殺人鬼はもう流行らない/神や怪物であることの放棄/『ハロウィン THE END』(2023/04/24の日記)

『ハロウィン』シリーズの最終章、『ハロウィン THE END』を観てきたわけなのだが、これが賛否両論というか、かなり渋い意見を食らっている映画なのが痛感できてしまった。
はじめに言っておくと、私はこの映画が好きだ。結構好きだ。そして世間に蔓延っているこの映画への辛口な意見は、この映画の純粋な善し悪しや面白い/面白くないに起因するものであるというより、『ハロウィン』シリーズに思い入れがある人間ほどもやもやしてしまう……という感じで、エヴァの新作が出たときのオタクの愚痴に近いものがわりとある。庵野に愛憎を抱くように、ハロウィンに愛憎を抱いている人間が多い。
そもそもこの新シリーズ自体が賛否の分かれるものであることは今更言うことでもないが、本作についてはその中でもかなり異端だ。

街も、人も、ブギーマンも、みんな疲れてしまっているのだ。

ホラーアイコンとなるような殺人鬼の映画に人々が期待するのは激しい暴力描写に殺人、人体破壊、悪趣味なカタルシスだ。爽快な悪と潔い暴力性。
でもこの映画にあるのはキルではなくスーサイドだった。全てがふんわり疲れて病んでしまっていて、殺人を通して自傷という自慰行為をしているのを見せられているような気持ちになる。
近年耐えないあらゆる痛ましい事件――銃乱射でも、無差別通り魔でも、総理へ爆弾を投げつけるでも、そこにあるのは「殺人」というよりも「殺人を通した自殺」だなと感じることが多い。少なくともいまこの現代において、複数の他者を殺害するということに、かなり強い自慰的要素が込められてしまっているのは事実だ。他人を傷つけるという形での自傷は、恐らく太古の昔から存在はしていただろうが、ここまで顕著になった時代はあったんだろうか。
今のツイッターを見ていても具体的な自傷行為を伴わない破滅願望に満ちている感じがして、なんか不健全だなと思うときがある。

作中ではマイケルのブギーマンマスクを奪って殺人を犯す人間(あるいはそうしたことを望む人間)の姿が描かれており、また、街全体に排他的な暴力性と人間の傲慢さが過剰なまでに描かれており、非常に示唆的だ。
「人間に誰しもある悪」をホラーアイコン(象徴)を通して描く……というのは古今東西よくあるホラー映画の典型とも言えるし、近年では『ジョーカー』が非常に話題になっていたが、本作ではブギーマンを「悪という概念」の象徴として用いるだけではなく、マイケルにブギーマンであることを放棄させようとしている。
何十年にも渡って、ホラーアイコンとして恐れられてきたブギーマンことマイケルも、被害者アイコンとして時に怯え時に泣き時に怒り時に戦わされてきたローリーも、結局は「ただの人」であると、そのマスクをはぎ取って宣言されてしまう映画だった。

殺人鬼も老いて疲れて耄碌し死を願う。その事実に「ガーン」となった。
エヴァの最後に渚カヲルが「幸せになりたかっただけ」とただの俗人のような願いを口にしているのを観たときの「ガーン」と同じだった。

私たちはその世界に没入したくて、自分の一切合切を忘れたくて、金を払ってフィクションにアクセスしているのだ。神でも怪物でもいいからとにかく全然人間じゃないスゲー奴を観て怯えたり慕ったりしたいのに、そんな、神であることや怪物であることを数十年越しに放棄して、人間宣言なんてしないでよ。そんなことをされてしまっては、相手がフィクションとして創造された神や怪物であることをいいことに、そこに今まで自分たちの欲求や感情を押しつけ続けてきた自分たちのグロさを自覚してしまうじゃないか。相手の人間性を無視して自分の思い通りにしようとする、現実世界でもよくあるそのグロい営みは、フィクション上のスゲー存在相手なら許されるはずなのに、そこで発散することが許されたはずなのに、今更人間宣言なんてされては「ガーン」でしかない。
私は常々、ホラーアイコンになる存在にとって必要な要素のひとつに愛嬌があると言ってきた。可愛さ、キュートさ、コミカルさ、ファニーさ。ただ恐ろしいだけではなくてどこか「萌え」の要素が必要だ。
……とはいえ、ブギーマンに肉体的にも精神的にも老いた男の晩年など求めてはいなかった。殺人鬼は100歳になっても片手で女の体を持ち上げ、素手で人体を破壊し、冷静沈着で、バラエティに富んだ殺人術で私たちを楽しませてくれるはずだった。

排他的で、互いに疑い合い、己を守るために攻撃し、怒り、怒り続けることにも疲弊し、ただただ疲れ切って、ぼんやりと自分の死を悟る。そんなふうに疲れ切った街、人、殺人鬼。
私たちが観たかったあの『ハロウィン』の結末はこれだったんだろうか。

でも、たぶん、私はこの映画が好きだ。ブギーマンのマスクがはぎ取られたことを悲しみながらも、己の疲弊を甘受してくれるような感じもする。「がんばれ!!」と言われるより「もう疲れちゃったよね」と言われる方が救われることもある。たぶん。
虚しい結末だが、しかし、先にも述べたように破滅願望に満ちたこの時代に、ある特定のマッチョで強い男の"殺人"鬼アイコンというのは、もう流行らないのかもしれない。

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