを「日本語」で聴ける事を、caratを始めとしたKPOP好きは感謝すべきだと思う。
 こんな待遇、日本ぐらいだと思うから。

 では、ティーザーの話をする。
 第一印象は「美しい」。その一言に尽きる。ただ、観終わった後に感じたのは、「美しいの裏にある何か」。

 そもそも題名自体は可憐なイメージがある「舞い落ちる花びら」。舞い落ちる、という言葉自体が可憐だし、花びらという言葉にも華奢さや可愛さ、風に吹かれて揺らめく儚さが連想される。

 ただ、中盤に行くとその華奢、可愛さ、儚さを内包した「美しさ」に釣り合わぬものが見える。その代表的なものがこれ。

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 明らかに「舞い落ちる花びら」という題名に不釣り合いな小物なわけで。

 別のシーンでも。

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 不穏だねぇとても。

 そもそも、「舞い落ちる花びら」という事象は、花から解き放たれた花びらの状態を指すわけで。
 何にも繋がれてない状態なわけです。どうしてものを「繋ぎ止める」ものが中盤〜後半で差し込まれるのか。不穏だなぁ。

 こういった紐や鎖で繋がれたものには「自由がない」。ただその自由の制限及び喪失は、花びらにも言える事。
 「舞い落ちる花びら」は誰にも縛られなかったとしても、行き先を自分で決められないからだ。風に吹かれて飛び続け、地面に落ちて、一生そのままかまた風に巻き上げられるか。離されるだけ離されて、行きたいとこには行けないのが「舞い落ちる花びら」だ。

 そう考えると、この紐や鎖といったモチーフは、「自由の制限」という意味では題名と合っているのかもしれない。

 ちなみにここのシーン、下の辺りに鎖が見える。

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 寝ているメンバーを繋ぎ止めているのだとしたら、美しさの中に「束縛」が紛れ込んでるっていう背徳感が満ちたシチュエーションなのだけれど。どうなんですかね。


 そして、感じた事をもう一つ。
 この2つの振り付けについて。

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 最初は花を表してるのかな〜とも思ったけど。
 もし私が前述した「不穏」を優しさの中に同居させる作品なのだとしたら。

 1枚目は不穏を「隠す」、2枚目は不穏を「産み落とす」と捉える事も出来るな、と感じた。

 他にも色々と感じた事はあるけれど、一旦ここまで。この作品は、美しさだけに惚れ込んでたら心を抉られそうなものな気がする。綺麗なバラにはトゲがあるように。

 厨二臭い妄想もここまでにしよう。