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そんな日のアーカイブ 2003年の作家たち 1 古井由吉

2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。

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古井由吉さん

残念ながら、いや、恥ずかしながらである、小説家であるこのかたの作品を、あたしは一冊も読んでいない。なのになんでこんなになつかしいような思いが湧くのだろうと不思議に思う。

豊かで硬そうな白髪にふちどられたお顔の表情はどこまでもおだやかだった。

「この間、もう何十年と通っている新宿で道を間違えてしまいました。東京は街の雰囲気がどんどん変わっていくものだから、勘違いしてしまうんですね。……狼狽いたしました」


そんなことを照れくさそうに話される。このかたをとりまく時間がゆったりと流れているように感じ、それがあたしにはとてもここちよかった。

「芥川龍之介と東京」というテーマのお話だった。

36歳で自殺する芥川が30歳のころに作った俳句がある。

「元日や 手を洗いおる ゆうごころ」

芥川が自分の体の不調に気づき始めたころである。足袋から伝わってくる板の廊下の冷たさを思う。芥川は体の衰えを感じている。そんなけだるくはかない句だと氏は語る。

大正14年に書かれた「年末の一日」という芥川の作品の一節を氏が朗読した。

その作品は新山の手に暮らす人間のわびしさや総じて清浄な空気の感触が伝わってくる作品なのだそうだ。

清浄なのは掃除がいきとどいているからで、なぜそんなに磨き上げるのかといえば、ひとつ現実味のたりない、根のおりた感じのしない暮らし、満たされず、しっくりこないこころを慰める営みとして、なされているからだという。

内容もさることながら氏の朗読は印象的だった。氏が読む文章の文末の「た」という発音の余韻が、古寺の梵鐘のそれのようにこころに残った。妙な言い方だが、それは滋味溢れる「た」なのだ。

あたしにはなんとしても、そう感じられてならない。お話をせがむ子供のように、またその「た」を聞きたくて、耳をすまして待っている。そんな朗読だった。

本所から田端へ移り住んだ芥川の感じているのは、流入者の多い地での違和感であり、自分はそこに根付いてはいないという思いである。

東京生まれの東京育ちでありながら、自分はなぜこんなところに住んでいるのかという精神的なバックボーンを無くしたような憂鬱である。

芥川は、そこで、行き場のない、足場のない陰惨な苦しみを味わい、やがて、結局、どこにいようとこんなものだという虚無にふっと引き込まれていったのだとも、氏は語る。

転勤族の家族であるあたしはその言葉に大きく頷いた。だれも知る人のいない土地に来て、そこでずっと感じている思い、ちっともおちつけず、景色やひとびとに容易に馴染んでいかない自分の思いをふわっと解き明かしてもらったような気がしていた。

講演が終わって演壇から降りようして、氏の片足が台のはしにひっかかっておっとっと、と
転びそうになった。

みなが思わず息を飲む。一瞬狼狽したけれど、すぐさまにこやかで照れくさそうな顔になって下手へ消えた。最後まで氏をとりまく空気の色が変わらなかった。

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Wikipediaより

古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日[1] - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている[2]。代表作は『杳子』、『聖』『栖』『親』の三部作、『槿』、『仮往生伝試文』、『白髪の唄』など。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている[3]。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️