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さとこさん

「クラスにフランス人形のような女の子がいる」

中学生になったとき、違うクラスになった小学校の友達が言った。

おおげさな、と思いつつ見に行くとほんとにその女の子はそんなふうだった。色が白くて目が大きくて鼻筋が通って髪が天然パーマでゆるやかに波打っていた。

「ほんまや」とため息をついた。それがさとこさんをはじめて見たときのことだ。

その後、自分がそのフランス人形と話をするよつになり、親しい友達になったいきさつをどうにも思い出せない。

高校も同じだったので、飛び飛びの記憶のなかの出来事が中学のときのことか高校に入ってからのことが判然としないのだ。

それでも、フランス人形だった彼女に血が通っていると思うようになったのは、彼女の意中のひとを聞くことになったからだと思う。

彼女は理科の先生が好きだった。けっしてかなしい安達先生ではない。その前任の先生だ。ということは中学1年のころの話だ。

薄い唇からそのセンセイの名前がなんとも切なげにもれたとき、あたしのなかでさとこさんはフランス人形から恋する女の子になった。

あたし自身はそのセンセイにえらく叱られたことがあったので、彼女の思いは到底理解できなかったが、彼女は先生の笑顔が好きなのだといった。

まだみんな小学生の尻尾が消えないような頃にさとこさんはそんな思いを抱いていた。

その後きっかけかは思い出せないのだが、さとこさんとあたしは文通をし始めた。日々の思いをちょっと気取った言葉で書き綴ったノートを見せ合ったこともあった。

ふたりを結びつけたのは太宰治だった。太宰の言葉も抜書きしては書き送った。太宰の作品について青臭い議論をし少々虚無的な言葉も行きかった。

あたしが文学なるものを語りあったのはさとこさんがはじめてだった。

さとこさんは字もきれいで丁寧だった。筋道をたててしっかりとした自分の考えを書き送ってくる手紙に、あたしはいつも気おされていたように思う。

ふたりで古今東西いろんな本を読もうと約束し、ふたりともいつかなにか書けるひとになりたいねという願いを持っていたのだった。

あたしが女子大にいって彼女は立命館大学の二部へ行った。

あたしのまったりとしたぬるい環境にくらべて、彼女のほうは共学ということもあってなにかと刺激的だったようだ。

きっといろんなひとに出会ったのだろう。だんだん手紙が間遠くなってやがて来なくなった。

好きなひとが出来て結婚するかもしれない、と最後のほうの手紙にあったと思う。

さとこさんはなにか書けるひとになったろうか。わたしはこんなことを続けている。

*****

同窓会のメンバーからさとこさんの近況を知っているか?とたずねられたことがある。

残念ながら知らない。あたしに聞くくらいだから、誰もしらないのかもしれない。

消息の知れないかつての友人。その友人からしたらあたしの消息もわからないわけだ。

長く生きてきたそれぞれの時間があり、消息が知れようと知れまいと、劇的に変わるものはないが、どうしているだろうかとふっときになったりする。

今、会えたとして、お互いの知らない長い空白を抱えて向き合って、どんな話をするだろうか。思い出を突き合わせて確認して、そのあとはどんなことを話題にするんだろう。

それははじめましてに近い距離感かもしれない。

あたしのフランス人形はどこでどうしているかしら?なんて思いをめぐらせたりするのは、雨の日の午後のもの思いにふさわしいかもしれない。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️