基本的にエアコンをつけないので、冬場以外の在宅時は窓を開けている。もちろん裸族だ(ほぼです、ほぼ)。昨日は台風で気温低め、服を着ても大丈夫だったが。
そんな夏は蝉の声でテレビの音が聞こえなくなり、聴力が落ちたのではないかと疑いを深める時期でもある。

さて、そんな窓開け族の天敵と言えば、隣の換気扇音である。ブオーンと換気扇が回る音が聞こえると急いで窓を閉めなければタバコのニオイが(え?うちのベランダで吸うてんのん?)レベルで室内に吹き込んでくる。うちの団地は換気扇が各戸の端っこ(我が家のリビング寄り)についている。
そのとき私は窓をイラッとしているので、ドンパシと激しめに閉めてしまう。ドンと勢いよく閉めてバウンドしてちょっと開いてパシと閉まるのである。
この自ら出した暴力的なドンパシ音により余計イラつく。鼻だけでなく耳からもイライラする。イラはイラを呼ぶ。
お隣はおそらく自分の家がタバコ臭くならないために換気扇を回して換気扇そばでタバコを吸っているのだろう。外部から見れば「自分の家を臭くさせないためならよその家が臭くなってもいい」という、「快適な生活のためなら核のゴミを僻地にため込んでかまわない」という意識構造の相似形ではないかと、さらに脳みそでイラッとする。だから世の中はよくならない、戦争は終わらない、地球が終わる、と描く絵がどんどん大きくなる。
自分を省みる。
私もかつては愛煙家だった。歩きタバコもした。誰かに不快を与えたかもしれない。これは罰なのか?甘んじて受けるべきなのか。
たぶんそんなことはない。
本当に私は不快なのか?と問い直してみる。父はタバコを吸っていた。直接的に煙が来るといやだったか、ニオイはそんなにいやではなかった。大学時代、ほとんどと男子学生と一握りの女子学生がタバコを吸っていて、「タバコを吸う」、タバコを吸わない者には「タバコの煙を吸う」と「休憩する」は同義語だった。大人のニオイだとも思っていた。
頭がおかしかったのか?

こういう考えもある。私はタバコをすっぱりやめたがお隣のおっちゃん(おばちゃんかも)は、やめられない気の毒な人だ。肺は真っ黒だ。換気扇の内部もヤニヤニだ。気の毒だ。ゆるす。許す。赦す。
いやいや、ずいぶん高飛車ですよ、わたし。

そうか、朝から高校野球中継を観ている、座りっぱなしの私に立ちあがる機会を与えてくれているのだ。

いろいろ考えているうちに、そろそろ次の換気扇タイムが始まるぞ・・・

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