ざつぼくりん 55「わたこⅢ」
「今の多樹ちゃんの気持ち、わかるような気がしますよ。……大切なひとがいなくなったら、そう思うしかないって時がありますから……わたし自身の経験もありますが、たくさんのかたのお話をうかがってきて、そう感じています」
「ああ、そうなんですか。そういうかたのお話を聞いてらっしゃるんですか?」
「ええ、まあ……十五年ほどやってます。病気とか事故とか、情況はいろいろですが、家族を亡くしたかたのお話を聞く機会が多いです……あの、つらいことっていうのは、なかったことにしたくなりますが、それでも、誤魔化さないできちんと言葉にしてこころに納めていかないと、立ち向かえないままになります。たいへんだけど大事なことだと思いますよ」
その声がなにかを促しているような気がして、絹子は多樹のことを告げてみた。
「あのう……あの子……つい最近のことなんですが……お風呂に入るとね、わたしに洗面器をかぶってちょうだいって、泣きながらいうんです……どうしてそんなこというの、と聞くと、洗面器をかぶると大きくなれないからって。おかあさんも大きくならないで、って必死でいうんです」
「あ、それは大きくならなかったら死なない、ってことですね……。ほんとうに子供って小さくても、いや小さいからこそ、いろんなことを考えているんですね」
「ふたごでも沙樹とはまったく違うことを考えているんですねえ」
「そう、ひとりひとりの人格がありますからね。だけど、お母さんもご心配ですね。わたしでよければ、いつでもお話聞かせていただきますよ。……それから……あの、宣伝になっちゃうけど、うちのグループでは、といっても娘とふたりだけなんですが、娘がお子さん専門の傾聴をしておりますので、なにかありましたら、声を掛けてみてください。何かお役にたてることがあるかもしれませんから」
「あ、ありがとうございます。あの、実は……」
絹子がいいかけるとダイニングのほうから沙樹の声がした。
「かあさん、早くカステラ、食べましょう。お紅茶がさめますよーっ。JJじぃさんもー」
ふたりがダイニングにいくと紅茶からは湯気が立っているのに志津と多樹がいない。
「あら、沙樹ちゃん、志津さんは?」
「よくわかんないけど、カステラ食べてる途中でいなくなったの」
「多樹ちゃんもいないわねえ」
「わかんない……」
どうやら沙樹はカステラに夢中だったらしい。気がつくと自分ひとりだったので絹子を呼びにきたのだろう。
「次郎さんもよろしければどうぞ、わたし、二人を呼んできます」
「あ、いや、菓子はどうも苦手で……。わたしもごいっしょしますよ」
次郎と絹子が縁側に立って耳をすますと、庭のほうから木々の葉擦れの音に混じって志津と多樹のひそめた声が聞こえてきた。
「しずばあがいかないんだったら、わたことふたりでいくことにする」
あ、と絹子は気づく。多樹は夜の公園へ志津を誘ったらしい。
「行くわよ。絶対に行く。さっきはちょっと心配になっただけよ。約束のしるしにゆびきりしましょう」
ふたりは約束を交わしている。
いぶかしがる次郎に、絹子は夕べの事情を次郎に告げた。
「うーん、そうですか。しかし、それは今晩のことなんでしょう? どうしますか? 」
「あの、こっそりあとをつけていこうかなって思ってるんですけど、どうでしょうね」
「ああ、そのほうが安心ですね。援軍が必要なら待機しますけれど」
「ありがとうございます。でも今日は夫の帰宅が遅いので、沙樹が慣れている友人に来てもらおうかなって思ってますので、大丈夫です」
「志津さんもいっしょだから大丈夫だろうとは思いますが……わたしとしてはその志津さんのほうがいささか心配なのですが……」
「ああ、そうですね。多樹も、本人はかなり思い込んでいるんですけど、そんなところで孝蔵さんに会えやしないってことをこっちはわかってますから、そのあとがどうなるのかと不安ではあります……またあの泣き顔を見るのはつらいし……」
「うーん、つらいですよね。、でも、今、手当てのできないことを思案してもしょうがないです。なにか起こるかもしれませんが、そのときはそのときでまたみんなで思案していくしかないんじゃないかなって思います。なにかありましたらいつでもご相談ください。それに……このはなし、意外と大丈夫かもしれませんよ」
「そうでしょうか」
「あのね、うちの五歳の孫もときどき、今、ばあちゃんが通ったよ、とか言いますよ。妻はもう十五年も前に死んでいて孫は会ったこともないのにそんなことを言います。子供には我々に見えないものが見えることがあります。思いが見せるのかもしれませんね」
そういうと、次郎が遠い目になった。
続く言葉を選べずにいると、後ろから沙樹の声がした。
「多樹ちゃーん、カステラ食べないんだったら、もらっちゃうよー」
「だめー」
庭の奥から大きな声をあげて多樹が走ってきた。
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